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英語で久しぶりにプレゼンをやってみて
こんにちは!8月に自分が企画するオランダの学校視察ツアーが終了しました。その際に、視察先の学校から「日本の教育制度や実態について軽くプレゼンをして欲しい」という要望があり、私が代表としてプレゼンをしたのでした。
いつもは教室のデジタルボードを使って児童生徒に話をしていますが…英語で大人向けにプレゼンをするのは結構久しぶりでした。結局、発表前日まで完成しかけのスライドが完成せず、前日の午前2時に完成するという…ちびまる子ちゃんバリの追い込みで完成させたのでした。笑
「どうせなら笑わせたい」という欲求が隠せない
TEDやスタンドアップコメディを観たことがある人ならわかると思いますが、どんな真面目なプレゼンでも「ちょっとした笑い」を入れ込んだ方が聞いている方も楽しめるのがプレゼン。
京都生まれ京都育ちの生粋関西人にとって、終始笑いのないプレゼンは(私が)耐えられないというのが本音です。← ということで「どこで笑いを取れるかな〜」ということをどうしても考えてしまうのでした。
30秒に1回笑わせる!というのは無理でしたが、複数回は笑わせることができたと思います。後になって「あそこでこの流れにしたらウケたはずやのに!」と思うことも色々あって「それやったら早く取り掛かれし」と自分を叱ったのでした。
字は大きく、1枚のスライドに文字を載せすぎない
これは「良いプレゼン」の基本ですが、プレゼンのスライドに大量の文字を載せる人は結構多いように思います。恐らく縛られているのはこの辺。
・詳しい情報を正しく伝えなければいけない
・↑の内容を自分の中で整理できていない
・詳しさや正しさに縛られて「自分のことば」が生成できていない
高校教員時代、私の授業は「ほぼ全て」スライドで作っていました。文字のサイズは「絶対に大きめ」が鉄則。文字が小さいと「細かいこと」という印象を一発で与えてしまうからです。そして、文字が細かい人に限って、案の定書かれていることをそのまま読み始める人がほとんど。
自分が「げんなり」するプレゼンは、人も「げんなり」する可能性が非常に高いのです。作ることばかりに集中したり、一生懸命になっていると、そのことを忘れがちです。そのプレゼン、見ていて引き込まれますか?
デザインにはこだわる
私はプレゼンを作る時、Canvaを使用しています。有料会員なので全ての機能にアクセスが可能なのですが、Canvaには非常に質の高いイラストや写真が溢れていて、文字にするよりもイラストや写真で表現した方がわかりやすいと感じられるコンテンツがたくさんあります。
教員時代は、プロジェクターに映し出すと部屋が明るすぎる…ということが起こりやすかったので、背景は黒や紺色など暗い色にしていました。そして文字を白や黄色などにして、見やすくしていました。実はスライドの背景は暗い方が見ている人は集中できます。
ただ、今回のような授業ではないパターンでは、見ている人が「理解しやすい」ということが重要なので、イラストなどを使って「わかりやすい」ということを中心にして、文字の量も減らしました。自分の中で考えがまとまっていれば、絵とちょっとした一言があれば何を話すのかは自然と出てきます。
途中でスライドをストップして質問を受ける
その時にどれくらい時間が用意されているかによるのですが、海外では「それってどういうこと?」と思った時に質問をすることが当たり前のようにされています。よって、喋ることに必死になりすぎず、途中でブレイクを。
「ここまでで何か質問はありますか?」と聞けば、だいたい1人か2人くらいは質問を投げてくれる人たちが存在します。質問がくることによって「ここはちょっとわかりにくかったんだな」ということもすぐにわかるので、また次回同じ内容をする時は手直しする箇所もわかりやすくなります。
日本の教育の魅力も
日本の教育に関しては「海外と比べて劣っている」という理解が加速気味だなと思うのですが、自分たちが「価値」だと感じていないことが、異文化の人々にとっては「価値」であることも結構あります。
