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結婚と出産は女性にとってリスク?

こんにちは!11月にオランダとデンマークの性教育ツアーに参加してきた私。各国の性産業事情や、若年層を取り巻く包括的性教育の現状などについて参加者として学んできました。

そこで出会った数名の参加者と「オフ会」のような感じで、オンラインで話をしました。たぶんトータルすると3時間くらいは喋ってたような…

学歴的に言っても"とても優秀"とも言える3名。だからこそ、こういったツアーにも関心度が高く参加する訳ですが…そんな20代3名の話を聞きながら、「結婚と出産」自体がリスクに感じられるのかぁ…と37歳の私は感じたのでした。


ツアーでの発見「対話の練習」不足

話を戻すと、私がツアーで発見したのは「対話の不足」という日本の文化でした。性教育のツアーなので、参加者はとてもオープンに性について語ろうとする方が多かったように思います。世代も20代から40代くらいまで幅広く集まっていました。まぁ、ただ1つ言うとしたら全員が女性でした。こういった包括的性教育や、性教育の社会課題の解決に取り組みたいと思っているのって女性なんだな〜と思いました。そもそも、男性側はそこに課題があることさえ気づいていないのかもしれません(ならば、知らせるのが私たちの役割)。

私たち自身はオープンに話すことができる包括的性教育のトピックですが、オフ会で女性たちの話を聞いていると、どうやら男性側がそういったトピックに積極的ではないことで「自分が話したいと思えるトピックについて男性(パートナー)と深く対話できているという感覚が持てない」という事態が発生している模様。「本当にわかってる?!」みたいなことを思うそうです。

デンマークで地元小学校/中学校に性教育の出張授業を行なっている医療大学生グループと話をしましたが、そこには「当然のように」男子学生がいました。そして私たちも「当然のように」彼らと包括的性教育についての話をしました。何の違和感もなく彼らと性の話ができたのは、私たちにとっては「当たり前」のことなのに、何故こうも日本男子(全員ではないですよ)と性の話をする時「道が通りにくい」みたいな感覚になっちゃうのかなぁ…という雰囲気がオフ会にはありました。

きっと、そこには「対話の練習」が欠けているのだろうと思いました。何なら、私が勤務しているオランダの小学校6年生の教室でさえ、彼らは男女差なくどちらもオープンに性の話をする雰囲気があります。性差を超えて「話合えること」だと感じる雰囲気が醸成されるには、そこまで様々なトピックに基づいて「当たり前に対話する」という練習が必要なのです。そして、それと同様に家庭でも「どんな話もオープンにする」という雰囲気が必要なのではないでしょうか。

「女性の苦しみ」に想いを寄せてもらえる感じがしない

私は既婚、子あり、結婚10年目という立場ですが、彼女たちは学生だったり社会人だったり。いずれにせよ、子どもはいません。彼女たちが口々に言うのは、「出産は女性しかできないのに、子どもを産んだらそれは絶対に"なかったこと"にできないのに、そこに対して男性パートナーと一緒に乗り越えていくというイメージが難し過ぎる」ということでした。

「子どもを産んだら、それをなかったことにはできない」…これは本当にそうです。そして、日本のような「子もち離婚したら、養育は女性側」という当たり前が浸透している社会において、彼女たちのような優秀な女性たちは「パートナーとうまくいかなかったら、そのリスクを負うのは私なの?」という不安が拭えないのはとても理解できると思いました。とりわけ、キャリアを築いていきたいと思っている女性はそうです。

ズバリ、この根源にあるのは「男性に対する不信」だと思います。「いやいや、俺を信じてくれよ?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それが出来ていないという実感があるから不安なんですね。では、女性が男性パートナーを前にして「あなたを信じられる」と思うためには男女両方に何が必要なのかをオランダの小学生をイメージしながら考えました。

「問題は起きるけど、問題が起きることが問題ではない」というスタンス

ちょっとややこしい表現になりましたが(笑)、個人的に、オランダの子どもたちは人間関係を中心にしたもめ事、いわゆる「コンフリクト」に対しての耐性が強いな〜と感じられることが多いです。簡単に言うと「まぁ、皆違う人間なんだからコンフリクトは起きますよね〜」というのが、基本的な考え方です。

さらに、「コンフリクトが起きること」自体を問題視しません。彼らの視線はその先の「コンフリクト起きちゃったんやけど、じゃあここからどう解決していこっか?」という部分にフォーカスさせているように見えます。そうすると何が起きるかというと「話し合うのが通常運転」という姿勢が生まれます。そう、何か問題が起きた時に話し合うことのハードルが下がるのです。

