子どもと一緒に読むオランダの性教育絵本
先日、こんなツイートを見かけました。
オランダでは2012年から性教育が義務化され、オランダの現地校に通う娘も学校で「性教育の始まり」のようなものを学んでいます。
...しかし、まだまだこちらの経験や知識が十分ではないと感じている今日この頃。
このツイートがきっかけとなり、私も自分でオランダの性教育の絵本を買ってみることにしました。
そこで今回は、
を参考にしながら、オランダの性教育について書いてみたいと思います。
日本での性教育や性に関するイメージ
これは私がまだ教師1年目の頃の話ですが、教卓にコンドームを置かれるという事件がありました。
当時の生徒たちは「教卓にコンドームを置く」という行為が「おもしろいもの」だと信じ、当時20代半ばだった私の反応を見たかったのだと思います。
教師1年目の私の対応が、正しかったのか間違っていたのかは未だに分かりません....しかし、「性に関することは面白いことではない」という態度を示さなければ!という思いは強く持ち、生徒に向き合おうとしていたことを覚えています。
日本ではまだまだ「性」について語るということはどこか恥ずかしく、語り合うことがタブーであり、恥ずかしさ故に茶化してしまうのかもしれません。
しかし、オランダの性教育について学べば学ぶほど、性教育というのは決して「身体の仕組み」だけのことではない。ということを知るようになりました。
リヒテルズ直子さんの「0歳からはじまるオランダの性教育」という本
日本とは対照的に、オランダでは性教育が教育カリキュラムに入っていて、
子どもたちにとって性の話は「おもしろ可笑しいもの」として捉えにくいかもしれません。
私が出会ったオランダ人の20代の女性たちに性教育の話を聞いてみると、
「授業ではコンドームの付け方も学ぶし、ピルの服用についても男女で一緒に学ぶのが普通よ」
と、毅然とした態度で答えてくれました。
「コンドームの付け方を男女で一緒に?!」
「ピルが何なのか、小学生のうちから学ぶの?!」
目玉がぶっ飛びそうになった衝撃を今でも覚えていますが、そのことを知るきっかけになったのが、リヒテルズ直子さんの本でした。
この本にはまだ日本にいる頃に出会ったのですが、
オランダという国の家庭や教育において「性教育」がどのように扱われているかを知るのには、とても有益な本だと思います。
年齢別にどのようなことを学ぶのかということが細かく書かれていて、
性教育というものが何故大切にされなければいけないのか、ということがとてもよくわかりました。
また「教育カリキュラムとして学ぶ性教育」について知りたいという方にもとてもお勧めの一冊です。
NEE!というオランダの本
そして、そのリヒテルズ直子さんの「0歳からはじまるオランダの性教育」という本の中で紹介されていたのが、"NEE!"という本です。
"Nee"はオランダ語で"No"を意味します。
日本語にすると「嫌だ!!」という意味になると思います。
この本は、家庭や学校での性教育の始まりの1冊として紹介されていました。
表紙には男の子が描かれていて、"NEE!"と叫んでいます。
オランダのサイトで性教育の本は、
"seksualiteit boek kinderen"という言葉で検索できますが、実際に調べてみると、この本以外にも様々な本が検索結果にあがってきました。
「自分(の身体)は自分のもの」だから、自分の権利を大切に
「自分の身体は自分のもの」
この言葉を多くの人が当然のこととして捉えているとは思いますが、
「自分の身体を所有し、そこに権利が伴う」
ということがどれだけ深い意味を持つか....
そのことについて、私自身、そこまで深く考えたことはなかったように思います。
しかし、娘の学校の教育活動を見ていると、
「自分の身体は自分のもの」であるという教育をしっかり受けているように思います。
また、それは同時に「その人の身体はその人のもの」という教育でもあると理解できます。
先ほど紹介したNEE!という本の冒頭にはこんな文章があります。
この段階では「身体のこと」や「接触」についてはまだ触れていません。
しかし、接触のあるなしに関わらず、
「自分が嫌だと思ったら、"嫌だ!"と言ってもいい」
ということが、冒頭で全面的に認められています。
それは、時に逃げることかもしれません。
他の人にとってみれば「こんなことくらいで嫌がる?」ということかもしれません。
しかし「自分が嫌だ」と思ったことからは逃げても良い。
だって、あなた(の身体)はあなたのものだから。
そんな風に語りかけてくれます。
つまり身体の接触を含め、「嫌だ」と自分の判断基準に従って言うことは、
あなた自身を守るために必要なことだと教えてくれます。
そして、自分以外の誰かが「嫌だ」と言った時は、それを尊重する必要がある。ということです。
他人が示す「イヤだ」や「良いよ」の表現は、自分が思っているものと違うかもしれない?
