奈良にめざめる
どうしても旅がしたくて、突発的に企画してすぐにでも出発!
というときがありました。
行先に選んだのは「奈良」。
昨年(2023年)の2月のことです。
もうずいぶん昔になりますが、平成前期時代。
中学生のときに修学旅行で行ったはずの京都、奈良。
ほとんど記憶にありません。
なんてもったいないことをしたんだ。。
あのころはあまり興味を持てずにスルーしていた、神社仏閣を本格的に見て回ろう!と決めて、「ぷらっとこだま」のチケットを取りました。
新幹線で京都まで行き、近鉄に乗り換えて奈良へ。
今回は京都観光はせず、奈良に集中。2泊3日で回りきる、という計画を立てました。
じつはその後、年内中に5回も奈良を訪れることになるのですが、"奈良にめざめる"きっかけとなったのが、今回の旅です。
新幹線で約3時間半、近鉄に乗り換え約40分、近鉄奈良駅に到着。
わくわくで胸踊る僕を出迎えてくれたのは、"せんとくん"と"行基菩薩"でした。渋いね!
行先を奈良に決めたものの、詳しい下調べもせずにここまできました。
GoogleMapによると近鉄奈良駅から少し歩くだけで興福寺があり、東大寺があり、春日大社があり、とほぼ隣り合わせで主要スポットを回れる様子。
駅前に見える"大宮通り"の緩やかな坂道をのぼること2,3分。
「奈良に来た!」とはっきり分かる光景が広がります。
奈良公園。そびえ立つ興福寺五重塔。通りの向かいには立派な奈良県庁が見えます。
そして鹿。シカ。しか、、!!
国宝にして国内で2番目に高い塔、興福寺五重塔は2023年7月から2031年まで(予定)、保存修理工事のため覆屋に覆われ、姿が見えなくなるそうです。
全貌が拝めるタイミングに、ぎりぎり間に合った形です。運が良かった。
東金堂内には、20体近い仏像が並びます。
建物自体も含めて、そのほぼすべてが国宝。
圧倒的。すごすぎる。
この時点で恋に落ちてます。奈良に。
意外だったのは、"鹿せんべい"がなくても鹿たちは寄ってくるということ。
「奈良のシカ」として国の天然記念物にも指定されている彼らは、遺伝子的にも千年以上固有のDNAを保ってきたことが、最近分かったそうです。
奈良の街が、人たちが、鹿との暮らしを大切に守ってきたんですね。
悠久の歴史に深い感動を覚えます。
信号が青に変わるのを待ってから、横断歩道を渡る鹿もいました。
感心しつつも、千年前は信号は無かったはずだし、これに関しては悠久の歴史は関係ないかもしれない。
登大路の交差点の地下歩道を通り、その先で向かい側へ渡ると、東大寺です。
土産物屋の並ぶ参道を抜け、まずは南大門へ。
高さ25mを超す南大門は国内最大級の門で、国宝。門の左右を守る金剛力士像(仁王像)も8mを超す巨体で、国宝。
運慶、快慶をはじめとする仏師たちにより2体同時進行で造像され、わずか69日間で完成させたもので、門も仁王像も鎌倉期の東大寺再建時の姿をそのまま残している。
そんな説明文と実物を見比べる。
感動のあまり溜息が出ます。
国宝、国宝、、押し寄せる国宝の嵐。
大仏殿は江戸期の再建の際、11間だった間口が7間にサイズダウンされて小ぶりになったそうですが、それでもこの迫力。
高さは約48m。世界最大級の木造建築。
大仏像は高さ約15m。
デカいよ、みんな。デカいです。
"国宝"という響きをありがたがってるわけじゃないのですが、どれも「さすが国宝、、、!!」と唸らされる存在感で迫ってきます。
稀少であることだけでなく、造形の美しさ、込められた圧倒的なパワーや情熱、といったものを強く感じます。
当時の人びとの"仏教に懸ける"想いの強さが、強烈な迫力を生み出しているように感じられて、大きく心が揺さぶられました。
だいぶ日も傾いてきたところで、
築地塀の連なる通りを、駅方面に戻る形で西へ抜けていきます。
人影はなく静かで、興奮に駆られた僕の心もだいぶ落ち着いてきました。
普段、東京に暮らしていると"お寺"は"お墓"とセットが当たり前で、お葬式や法事のための仏教、というイメージを抱きがちでしたが、それは長い年月を経ての日本仏教の変遷の姿であって、仏教が輸入された当時、まさに文明がまるごと入ってきたようなインパクトを人びとに与え、激しく衝き動かしたのだろうなと、感慨を深めました。
古都・奈良を訪ねて良かった。
奈良にめざめる、冬。
広めの通りに出ると、奈良公園を南北に貫く"奈良街道"です。
通り沿いの"天極堂奈良本店"にて奈良グルメを堪能しました。
満足度はとても高い。
神社仏閣めぐりは時間が限られます。
日が落ちて閉門とともに観光も終わり。
アパホテルの室内で、大量の写真を見返しながら、明日の行程の計画を練ります。
奈良デビュー日の夜は、
とても早く、心地良く、眠りに落ちました。
丸山直己
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