保護者の一存で決める習い事の裏側で子どもが本当に感じていること
こんにちは!前に、娘のクラスの友だちが保護者の一存で一緒に通っていたダンスを辞めることになった時、娘が私に発した言葉について記事を書きました。
他にも、ママ友から「子どもの意見を尊重する」というエピソードを教えてもらった話。
今回は、別の子どもに起きたエピソードです。
継承言語の教室に通う子の話
その子は保護者の片方がスペイン語を話す家庭に育ち、楽しそうにスペイン語教室に通っていました。「今後、レッスンでピニャータ(メキシコのお祝い)をやるんだ!」とか「レッスンでは友だちと遊ぶ時間があって楽しい」などと言っていた頃を思い出します。私としては、義則が継承語としての日本語教室をしていることもあって、学校での学習言語と、家庭での継承言語が異なる子どもが「家族と話す言語」をどのように捉え、どんな風に「学校外のレッスン」を楽しんでいるんだろうということに興味があったので、会う度に「最近スペイン語教室どうなん?」と聞くようにしていたのでした。
教室が変わった
ある日、いつものように「スペイン語教室どうよ?楽しんで行ってる?」と聞いた時のことでした。暗い顔をしてその子は言ったのです。
「別の教室に変わった」と。
「え?別の教室?何があったん?前の教室閉まっちゃったとか?」そう聞く私に、
「違う、ママが勝手に変えた」と答えたのです。
「ん?なんで?何でママ、急に教室変えたん?楽しく通ってたやん」
「僕のスペイン語が上手くなってないって。あと、宿題がないのが問題だって。教室が楽しいのは良いけど、楽しいだけじゃあかんって言ってた」
「おぉ…そうか…それは…で、今の教室は?どんな感じ?」
「楽しくない。宿題もあるし、授業も別に面白くない。友だちもいなくなったし、先生も嫌い」
おぅ…これ以上聞くと、逆に辛そうなので、質問はそこまでにしました。「これからまた楽しくなると良いね」そんな励ましの言葉もどこまで届いたのかわからない状況でした。
授業中、急に元気がなくなってしまったある日のこと
実は、この子は私が現地校で授業を担当している子です。その子がある日の授業中、最初の20分くらいまでは元気にしていたのですが、そこから急に元気がなくなってしまいました。明らかにシューんとしていて、配られた配布物に取り組もうとする姿勢が全くないのです。いつもなら英語の授業も楽しく受けているのに、じーっとどこかを見つめて、ぼーっとしています。
私「どうした?具合でも悪い?」
生徒「やりたくない」
私「そっか、しんどい?廊下に出る?一緒に行こうか?どうしたい?」
生徒「・・・」
私「しんどかったら無理にやらなくて良いよ。机に突っ伏してても良いし。何か嫌なことがあったのなら、言えるなら教えて?」
生徒「スペイン語が嫌だ」
私「???…え?あ、今日?スペイン語レッスンなん?」
生徒「行きたくない」
私「そっか。今日はレッスンの日やから思い出してしんどくなってきたんかな?」
生徒「(コクン)」
私「どうしたい?廊下に行く?それでも良いよ」
生徒「廊下に行く」
この時はTAという立場だったので、連れ添って廊下に出ました。その後、その生徒は廊下にある柔らかいソファーに寝転がって、天井を見ていました。色々話を聞くと、放課後のスペイン語レッスンのことを考えたら、急に目の前のことをやりたくなくなったそうです。
何故、自分が楽しいと思える状況を自分で選べないのか
いつもは元気な目の前のその子の状況が、自分が教えてもいない日本語教室の生徒の状況のように見えたのは「継承語レッスン」を「自分の好きなように選べない」という不自由を抱えた過去の生徒たちを思い出したからかもしれません。
そして冒頭でも紹介した、ダンスを保護者の意向で辞めさせられた娘の友人とも被るところがありました。
私が読んだ「サードカルチャーキッズ(TCK)」という、保護者とは異なる第3の文化を生きる子どもたちの成長において「子どもが自分で選択できると感じることの重要性」が書かれています。そのTCKの本には駐在家庭の子どものことが多く書かれているのですが、いわゆる「自分で住む場所、時期を選べないという不自由」を抱えて生きている子どもたちに、どのような手立てや配慮を施すことでTCKの成長を適切に促すことができるか…という内容で書かれています。
その生徒が以前は楽しくスペイン語教室に通っていた姿を知っている身としては「ママよ!何故"楽しく通えている"という状況をポジティブに捉えらえなかったのか!!」という言葉が喉のところまで出そうになりました。もちろんそんなことを本人には言いませんが…
「勉強が楽しい訳がない」という保護者の思い込み
その生徒いわく、今は前にはなかった「宿題」もあって、それを語る口調から「スペイン語を学ぶこと自体、もう楽しくないと感じ始めているんだろうな」ということが感じられました。その生徒が言うように、ひょっとしたら保護者からすると「スペイン語が上達していない」という焦りがあったのかもしれません。「このままではお金と時間がもったいない」とか「あの子と比べてうちの子は勉強が足りていない」というような相対的な比較がプレッシャーに感じたとか…?