その後、「嫌だ」や「良いよ」を意味する様々な方法や、シチュエーションが描かれています。
これらは本に書かれている内容の一部ですが、娘も学校で同じようなことを習っているように思います。
例えば、
「本当にやめて欲しい時はどうやってやめて欲しいことを伝える?」や、
「言葉が話せない人はどうやって"嫌だ"って言うんだろう?」や、
「胸の前で大きくバツを作るのは、イヤってことなのだろうか?」
という風に、
ということを学んでいるのかもしれません。
自分と人は異なるけれども、自分が嫌だと思ったらその状況を避けても良い。つまり、異なることは当たり前だけれど、まずは自分の気持ちを大切にしても良い。
「性教育」と聞けば、生物学的なことを学ぶだけかと思う人も多いかと思いますが、決してそれだけではない学びが含まれているように思います。
「嫌だ!」と思っても、しなければいけない「時」と「こと」がある
ただし、「嫌だ!」と思ったとしても、その「イヤ」が必ずしも受け入れられない時がある。と本には書かれています。
「嫌だ!」と言うことで、その相手が譲歩してくれるかもしれない。
ということにも本の中では言及されています。
自分が意思表示をするのは、そのことを相手に伝えるから...ですが、
そのことを伝えることで相手が自分を、より理解してくれることがあります。
「あぁ、自分はこんなこと全然気にならないけど、この子は嫌なんだ」
親子間でも、子ども同士でも、
「嫌だ」と伝えることで、相手が何かしらアプローチの方法を変えてくれることがある。
しかし、それは意思表示をしなければ起こり得ないことかもしれない。
だから「嫌だ」は言って良い。
むしろ「言ったほうが良いこと」だと教えてくれます。
NEE!という本の続き
その後、本はこんな風に続きます。
・「嫌だ」の言い方にも注意した方が良いこと
→人を傷つけないための「嫌だ」の言い方
・「嫌だ」と思っても「良いよ」と言った方が人が喜ぶ時があること
→家族のお手伝いなど、人のためになる時には「良いよ」と言ってみよう
・動物にも「良いよ」や「YES」の表現があること
→どんな様子を見て動物の「YES」を判断できるかな?
・誰かがあなたの行動に対して「嫌だ」と言った時に考えなければいけないこと
→相手はどんな気持ちで言っているのか、それは何を意味するのか
「やめて」「嫌だ」と誰かが言った時にはやめよう
前述した通り、人にはそれぞれの価値観があります。
よって、自分が
「これくらい良いじゃん」と思うことも、相手にとってはすごく嫌な場合がある。
だからこそ、自分の意思をきちんと表明することが大切だと書かれています。
そして、仮に自分のした行為に対して「嫌だ」という発言を受けた場合は、
すぐにやめた方が良い。と本には書かれています。
大人に向かって「やめて」「嫌だ」と言うのが難しい状況
また、この本の中には、子ども目線で大人に対して、
「うん、いいえ?どう答えたら良いのかわからない」や「やめてほしいな」と思うような状況が描かれています。
例えば、
こんな状況でも、この本は"NEE"と言うことを推奨しています。
子どもが大人に気を遣う必要はなく、自分が「嫌だな」と思ったら、
「やりたくない」「嫌だ」と、言い方に注意して言っても良い。
と伝えています。
そして、この本を読む大人に対しても、そういった子どもの気持ちを尊重してあげるように。と伝えているようにも思えます。
人を助けるための"NO"
この絵本では、「嫌だ」や「やめて」という言葉は自分を守るためだけではなく、嫌なことをされている人を守るための言葉であるとも説明されています。
自分だけでなく、人を守るためにも意思表示をすることは大切なのだ。
と何度も何度も、自分の気持ちを相手に正しく伝えることの大切さを説いています。
誰かがあなたの身体を触ることについて
冒頭から様々な状況や方法で、
「NO」と言うことの大切さ、
「嫌だ」や「やめて」ということの大切さを説き、
自分が意味する「NO」という言葉が必ずしも誰かの「NO」と一致しないこと。
だからこそ、誰かの「NO」というサインを受け入れなければいけないということをが伝えられてきました。
