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子どもが不必要に学校を欠席したら罰金?

こんにちは!先週とはうって変わって快晴続きの毎日が続いています。最高気温が27度の日もあって、ちょっと暑過ぎる…ほとんどの家庭でクーラーのないこの土地では気温が上昇しても熱を逃がす術があまりありません…

さて、最近よく質問として受ける「学校を休むこと」について書きたいと思います。もちろん、ここには不登校という概念も含まれます。タイトルの通り、オランダでは子どもが不必要に学校を欠席した場合、保護者が罰金刑を受けることがあります。そこには、この国が「学校教育」をどのように捉えているかということが根本にありそうです。

義務教育機関は5歳の誕生日から16歳の誕生日まで

オランダにおける義務教育機関は当該の子どもが5歳の誕生日を迎えた日から16歳の誕生日を迎える日までと義務教育法3条で決まっています。一方で、多くの16歳の学生はまだ中等教育後期に属していることが多く、国は在籍している学校におけるディプロマ(卒業資格)を取得することを強く推奨しています。

「子どもが学校に通えない/通わない」5つの理由

義務教育期間において、子どもが学校に通えない、もしくは通わないとされる理由は大きく分けて5つあります。

  1. 在籍できる学校がない ※信条などの不一致、空きなし

  2. 病気に伴う深刻な病状などの理由で通うことができない

  3. 理由もなく行かない、もしくは不登校(何らかの理由があって行けない)

  4. オランダ国外の学校に通学している(国境沿いの住居)、または保護者の仕事上都合などにより通学が難しい

  5. 自己都合によって行かない ※旅行など

  1. 在籍できる学校がない
    オランダには学区制がないため、保護者は子どもが通う学校を選択しなければいけません。一方で、家から通える距離にある学校に空きがなく学校に在籍したいのに出来ない場合、または宗教や信条によって在籍できる学校が限られているにも関わらず、そこでも空きがない場合などにおいては一旦例外扱いとなり、早急に児童生徒が学校に在籍できる状況が作り出せるように手続きが行われます。

  2. 病気に伴う深刻な病状などの理由で通うことができない
    入院を伴うような病気や疾病が原因で学校に通えない場合は欠席が認められます。

  3. 理由もなく行かない、もしくは不登校(何らかの理由があって行けない)
    まず、理由もなく学校に在籍しない場合、この責任は保護者にあります。1の通り、学区制がないこの国では、子どもが在籍する学校を保護者が決める必要があります。また、子どもが何らかの理由があって学校に通うことができない場合、児童生徒がその状態に至るまでに、どのような過程があったのかということが最も重要視されます。例えば、学校は当該生徒が学校へ通える(戻れる)ために何にどのように尽力したのか、また保護者は自身の子どもが「教育を受ける権利」を享受するために可能な限り手を尽くしたのか、などが問われます。ここで重要なのは、不登校になった児童生徒に一切の法的責任は問われないということです。あくまで、当該生徒を取り巻く環境において行動を起こすことができる大人たちが、当該生徒の学校復帰に向けてどれだけ手を尽くし、尽力したかが問われます。

  4. オランダ国外の学校に通学している、または保護者の仕事上都合などにより通学が難しい
    別の国々と隣接しているこの国では、オランダに住所登録をしていながらも隣の国、例えばベルギーやドイツの学校に通学している場合などがあります。そのような場合はオランダの学校への在籍義務が免除されます。また、保護者の職業が移動を伴うもの、例えばサーカス団などに従事している場合などは例外的に認められる場合があります。

  5. 自己都合によって行かない ※旅行など
    オランダにおいて義務教育期間に児童生徒から「教育を受ける権利」を剥奪することは基本的に許される行為ではありません。一方で、毎年約6,000名の児童生徒が、家庭による自己都合によって学校を欠席するという行為が報告されています。このような事態を深刻に受け止めた国は一時期、空の玄関口であるスキポール空港に職員を配置して、許可なく学校を欠席している子どもたちを旅行に行かせないという策を講じました。旅行などの自己都合的な理由で学校を欠席するための許可を得ることの難易度は学校によって異なりますが、必ず適切なプロセスを踏むことが求められます。

自己都合による欠席が承認されるためのプロセス

まず、オランダの学校欠席事情は厳しく、児童生徒の欠席状況を把握しているのは、学校と地方自治体です。地方自治体には"leerplichtambtenaar"と呼ばれる「義務教育出席管理担当者」が存在し、その自治体に属する(義務教育期間にあたる)学校において、不適切な欠席が発生していないかを常に監視しています。

▶️学校の報告義務
学校は在籍する生徒の中に、

・3日以上連続して欠席する生徒
・4週間の授業時間のうち1/8を欠席した生徒

が発生した場合、義務教育出席管理担当者への報告が義務づけられています。これを学校が破った場合、学校は罰金の対象となります。また、これらの欠席が適切な処理を経ていない欠席だと判断された場合、保護者にもまた罰金が課されます。また、自己都合による欠席が1年で5日以上常態化している家庭の存在があった場合、学校は義務教育出席管理担当者へ報告することが義務付けられています。

このような理由のため、自己都合で学校を長期欠席する場合、保護者はその旨を学校に正直に伝える必要があるのと同時に、仮に学校からの許可を得られない場合、欠席は認められません。学校からの許可なしに子どもから義務教育期間における学習の権利を奪った場合、その罰金額は1日あたり50〜100ユーロ(約8,000〜16,000円))、最大で3,700ユーロ(約60万円)にものぼる場合があり、最悪の場合、保護者は1ヶ月の懲役刑に課されます。

