小学校の懇談で印象的だった質問
こんにちは!先日、娘の小学校で担任との懇談がありました。オランダの小学校ではほとんどの場合、家庭訪問はありません。これまで1校だけ「家庭訪問をしたことがある」という学校に出会ったことがありましたが、「学校にとってかなりの負担になるのでやめた」という話をしていました。
「家庭の状況を把握することは、よりよい教育活動を行いたいという私たちにとって"無関係"だとは言わないが、かなりの負担になる。家庭の状況を知ってしまった以上、そこに"介入しないという選択肢はない"ということになること自体が、教職員の負担になることもある。そこはソーシャルサービス(社会福祉)と協力、役割分担する必要がある」と言っていました。
これまで何度か懇談についての記事も書いてきましたが、今回の懇談で特に印象的だった担任からの質問について書きたいと思います。
小学校の懇談予約プロセス
一般的には「年に2回、15分」の懇談回数を設定していることが多いオランダの小学校ですが、もちろんその事情は学校によって異なります。一方で、懇談日程の決定が紙で行われている学校はほぼ皆無に等しいのではないかと思います。
多くの小学校では、懇談予約を行う際に学校が採用している連絡用アプリにその機能が付帯していることが多いようです。私たちの娘が通っている小学校の懇談プロセスはこのような感じ。
学校から「懇談が始まります!」との連絡が入り、「懇談期間」と「懇談日の予約期間」の告知
「予約期間」がアプリで開始されると、保護者が懇談希望日をオンラインで入力。基本的に早い者勝ち!(私はアラームをセットして応戦。笑)
自分が選択した懇談日時に学校へ行く
担任や学校との直接的なやりとりは全て割愛され、保護者とシステムとのやりとりで完了します。とってもスマート。
懇談はどんな形態で?
懇談がどのように行われるかはかなり学校によります。
・保護者と担任のみ
・生徒と保護者と担任(三者懇談)
一般的にはこの2つに分類されるかと思います。
娘の小学校の場合は、保護者との懇談が予定された日の前日に、担任と当該生徒だけで10分ほど話をするそうで。そこで児童生徒から聞いた話を保護者との懇談材料にするようです。
うちの場合、懇談の時間は「(きっかり)15分!」これまでの担任によっては、入室して席につくとタイマーを設定する担任もいました。子どものことに関しては色々話したいことはあるとは思いますが、時間は有限。担任もまた時間がくれば帰宅しなければいけない家庭人であることも事実です。ちゃんと聞きたいことをまとめて臨むというのもこちらの姿勢として大切だと気付かされます。
ということで、今回もきっかり15分で終了しました。
「何が聞きたいですか?」という担任の姿勢
懇談と聞くと「先生は何を話してくれるのだろう」と思いがちですが、席につくなり問われる姿勢は「(保護者として)どんな質問がありますか?」というところかもしれません。「何かおもてなしを受ける」という感覚で懇談に向かうのではなく、「限られた時間でこれを聞きたい」という目的意識をもって臨むことも、ある意味マナーかもしれません。
今回も「何か聞きたいことはありますか?」という質問から始まりました。私たちが気になっていることを先に聞き、担任は色々と回答をしてくれました。
そこで初めて彼ら/彼女たちの質問が出てきます。
・学校では楽しそうに過ごしているように見受けられますが、保護者の視点から見て、お子さんは楽しそうに学校に通っていますか?
・家庭で頻繁に学校の話をしますか?それはどういったものですか?
・学校から帰宅してから、休み期間中など、家庭ではどのように過ごしていますか?
そんな一般的な質問を受け、答えさせてもらいました。
印象的だった質問
その中で印象的だったのが、
「1つ質問があります。A(子ども)は何か困難に直面した時、どのように物事の解決にアプローチする子だと思いますか?」
という質問でした。
ふむ。面白い質問だけれど…と思いながら、私なりに思う彼女の問題解決のアプローチの方法を説明しました。「先生はどんな意図があってこの質問をするんだろう?」と一瞬思ったのですが、その意図を確認することなく懇談は終了しました。
「先生のあの質問の意図は何だったのか…」
そんなことをぐるぐると考えながら帰路に着いたのでした。
「他者に助けを求めることができる」という社会的スキル
そんなことを考えながら帰路につきながら、ふと、オランダの通知表の項目にある「他者に助けを求めることができる」という文言を思い出しました。この項目があるかどうかは学校の通知表にもよるのですが、社会的スキルとしての項目を目にしたことは何度かあります。
「ひょっとしたら、あの項目についての質問だったのかな〜」
なんて思いを巡らせたのでした。
日本人(というとちょっと主語が大きすぎますが)は、「人に迷惑をかけるな」とか「まず人の助けを借りるよりも自分で解決に努めよ」という教えをもらうことが多いかもしれません。後者に関しては私も賛成ですが、その「度合い」というものが「極限」に設定されていることが多いかな、とも。
一方で、オランダでは「困った時に人に頼る力」は、社会の中で生きていく時に「必要なスキル」として認識されていることが多いように思います。「できない」とか「無理だ…」と思った時、
・自分の今の感情
・何が難しいと感じているのか
・どこに助けが必要で、具体的にどこを助けて欲しいと思っているのか
こういったことを明確に言語化し、相手に伝える能力を持っていること。これはある種「自立」の一部だとも認識されることがあります。そうすることで、支援する側も適切な援助や支援を用意することができることで、支援される側のニーズに応えることができるのです。また、本人が欲しているものをきちんと享受できることができれば、当人も安心することができたり、自分1人で何かを背負う必要がないということを、経験を通して理解できるかもしれません。
「助けを求めること」が苦手かもしれない?
そう考えた時、「助けを求めること」は私たちの子どもにとってちょっと苦手かもしれないな…と思いました。もちろん、家族の中では「これちょっと手伝って欲しい」とか「こうやってくれると、これができるようになる」なんてことを言うことはありますが、果たしてクラスでは…?うーん、どうだろう。
そう思うと、娘に対して「人に頼ること」の必要性を少しずつ伝えて行けたらいいなと思いました。ひょっとすると、私たちの生き方自体が「人には頼らない生き方」という印象を与えているのかも?とも思ったのです。
子どもは教えたようにするのではなく、私たちが大人の生き方、背中から学んでいることも多いように思います。口で説明するよりもずっとたくさんのことを、大人の背中から学んでいるように思うのです。
だからこそ、私たちは「自分の生き方」をもっと見直す必要があるのだと感じます。子どもへの期待を膨らますのは結構ですが、その根本は自分たち大人、保護者の足元にあるということ。
今回の懇談からはそんな大切なことを学ばせてもらったような気がしました。
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