No.10 日本に渡った更紗
naomariaです。
「更紗マニアへの道」は月一度の更新。めでたく10回を迎えました。情報が混乱しないよう小刻みにお伝えしているシリーズ。インド、ペルシャ、ジャワ、シャム、ヨーロッパと続き、今回からここ日本に伝わり独自に発展した「和更紗」をお届けします。
今日は和更紗の初回ということで、フリーでお届けです。
最初に渡来したインド更紗を「古渡り」と呼ぶ。これは18世紀初期までのものを指し、主にポルトガル、イギリス、オランダによってもたらされた。異国情緒溢れる未知の世界「更紗」は、他国同様日本人も熱狂させた。それらの多くは日本人好みにデザインがカスタマイズされたもの。中には、ヨーロッパやインドなどのテイストをしっかり色濃く残しているものまで多岐に渡る。日本向けデザインは、模様によって「○○手」とそれぞれ名付けられました。
庶民が何枚もの着物を所有することもままならない時代。布はまだまだ高価なもの。当然、更紗の流行はごく限られた人たちの贅沢品だった。特に有名なのが、彦根藩主井伊家。ここに伝わった「彦根更紗」。手鑑(てかがみ)と呼ばれる切れ端を貼った手帖、今で言うサンプル帳です。全450枚あり、そのほとんどがインド製だという。
伝わった当初の更紗は、小袖や間着(あいぎ)をはじめ、茶道具を入れる袋などの小物に仕立てられた。その余り裂を手鑑に貼り付ける。異国からもたらされた見たこともない生地。どれもこれも心を高揚させる浪漫が詰まったものだったに違いない。
他国同様、手描きの模倣から始まり、いつしか独自の発展を遂げ始める。日本には型を使って着物柄を染める技法がある。日本では主にこの「型染め(型摺り)」によって更紗が発展していく。着物の世界では今もなお、このスタイルが多く継承されており、現在も型染めによる「更紗風」な模様を着物の上に見ることができる。
日本に伝わった更紗は、日本各地でそれぞれの得意を活かして発展していきます。ただ、資料が少なく情報が乏しいこともあり、現在知られている更紗の産地は、京都、堺、長崎、鍋島、江戸の5カ所のみ。閉鎖的であった職人の世界では口伝すら技術の後継はまれのようで、文書としての記録はない。「見て学べ」の姿勢でしょうね。そこがまたミステリアスで、より魅力的なのかも知れない。
次回以降は、上記産地の特徴を少しずつお話ししようと思います。
naomaria