例えば、個人主義が生き過ぎているという意見が出がちなオランダでは、日本の給食文化や、掃除文化…といった「自分たちの生活を自分たちでマネジメントする」という一体感やそこに生まれる規律に関して、高い評価を受けることがあります。
「同調圧力」とか「強制」という言葉で片付けられがちなこれらは、もちろん行き過ぎるとマイナスな効果をもたらすことにもなりかねませんが、「それが足りなくて困っている!」という文化からすると、簡単に積み上げられない習慣にこそ価値がある….!となる場合があるのです。
ということで、日本の教育の課題はもちろん、他にも色々ある日本の教育の魅力についてプレゼンすることで「日本の教育に改めて自信が持てたかもしれません」という声も参加者の方々から聞こえました。そういった意味では、「自分たちの教育文化を見直す機会」を与えられたことは嬉しい経験でした。
「良い」「悪い」に偏らない、「魅力」と「課題」の入り混じり
「白か黒か」というところに縛られることを嫌う人たち、何か問題が起きたら「話し合う」という、最も非効率だけれど様々な人たちの意見が取り入れられるという点でwin-winな結果を好む人たちにとって、偏りや、暗に誘導されているような意味合いのあるプレゼンテーションは好まれません。
そういった意味で、今回のプレゼン作りは「中立」という立場をかなり意識しました。「こんな課題もあるけれど、こんな魅力もある」という切り口でスライドを作れたことは、これまでに直面して来た、様々な場面での学びが生かされたということかもしれません。
オランダと日本では文化的なものが大きく異なります。でも、それは「何かが出来ない」とか、「無理である」ということに必ずしも繋がりません。見方を変えれば、自分の文化に精通する部分や改良できる点にも繋がる…もしくは、対岸の火事とは言い切れないという意識を持つことにもなります。
「伝えたい」という気持ちに言語機能を乗せていく
今回のプレゼンを通して自分自身がとても強く自覚したのは、英語でも日本語でもプレゼンをする時に1番最初に重要なのは「伝えたい」という情熱だということでした。よく「英語が話せるようになりたい」という人たちには、「話せるようになったら、明るく自分の意見や思いを表現できる人間になれる」という思い込みを抱いている人がいるように思います。
極端な話、めちゃくちゃシャイな人が英語を学んだからといって性格は変わりません。もちろん、(英語という)言語の特性によって、表現自体が直接的になったり…ということは多少あるとは思いますが、基本的に言語はその人の人間性に乗っかるツールです。
私は(日本語で話していても)元々あっけらかんとした性格なので、英語を話してもそこまで性格が変わるような感じはしないのですが、そもそも日本語であれ英語であれ「伝えたい」という情熱は人一倍あるような気がします。そして、その情熱が原動力になって、言語機能にその想いを乗せていく…という感覚が生まれます。
これは高校生にもよく言っていたのですが、英語が話せるようになりたいのであれば「自分は何を伝えたいのか?」というところにリーチすることです。自分の中に「伝えたい想い(想いとまではいかなくても相手に知って欲しいこと)」があれば、文法的な間違いを冒すことも「平気」になっていきます。一方で、伝えたい内容への情熱よりも「言語機能」や「正しさ」に重点を強く置いてしまうと、自分のミスに落ち込んで立ち上がれなくなります。笑
そういった意味では、「正しさ」はほどほどに。というところでしょうか。
何はともあれ、今回の英語プレゼンは自分の「想い」を再確認する貴重な機会となりました。今後またプレゼンをする時のために、さらに自分の表現力を磨いていこうと気付ける良いチャンスでした!
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![🇳🇱三島菜央<現地小学校TA/ET|元高等学校教諭>](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/93184515/profile_3f6db3e537c4f6c3f63e3cf40a5108e7.png?width=600&crop=1:1,smart)