CMどおりにいかなくて。
六歳離れた兄は、三歳の頃からピアノを弾いている。
中学生のときは合唱部で伴奏をして、仲間の歌声を
引き出していた。高校生のときは仲間とバンドを組んで、
あちこちのコンテストに出場して、井上陽水やら吉田拓郎
やらを歌っていた。音楽に夢中で勉強もせず、やさぐれていた
毎日で、酒とたばこと女に手を出して、ずいぶんと親に心配と
迷惑をかけていた。東京の音楽大学に進学したものの、ここでも
学業に不熱心で中退してしまい、縁あって知り合ったかたに誘わ
れて函館に移住して、現在は、ピアノ教室をやったり、函館で
いちばん高級なクラブで弾いている。コロナ禍になり、
ピアノ教室の生徒もクラブのお客も来なくなり、大変な思いを
していたのだった。そんな兄が使っていたアップライトピアノが
実家に有る。テレビを観ていると、ピアノ高く買い取りますの
CMをよく目にする。実家もいずれ処分することだし、小遣い稼ぎに
なればと、売ることにしたのだった。買い取り会社に予約を入れた
当日、訪ねてきた業者にピアノを見てもらったら、これは買取でき
ないと、申し訳なさそうに言われた。
兄のピアノは犬とラッパのマークのビクターの製品で、六十年以上の
月日が経っている。ヤマハかカワイじゃないと価値がなく、
こんなに古くては修理代に莫大な費用がかかると言われてしまった。
おまけにピアノのような複雑な代物は、廃棄物業者も引き取ってくれ
ないとのことで、小遣い稼ぎどころか、逆にお金を払って処分をお願い
する羽目になってしまった。
日を置いた別の日、実家にたくさん残された、母の着物を売ることに
した。一枚一枚たとう紙を開いてみれば、素人目にも高級なものばかり
とわかる。買い取り業者に着物を見てもらったら、
買い取れるのは高価な訪問着や帯などで、普段着の紬などは買い取れ
ないと言われてしまった。数ある中から微々たる金額で売れたのはほんの
一部だけだった。
お茶やお花をたしなみ、着物を着る知人もいるけれど、着物は着るかたの
背丈や体形に合わせて作るから、小柄だった母の着物を譲ることもでき
ない。CMどおりにいかんではないか。気分がへこんだことだった。
底冷えや音色空しきピアノかな。