言わずともお分かりかと思いますが「話し合わずにそこから立ち去る」とか「話し合わずにそのままにする」というようなことは「え?話し合わんの?」「通常運転せーへんの?」という感じにもなり得ます。

これは、パートナーシップにおいても同様だと言えるかもしれません。私の周囲の保護者たちにパートナーとの馴れ初めを聞いてみると、結構な時間をかけてパートナーシップを築いてきたと答える人が多いです。その中で色んなことが起きるけれど「話し合って問題解決に臨める人かどうか」を見極める期間なのだと彼ら/彼女らは言います。

「だって家族になったら、意思決定の連続よ?本当に色んなことが起きるんだから。自分で決められないことを一緒に決めていく訳だから、問題が起きた時に心から話し合えると思える人と結婚しないと、大変なことになっちゃう!!」

対話の質「あなたはどうしたいの?」と聞けるかどうか

さらに、子どもたちの様子を見ていると、自分の主張と同じくらい相手の主張も尊重されるべきである、というスタンスが見えてきます。これを分解すると、まず「自分の主張」があることが前提です。

一方的にどちらかが我慢するのではなく「私はこう思う」ということが表現できなければ、相手の主張と照らし合わせることができません。そういった意味で「このコンフリクトに対して、自分もどう思っているかがわからないんだ」なんてことは極力ないようにしないといけません。

また、さらに大切なのは、自分の主張が大切にされるのと同じように、相手に対して「で、あなたはどうしたいの?」と聞けること。コンフリクトが起きた状態では、お互いが「フェアな関係」であるという均衡したパワーバランスが必要となります。「自分の主張が正しい。私は間違っていない!だから、あなたに弁明の余地はない!」となるのではなく、「私の意見はこうなんだけど、あなたはどう思っているの?」と聞く必要があります。

感情と意見の切り離し

オランダの子どもたちを見ていると、もちろん彼らが感情的になる場面はいくつもあるのですが、人と対話をする時に感情的で居続けることは、かなり憚られます。一旦、沸点に到達して「ピュー!!!!」となることはあっても、それは一過性のものであるべきで、さらに言えばその状態で誰かとフェアな対話することはできません。よって、感情的になって相手を罵倒したり、言葉で攻撃するくらい興奮している生徒に対して、教師は距離を取るように言うことが多いです。「頭冷やしておいで」と促したりします。

話を元に戻すと、コンフリクトが起きた時にお互いが偏りなく意見を言う訳ですが、感情と意見を切り分けるという必要が出てきます。例えば、

「あなたのその強い言い方が嫌だ」という意見は、
「(だから)あなたのことが嫌い」という意味にはならない

ということです。あくまでも「一部の意見」が齟齬を起こしているのであって、それはその人の全てを現す訳ではありません。また、自分の一部を否定されたからといって、相手が自分を嫌っている訳でもありません。

これは練習によって体得していくものです。ですので、もちろん十分に体得できずに大人になる人もいるでしょう。子どもたちにとっても難しい場合もあります。ただ、教室という場所は「他人のコンフリクトが解消される場面」に出くわす場所でもあります。そういった「ケース」を自分の中で積み重ねることで、解像度が上がっていくこともあるのが学校という場所です。

結婚と出産は女性にとってリスク?

…ということで、「結婚と出産は女性にとってリスクだと感じられる」というのは、要するに「お互いが納得するまで話ができていると感じない」という不安を発端にしているのではないかと思いました。

その場合、その発端は必ずしも男性の責任ではないかもしれません。

ひょっとすると、女性が意見と感情を分けられずに男性を攻撃しているのかもしれないし、女性側がいくら話し合いを求めても男性がそこから立ち去ったり、はぐらかしたりしていることへの不信なのかもしれません。

実際には結婚も出産もリスクではないかもしれないのに、パートナー同士で(特に女性側が)それを「リスク」としか捉えられない状況があるからこそ、リスクになってしまう。オランダの子どもたちを見ていると、そして子どもに話しかける保護者を見ていると、「相手を尊重するかたちで対話をするって大切だな〜」と思います。

仮に、私たちにその練習が欠けているのだとしたら、それを意識して関係を深めていくしかないのかもしれません。



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🇳🇱三島菜央<現地小学校TA/ET|元高等学校教諭>
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