"手放すのではなく、別のかたちで抱きしめ続ける場所"を訪れて
こんにちは!5月に入り少しずつ寒さが和らいできたオランダです。
先日、長期休暇前のことでした。知人(Hさん)のお子さんが自閉症や障がい者の方々が入居できる施設に引っ越されたと聞き「是非、いらしてみませんか?」とお誘いを受け、施設にお邪魔してきました。
10年かけて遂に完成したというこの施設。とても素敵な場所でした。私が日本の大学で教育実習の際に訪れた作業所やそれに付随する施設とは全く違うものでした。そして、その裏側にあるストーリーや人々の主体性と行動力に圧倒され、帰り道に涙が出ました。
「人の力ってすごい。人って美しい」
オランダの人々が持つパワーを再確認させてくれる素敵な1日でした。
「インクルーシブ」という言葉は時に「エクスクルーシブ」という言葉の反意語として使われますが、このHさんは私が使う「インクルーシブ」という言葉に対して「それは"含まれる人"と"そうでない人"を隔てる言葉でもあるということですね」という視点をくれた方でした。では、そうでなければ一体どんな言葉を使えば良いのか、そのこたえは見つかっていません。でも、理想を言えばこの世界から「何かを隔てる言葉」がなくなることが、本当の意味で混ざり合った社会だと言えるのではないか、そんなことを時々考えます。
今回のこの施設の訪問は、私にとって「本当の意味で一人ひとりが尊重され、共に生きていく社会とはどのようなところなのか」を改めて考えさせてくれる機会となりました。
「いつかは誰もが老い、"不自由"を経験する」
私たちは老いていきます。人は生まれた瞬間から、いつかやってくる最期の日に向かって歩き続けます。
冒頭に書いた通り、私にこの施設を案内してくださった方のお子さんはこの施設に最近入居されました。そして、どのようにしてこの施設が社会において必要だという議論になったのか、どのような人々がどのような思いでこの施設を完成に導いたのか。そんな話を聞くと、政治家と呼ばれる人々が、マイノリティの人々の人生を「自分ごと」として捉えているという根本的な部分に触れることができました。
"Puzzelstuk"という名前の異なるパズルのピースを組み合わせた場所
この施設の名前は"puzzelstuk"、つまり異なるピースのパズルが組み合わさる場所という名前です。ライデンにあるこの場所には、IQ の低い自閉症やその他の障害を持つ15人程度の自閉症の人々が生活しています。この15名は社会の中で自立して生活することに難しさを抱えやすいため、指導とケアが必要になります。しかし、このPuzzelstukでは居住者にはある程度の制限がありながらも、地域に溶け込むようなかたちをとりながら社会の一部になることができるのです。
居住者にとっては、この場所が安全で落ち着くことができる家にならなければならず、居住者たちはそれぞれの在り方や個人が抱える限界を尊重しながら(されながら)、可能性に目を向けて導かれます。 平日の日中はそれぞれの居住者にとって必要な活動として、外部の作業所などに出かけ、それが終わる頃にまたこの施設へと戻ってくるのです。
創設者であり、会長のことば
このpuzzelstukは、自閉症の子どもを持つ保護者の発案から始まりました。何故、このような場所を作りたいと思い、10年もかけて尽力してきたのか、彼女の言葉をここに翻訳します。
驚くほど強力的な人たちがいる社会に支えられて
案内してくださったHさんのお子さんは、まだここに引っ越してきたばかり。ということで、Hさんはまだお子さんがここでの生活に慣れるために家と施設を行ったり来たりしながら、身の回りのことを手伝っているそうです。
Hさんが開けてくれたエントランスのドアをくぐると、そこにはこの施設の建設や運営のために関わったパートナー企業や団体のロゴがありました。
「この施設を建設するにあたって、リビングルームの家具をすべて購入、搬入してくれたローファーム(弁護士事務所)がありました。そして、壁を塗るための塗料をすべて寄付してくれた建設会社もありました。生活に必要なものを寄付してくれたり、低価格で提供してくれたり….時には、寄付だけでなく社員全員でここに足を運んで作業までしてくれた企業パートナーもありました。この場所はたくさんの人たちに支えられて成り立っている。それを強く感じることが、保護者である私たちにとってどれだけ心強いか。保護者は自分の子どものことだからもちろん尽力しますよね、でもそうじゃないたくさんの人たちがここに関わってくれた、作ってくれた。それこそがこの場所のテーマだと思うんです」
そんなエピソードを聞きながら、見返りを求めず「善意の塊」を差し出した人々の心のあり方に感動を覚えました。
「誰だって住みたくなる場所」であること
少し話はズレますが、かつて私が大学で教員養成課程で学んでいた時、その課程を修了するための実習として、特別支援学校や老後老人ホーム、支援が必要な方々が属する作業所などを訪れるというものがありました。
今でも覚えているのが、作業所という場所の「色」です。決してお世辞にも「明るい」とは言えなかったその場所の色は「灰色」でした。言い方を選ばずに言えば「あなたたちにはこの場所で十分」というような場所だったことを覚えています。毎日そこに来て、同じ作業を繰り返す作業者たちと一緒に作業をしながら、決してその場所が「ワクワクする場所」として作られていないことを感じました。