そしてここから「誰かがあなたに触れること」という「接触」に関わる内容に入っていきます。
「あなたが困っていて、助けを求めている時に助けてくれるごく限られた人だけが、その助けを必要としている時に限って身体を触ることができる」
これはとても大切な概念だと思います。
そして、仮にあなたが「嫌だ」と思うのであれば、それは伝えても良い。
そうすることで、相手もあなたが嫌がっているということがわかるから。
そんなことを教えてくれます。
知らない人が話かけてきた時はどうするのか
自分は助けを求めている自覚がないけれど、大人が助けるような素振りで近づいてきた時。
子どもは混乱するのではないでしょうか。
「今この状況は、自分では困っているとは自覚していないけれど、大人からみたらそうなのかもしれない。だから、この人は私を助けるために私に話しかけてきているのかもしれない」
子どもは時に自分が未熟であることを理解し、大人の行動を善だとする生き物かもしれません。
ここで気づかされるのは「性教育」とは「自分を守るための学び」だということです。
決して、人の身体のことだけではなく、そこから派生する「自分の身体や気持ちに関する権利」こそが性教育だということに気づかされます。
最後にあなたと確認しておきたいこと
本の最後には、この本を読んだ大人(多くの場合保護者)とその子どもとの間に結ばれるべき約束について書かれています。
「もっとたくさんの約束があれば、話し合ってみると良いですね!」
と、書かれています。
大人に「このことは秘密だよ」と言われたら?
性被害に遭う子どもたちは多くの場合、
「このことは二人だけの秘密だよ」
と言われるのではないかと思います。
相手が二人だけの秘密にしておきたいと望んでいるのに、それを周囲の他の誰かに言うのは相手のことを裏切る行為になる...
どこかで「これって本当にしても良いことなのかな?」と思いながらも、
それが家族だったり、身近な人物で、しかもその人がどこか自分に好意を抱いていると感じている場合、「秘密」を明るみにするのは悪いことのように思えます。
このメッセージはとても大切です。
大人が「秘密だよ」と言った時、その秘密が「楽しい秘密」か「楽しくない秘密」かを判断する方法を教えてくれます。
「嫌だ」と言える基準を教えてあげるということ
あらゆる文化において、時に「嫌だ」と言うことは「わがまま」だと捉えられることがあります。
もちろん、何かをする時に「嫌だ」ということが許されないことは、社会性を身につけていく中で学ばなければいけない時があるかもしれません。
しかし、その基準につけこみ、
「これはちっともおかしくないことだよ。みんなしていることだよ」
と、子どもの判断がつきにくいことを利用する人たちがいます。
そこで「どこかおかしいな」と思いながらも「嫌だ」と言えないのは、
自分の中に判断基準を持っていないからかもしれません。
周囲への配慮とか、気遣いとか、子どもながらに頭をフル回転させて、
「今は嫌だと言うべき時じゃないんだ」
と、懸命にその状況を理解しようとするものです。
しかし、この本は「自分の気持ち」を大切にすることを教えてくれます。
例え「嫌だ」と思っている自分が100人の1人の人間だったとしても、
「嫌だ」と配慮を持って言うことは罪でも何でもない。
むしろ、それを言うことで周囲があなたを理解し、より良い方法を見つけ出すように行動してくれるかもしれないのです。(もちろんあなたの歩み寄りも時に必要になるかもしれません)
だから、自分の意思表示をきちんとしよう。
自分を理解してもらうために。そして、人を理解するために。
そんなことをこの本は教えてくれます。
この本は比較的年齢の低い子どもたち向けの本ですが、
とてもわかりやすく、子どもたちに性教育の基礎を教えてくれます。
次の記事ではもう少し高い年齢層の子どもたち向けの本についても書いてみたいと思います。
さて、長文になりましたが、お読みいただきありがとうございました!
オランダの性教育の絵本の内容を少しでもお伝えできたのであれば嬉しいです!