59醸のかたがたと。
毎日酒を飲んでいる。日本酒の味を覚えてから、
およそ四十年。毎晩飽きずに酔っ払っているのだった。
馴染みの飲み屋で、旨い肴を頂きながら、北から南まで
あちこちの土地の上等な味に酔うこともあれば、
殺風景な自宅の茶の間で、豆腐と油揚げを突っつきながら、
いつもの安酒に酔うときもある。今年になってから、
仕事の暇な日がつづいている。それなのに、日本酒に散財
するのはこれまでと変わらぬままだから、
お金が減っていく一方で、まことに困っている。
毎晩杯をかさねながら、ときどき思うのは、地元の信州の
酒が、ほんとに旨くなったことだった。
酒の味を覚え始めた頃、個人的に旨いと思える銘柄は、
ほんのわずかだった。味が口に合わないだけでなく、
中には一日中頭の中でガンガン鐘が鳴っているような、
ひどい二日酔いを招く銘柄もあった。そんなわけで、
昔はもっぱら県外の名の馳せた銘柄ばかりを飲んでいた。
ところが、時を経る間に、長野県で新しい酵母や酒米を
開発したり、蔵元が代替わりをして、跡取り息子さんや
娘さんが新たな造りに取り組むようになってから、
旨い味を醸すお蔵さんがだんだんと増えてきたのだった。
かつては名前を聞いただけで眉をしかめた銘柄が、
嘘のように旨くなり、むしろ今では不味い銘柄を探す方が
大変かもしれない。探さないけれど。
かつてお互いに競争相手だったお蔵さん同士が、
代替わりをしてから、協力しあって酒のイベントを開いたり、
酒米を共に作ったり、横のつながりが盛んなのも、好い刺激に
なっていると見受けられたことだった。
十年前に、昭和五十九年生まれの、お蔵の跡取り息子さんたち
が、「59醸」というグループを立ち上げた。
飯山市の北光正宗に中野市の勢正宗に、長野市の積善と
本老いの松に上田市の福無量を醸す五蔵で、
毎年一つのテーマに沿って酒を仕込んだり、長野県内外で
イベントを開いては日本酒の普及に努めてきた。
十年ひと区切りとして、今年を持って活動を終えるのだった。
当初飲み比べてみたら、声に出して言えないけれど、
お蔵さんによる味の優劣が感じられた。
それが今では、
お互いに切磋琢磨しての年月が、しっかり酒質に出ていて、
五蔵それぞれ、まことに旨い味を提供してくれている。
最後の味を少しずつ味わっていることだった。
月涼し59醸五蔵の杯重ね。
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