よくばり近畿の旅④京都へ・宇治〜醍醐
京都へ行きます。
乗り換えや通過を除けば、かれこれ中学校の修学旅行以来の京都となりますので、どうしたってワクワクします。
子どものころは寺院などまったく興味ありませんでしたが、それでも三十三間堂の千手観音や清水寺に感動した覚えはあります。
で、大人になったいま、しかも神社仏閣が大好きになっている現在では、「京都」を楽しむにはぴったりだと思うのです。
わくわく。
訪れたいスポットも多すぎるので、まずは「ちゃんとベタなところに行く」のを基本に楽しみたいと思います。
さて、今回は奈良から出発して京都を目指していますので、南側から巡ってみます。
まずはJR奈良線「みやこ路快速」で約30分、「宇治」駅でおります。
まずは"ちゃんとベタな" スポット、「平等院」へ向かいます。
駅からは、東へ宇治川の方面へ進みます。細い路地を抜け、表参道へ。
ちなみに、宇治に着いたからには、さっそく宇治抹茶ソフトを食べようと思ったのですが、なんとぼくの目の前で機会が故障しまして、残念ながら叶いませんでした。
平等院は宗派に属さない、単立の寺院です。
敷地内に位置する浄土宗の"浄土院"と、天台宗系の"最勝院"とが交代で管理にあたっているそうです。
いろいろな形があるんですね。
1052年に、藤原頼通が造営した鳳凰堂。
若いころから摂政、関白として政治の中枢で権勢をふるった頼通も60歳になり、晩年に差し掛かった頃でした。
とはいえ、83歳の長生きだった頼通は、20年くらいはこの鳳凰堂を使い、そしてここで亡くなったといわれます。
建物そのものも含め、堂内にも多くの国宝があり、本尊の「阿弥陀如来坐像」は確認できるなかでは唯一の"定朝"作となるそうです。
この定朝というのがすごい人で、"定朝様"と呼ばれる形式を固め、その後の仏像界の流れをつくる大本となったと言われます。
装飾や表現方法に留まらず、製作技法にあたっても"寄木造"という技法を発明しています。
1本の木から削り出す"一木造"とは異なり、パーツ毎に別の木から彫り出し接続する技法ですね。
そうすることにより、大型の仏像も製作可能となり、しかも分業制により大量生産もできるようになるわけです。
すごすぎる、、!!
実際、現在でも仏像製作にあたっては、基本的には同じ比率と技法が使われていると言います。
あの東大寺南大門の金剛力士像をつくった、運慶や快慶を擁する"慶派"も定朝の流れを汲む流派のひとつだそうです。
平等院を出て宇治川をわたると、川の中ほどに浮島があり、「宇治川公園」として整備されています。
ずっと見ていられる、きれいな景色。
ですが、かつて1184年には源義経軍と木曽義仲軍が激しい戦闘を繰り広げた川でもあります。
対岸にわたり、川岸をすこし駅方向に進むと、右手にゆるやかなカーブを描く坂道があらわれます。
「さわらびの道」と名付けられたその小道を進むと、緑と朱鳥居のコントラストが鮮やかな「宇治上神社」にたどり着きます。
先ほどの平等院とはうって変わって、ここ、宇治上神社には全然ひとがいません。静寂を味わい、じっくり国宝を観察して、観光の穴場的な楽しみかたができます。
素朴で美しい本殿と拝殿は"現存する最古の神社建築"と比定され、1060年頃のものだそうです。
ちなみに本殿は三棟あるのですが、覆屋に覆われて一見すると「?」な雰囲気です。
そこで引き返さずに正面の格子から中を覗き込むと、内殿三社が並ぶ様子を拝めます。
まわりに観光客もほとんどいないので、お得感ありますね。
さて、思う存分"国宝覗き"を楽しんだあとは、散歩がてら川沿いを歩き、駅へ戻ります。
つぎの目的地は"醍醐寺"。
ふたたびJR奈良線に乗り、「六地蔵」駅で地下鉄東西線に乗り換えです。
降りるのは、ふた駅先の「醍醐」駅。
「宇治」駅からの所要時間は、20分くらいです。
駅からは歩いて向かうことにしましたが、意外にもというかイメージと違ったというか、参道が整備されているわけではなく、市営住宅の団地や小さな公園の点在する住宅地を、トコトコとすすむことになりました。
"ザ・観光地"という景色ではないんですね。
駅からはゆるい上り坂。
15分くらい歩いていくと、総門が現れます。
京都の東端、滋賀県に隣接する醍醐山。
この山頂付近の寺域を"上醍醐"と呼び、山麓に展開する伽藍を"下醍醐"と呼びます。
"上醍醐"こそ醍醐寺の起源、と聞けばぜひとも山登りチャレンジをしたくなるところですが、だいたい1〜1.5時間くらいはかかるそうなので、今回は登山は無しで。
おとなしく平地の"下醍醐"を楽しみます。
この"下醍醐"は醍醐天皇の御願により造営、整備され926年には伽藍が成立しました。
醍醐天皇っていうのは、あれですね、菅原道真を追放したひとです。
930年に崩御した後、その御陵が醍醐山の近くに設けられたこともあり、"醍醐"と追号されました。
その後、荒廃し、応仁の乱の時代には五重塔を残すのみとなっていたところ、再建したのは豊臣秀吉。
"醍醐の花見"と呼ばれる大宴会を催しています。
こんかいの旅ではもう葉桜で、花見を楽しむには少し遅かったです。
醍醐寺の敷地は200万坪といわれ、あの東大寺の敷地の10倍にもなります。
あの「東大寺」の10倍、、、!!
すさまじい広さに困惑を覚えますが、これは上醍醐を含む"醍醐山"一帯も境内地に含まれているからなんですね。自然そのまま全部が"醍醐寺"ということでしょうか。
そういえば下醍醐を散策していると、あまり"囲われている"感じもしないので、まさに"そのまま山に続く"感覚を味わえます。
入り口には門があり塀がありますが、建物たちをめぐったその先からは、広がる"森"から奥の醍醐山へ直接アクセスできます。
上醍醐はまたの機会に、登山グッズ持って訪れたいところです。
下醍醐をぐるり一周して総門まで戻り、醍醐を去ります。
出てすぐ目の前の停留所から、「六地蔵」駅へ。
15分くらいのバス旅を終えたら、ふたたび電車旅へ乗り換えて、本日3度目のJR奈良線です。
今度は途中下車しないで、まっすぐ「京都」駅まで。
奈良から京都へ。
平城京から平安京へ。
思ったとおり、いや思った以上に心ときめく京都旅。
ワクワクは続きます。
丸山直己