一方で、このpuzzelstukはとても明るく「私もこんな場所に住んでみたい」と思えるような場所でした。建物は地域に馴染んだ外観で、一歩屋内に入ればそれは明るい場所で、デザイン性の高さも感じます。「特別な施設なんですよ」と言われなければ、一般的な住居であるとも思えます。
ここは入居者とその家族の「大切な人生」が紡がれていく場所なのです。
デザイン性と実用性を組み合わせた内装
その後、Hさんは廊下を歩きながら、
「普通に見えるこの床材は、一般的なものよりも強度が高く、傷みにくい素材が使われているそうです。音に敏感な居住者もいるので、ハイヒールで歩いても足音があまり響かないように。あと、天井や壁の素材にも音を吸収しやすいものを使っていて、廊下の音が部屋に入り込まないようになっているそうです。色んな配慮があって、本当にありがたいですよね」
と、教えてくれました。確かに歩いてみると、一般的な床材よりも強度があり、足音を吸収してくれているような気がしました。
また、建物のリビングから見える中庭にはたくさんの花が植えてあり、室内から見える景色も素敵なのです。
「4000以上の花の苗を保護者みんなで植えました。暖かい季節がやってきたら、ここに花がたくさん溢れるように。部屋の窓からゆったりを外を眺めた時、たくさんお花が見えると嬉しいですよね!」
Hさんはお花の世話担当として、頻繁に水やりにきているそうです。
「私たちがいなくなっても、生きていけるという安心を」
私が訪問した時間帯には居住者の方々はそれぞれの作業所に出かけていたので、顔を合わすことはありませんでした。入居者の中には慣れない人たちと顔を合わせることに抵抗を持つ人もいるとのことだったので、彼らにとって「安心できる場所」としておくためには必要な配慮だと感じました。
入居者の保護者の方々は、自分たちがいつかこの世からいなくなったとしても、子どもたちが社会の中で安心と安全を担保されながら生きていって欲しいと望んでいます。それは、子を持つすべての親にとって同じ望みではないでしょうか。
そして、このpuzzelstukはそれを可能にしてくれる場所です。入居者が作業所から帰ってくる頃に、翌朝また作業所へ出発する時間帯まで常駐してくれるケアスタッフがやってきてくれます。「手放すのではなく、別のかたちで抱きしめ続ける場所」という言葉の通り、入居者たちは社会の中でそれを支えてくれる人々の中で、ずっと抱きしめられ続け生きていくことができるのです。
「この場所がこうやって完成し、実際に入居者が入居するまで10年という歳月が必要でした。でも、こういった場所がここが最初ではないこと、そしてこれから先も社会の中で増え続けるであろうという希望は、社会にとっても希望だと思います」
Hさんはそうやって話してくれました。
私は「手放すのではなく、別のかたちで抱きしめ続ける」という言葉を聞いた時、とても心が動かされました。
この施設の建設と運営にあたり、多くの人たちが動きました。宝くじ会社は、購入者がくじ購入のために支払った一部をこの施設に寄付するようにしました。一般に公開されたクラウドファウンディングの額は、216名の支援者に支えられ、€470,000(約7,100万円)のゴールに到達しました。また、昨年行われたライデンでのレディースマラソンでは、参加費がpuzzelstukに寄付されるかたちで開催されました。マラソンの参加者は「puzzelstukのために!」と走ってくださったそうです。それを通じて寄付された額は€7,369(約101万円)にものぼりました。
冒頭で書いた通り、社会でマイノリティとされる人たちに必要なことは、いつかすべての人が老いた時に必要とすることだとすれば、この国はそれを「他人事」にしない人たちが大勢いるということなのかもしれません。そして、その感覚とは一体どこで育まれるのか。人にエンパシーを抱き、それを行動につなげる人たちのあり方と行動力の原動力はどこにあるのか。
私たちは「知らない人たち」のことを想像したり、思い描いたりすることはできません。「知らない人たち」とは出会ったことのない、そこに存在することさえ"知らない人たち"のことなのです。
だとすれば、私たちは「知らない人たち」とされる人たちを社会の中で「知っている人たち」にする必要があるのではないでしょうか。敢えてそういった観点で動く人たちがいなければ、「知らない人たち」はずっと「知らない人たち」のままで放置することになるのかもしれません。そして、それはその問題だけにとどまらず、社会における多様性の普及を阻み、異なる人たちを理解しない(できない)社会への道を辿り、分断へとつながっていくのかもしれません。
今回の訪問で最も心を動かされたのは、オランダの社会には「知らない人たち」を「知らないまま」にすることに抵抗を感じる人たちがいるということ、そしてその人たちが「このままではいけない」と行動しているということでした。その中心となっているのが保護者であったとしても、その周囲には企業や団体、パートナーと呼べる人たちがいるということ。その数と行動(家具を寄付をしたり、マンパワーで内装をしたり…)に驚かされたのでした。
施設を出た後、あまりにも美しいストーリーに涙が出ました。同時に、入居者の方々がこの先もあの場所で安心して暮らしていける未来を想像すると、とても心が温かくなったのでした。
"手放すのではなく、別のかたちで抱きしめ続ける場所"
この言葉はずっと私の胸に残ることでしょう。
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