師走をむかえて。
毎年この時期になると、手描きのカレンダーを作って、
親しいかたに差し上げている。
描きだすまでが億劫で、もうやめようかと思ったものの、
つたない出来でも、もらってくださるかたを思い出し、
一日一枚、十二日かけて、なんとか描きあげた。
あとは、今年撮りためた写真の中からひとつ選んで、
年賀状をプリントすれば、気がかりごとは
終いになる。パソコンを開いて、写真を振り返って、
このたびは、自宅からしばらく歩いた先の坂の上、
夕陽が丘団地で見かけた、桜の写真を使うことにした。
十一月が終わり、向かいの松木さんちの
つたの葉がすっかり落ちた。落ち葉が路地のあちこちに
舞って、松木さんが毎日箒を持って追いかけている。
玄関先のガマズミも黄色い葉が日ごと落葉して、
赤い実だけが鮮やかに映えている。
壁沿いに茂っていた零余子の葉も枯れて、
ちぎって片付けたら、ごろごろとたくさんのちいさな実が
あらわれた。お椀いっぱいに拾って、
茹でて豆腐と和えて、酒のつまみにすることにした。
十一月の十九、二十日は、近所の西宮神社の恵比寿講が
開かれた。だるまや熊手の縁起物の屋台が並び、
参拝客で賑わった。
日を置いた二十三日には、市街地の南側、千曲川の
河川敷で、恵比寿講大煙火大会が開かれた。
コロナ禍で中止の年がつづき、今年は四年ぶりの開催と
相成った。秋の終わりと冬の始まりを告げる、
区切りの花火大会なのだった。あいにくの雨降りの
寒い日で、自宅まで響いてくる音だけ聞きながら、
酒の杯をかさねていた。
近所で野暮用を済ませた帰り、
食堂の長門屋の前を通ったら、入口の品書きに、
鍋焼きうどんを見つけた。善光寺門前はあちこちに
蕎麦屋が在って、うどんを出している店もあるけれど、
鍋焼きは見かけない。
亡くなった父が好きで、ときどき食べに来ていたなあと、
思い出しながら暖簾をくぐった。
店内に先客の若いお母さんと小学生くらいの男の子がいて、
熱々の鍋焼きを、二人そろってふーふーしながら食べている。
和んだ気分で眺めて、
こちらもビールと一緒に注文したのだった。
鍋焼きにあちちとびびる君が好い。