このことから、オランダでは保護者の都合で子どもにむやみに学校を欠席させることは難しいと言えます。バケーション文化が盛んなこの国では、もちろん「オフシーズンに旅行に行きたい」という気持ちが膨らみます。一方で、自己都合で勝手に休んでおきながら「子どもの学力が…」と言う保護者がいることも事実だと教職員から聞きます。教育とは一朝一夕で出来上がるものではないからこそ、この国はこのような姿勢と法的拘束力を持って「子どもが学校に在籍し、学ぶ権利」を最大限に尊重しています。

「不登校」が可視化される仕組み

前述した通りオランダでは、

・3日以上連続して欠席する生徒
・4週間の授業時間のうち1/8を欠席した生徒

が発生した場合、学校には義務教育出席管理担当者への報告義務があります。

この仕組みはつまり、不登校が可視化される仕組みであるとも言えます。学校は罰金を避けるためにも義務教育出席管理担当者への報告を行い、自治体もまた、管轄下の学校で上記の条件に当てはまる児童生徒が発生している場合、何らかのアクションが求められます。
子どもが不登校になった場合のポイントは、

保護者は義務教育期間の児童生徒を学校に復帰させるよう最大限に努めたか、外部に助けを求めたか
学校もまた、当該生徒が学校に復帰できるよう校内、そして保護者と最大限に努め、それが難しいと判断した場合、学校の外に助けを求めるなどして尽力したか
・上記の事態が発生し、解決が難しいと判明した場合に自治体はそれを把握した上で適切な対応を行なったか

となり、必ず「子ども」を真ん中に置いて、その子どもに関わる全ての大人が関与することが求められます。ここで重要なのは「責任のなすりつけあい」では子どもが置いてきぼりになってしまう上に、問題の解決にはつながらないということです。

不登校の事象への解決が学校と家庭だけで行われないのには理由があります。

児童生徒が不登校という状態になるには原因がありますが、その理由は必ずしも"全てが"学校に起因するものではないかもしれません。家庭環境による要素や、当該生徒の体調や心の悩みなど、その理由は様々です。だとすれば、当該生徒が不登校である状況の責任を「誰かに押し付ける」というだけでは、問題は解決するどころか、その児童生徒もまたさらなる苦しみを経験することにもつながりかねません。重要なのは、「問題を解決する」というところにできるだけ多くの大人が関わり、協力することで、たった1つのゴールである当該生徒の「学校に通う権利」を取り戻すところにあります。

「学校に毎日通うこと」の重要性

個人的にはこの国は「子どもが学校に通うこと」を重要視…どころか強制している国だと感じます。一方でだからこそ「学校が選べる」という自由、選択肢を残しています

この国が何故そこまで「学校に毎日通うこと」に焦点を当てているかといえば、それはこの国に「多様な価値観」を持った人たちが共生しているから。そして、多様な価値観を持った人たちがオランダという国で一緒に生きていくために市民教育を義務化しているところにあると言えます。

市民教育とは、簡単に言うと「異なる価値観の人々が一緒に暮らすこの国で、どのような行動規範に基づいて生きていくかということを学ぶ」教育です。宗教や信条、生まれや国籍が異なる人たち、LGBTQ+のことや、個人の価値観に及ぶまで様々です。児童生徒が「学校」という小さな社会で生きていく時、彼らはそれらの違いを受け止めながらも(良い意味で)折り合いをつけて生活していかなければいけません。そこを市民教育というもので義務化し、「子どもたちが学校に在籍する」ことによって、どの児童生徒にもその姿勢を体得できる機会を確保するところを強制しているのです。

このように、学力とは違ったところにあるこのような学びもまた一朝一夕で確立されるものではないからこそ「毎日学校にきて体験から学ぶこと」を重要視していて、原則的にホームスクーリングは禁止されています

そういった意味で、(特に小)学校とは学力を伸ばすだけの場所ではなく、より良き人間として、市民として成長するために必要な経験を通して成長する場所だと考えられているように見えます。

子どもたちの価値観が混ざり合う場所=学校

そういった意味で、市民教育を固く定めた上で「(例外を除く)全ての子どもたちが学校に在籍することの強制」はとても理にかなっていると感じます。仮に幅広くホームスクーリングが認められた場合、保護者は本当に「価値観が混ざり合う場所」を提供できるのでしょうか?

仮に場所を提供できたとしても、そこで民主主義を体得できるためのレッスンや、体系的な学びの機会を提供することができるのでしょうか?

個人的に、オランダという国は「保護者の教育力を信頼していない」とも言えると思っています。一方で、学校への在籍を強制するということは、学校という場所での教育の質が担保されなくてはいけないということでもあります。社会情勢等の煽りを受けながら、この国はそれをいかに高い水準で確立するかと戦っているようにも見えます。

学校現場にいると、子どもたちは毎日、"他者と関わるからこそ"様々な感情や経験を通して成長しているように見えます。うまくいくこともいかないことも彼らの学びになるよう、教育者がそれを出来るだけファシリテートしようとする姿は、時に大変そうに見えて、時にやりがいに満ちています。

子どもたちにとって小さな社会である「学校」という場所の意味が担保されるために、この国は締めるところはきちんと締めて、自由を与えるところでは与えるという方法をとりながら、全ての児童生徒が「教育」という橋をちゃんと渡っていけるようにしているのだと感じています。















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三島菜央<🇳🇱オランダ在住/元高等学校教諭>
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