でも、その生徒を1年以上指導している私としては、その生徒の成長は"しばらく待った後"にやってくるということを感じています。逆に、適切な環境があれば伸びるので、最初は足踏み状態に見えたとしても、それはその生徒なりのペースの中で「様々なことを吸収しているフェーズ」にいるということなのです。何より、「とにかく教室に行ってみたら楽しい」というような気持ちがあって、講師や先生との関係性が出来上がり、そこからやっと「問題もやったらできるかも」という感覚を手に入れていくのかもしれません。
そこで「勉強なのに、楽しんで行く訳がない。何か良くない要因があるはずだ」とか「宿題がないから上達が遅い」とか、「勉強は苦労しないといけないもの」として捉えてしまうと、結果的に子どもは追い詰められて「自分の楽しさと付き合いながら勉強すること」を失って「やらないといけないものだからやるしかない」と切り替え始めていくこともあります。
結局、その生徒の不満はそこにあったように感じます。「何故、僕のペースを待ってくれないのか」と。そして、そのショックが保護者の見ていない学校での授業にまで影響を及ぼしてしまっているのです。これは結構深刻だなと思いました。
子どもの成長を待てない、自分の価値観を押し付けることを止められない
「楽しいから学べる…そうは言っても、人生には我慢も必要」そう考える大人は少なくありません。もちろん人生に「忍耐」が皆無ということはないでしょう。
でも、私は多くの場合、それは保護者や大人たちが子どもたちが納得できるような説明を怠っている場合に多いような気がします。さらに言えば、私たちが「子どもが理解、納得できるような説明ができないフラストレーション」を処理することができないがために、そっくりそのまま「仕方ないのよ」と押し付けてしまっていることも多いのではないかと思うのです。
「何でスペイン語をやらないといけないのか?」
「何故、日本語を勉強しなければいけないのか?」
「このプリントを涙を流してやる意味は?」
「何で"C"は下から書いてはいけないのか?」
「漢字の書き順にこだわる理由は?その理由って本当にそうなの?」
子どもが納得いっていないにも関わらず、
「これはそういうものなの」とか、
「つべこべ言わずにやりなさい」と押し付ける割に、
「主体性がない、積極性が足りない」とか、
「やりたいことが見つからないようで不安」と言って、
子どもからしてみたら、保護者の発言には「???」だらけなことも多いのかもしれません。ちなみに子どもは疑問を抱いても、ちゃんと言うことを聞きます。自分の「???」を打ち消す力を持っています。
それは、そうした方が、あなたに愛してもらえるから。
納得がいかなくても言われたらやろうとします。
納得する必要性よりも、愛される必要性を取りたいから。
「面白くないけど、行くしかない」
話を戻すと、それからというもの、本人がスペイン語教室のことを楽しく話したがらないので、私も聞くことをやめるようになりました。
最後にその子が言った一言は。
「面白くないけど、ママがそう言うから行くしかない」
あんなに楽しそうに話してくれていたスペイン語教室…何故…(うぉおぉおぉおぉー…)。この子が失ったものは結構でかいのでは…
でも、私に出来ることはほとんどありません。学校から離れた、学校外の習い事のこと。流石に、あれから授業中にスペイン語が原因で授業参加を拒否することはなくなりましたが、相変わらずスペイン語教室のことはポジティブに話しません。齢7歳…もう何かを悟ってしまったようです。
その子を見ていて、学校というのはつくづく特殊な場所だなと思いました。時に保護者に見せない顔を見せてくれる場所とも言えます。保護者が「良かれと思って」やっていることは、実は本当は子どものためにはなっていないこともあって(もちろん全てではありません)、保護者が期待する気持ちもよくわかるから、子どもはそれを懸命に理解しようとして、でもまだまだ幼いでの自分の中で全部を整理することはできなくて。
私たちの会話は今のところ、これで終了しています。
「ママに"前の教室に戻りたい"って言うことは難しいん?」
「それはできない。それは時間の無駄」
「子どものため」って何だろう。しばらく控えているスペイン語教室の話題。もしいつか「楽しくなってきた」と言ってくれる日がきた時、その子は前の教室が「本当に楽しかったこと」を忘れてしまっているのだろうか、と思うのです。