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「日本は特殊な国である」という思い込みロック

こんにちは!

今回は<「日本は特殊な国である」という思い込み>について書きたいと思います。何故かというと(今回のことに限ったことではなく)、オランダから日本へ向けて情報を届けようとすると、必ずといって良いほど、

「国が違うから仕方ない」
「国土面積が違う」
「人口も違う」
「ここまで歩んできた歴史が違う」
「文化も大きく異なる」

という声が聞こえてきます。それはきっと事実です。そして、だからこそ、それぞれの国々であらゆる「ちがい」が生まれることも理解できます。

ただ同時に、その「ちがい」を「言い訳」として利用している人たちもまた日本には多いのではないかと感じています。日本は特殊な国である…それは事実であり、事実ではないと思います。

どの国も「特殊」である

日本という先進国から、同じく先進国であるオランダに移住してから、生活の中で最も違いを感じたのは、「日照時間のちがい」だったと思います。冬場のオランダでは、子どもたちが登校する時間帯(8時30分頃)でも真っ暗です。また、日本の冬よりももっと早い段階で日は沈みます。そうかと思えば、夏はかなり早い段階から空が明るみ、22時頃になっても遮光カーテンがなければ明るすぎて眠れません。

そんな「冬は暗過ぎて、夏は明るすぎるオランダ」で生きる人々は「働き方を柔軟化」することを一つの要素として、この日照時間ともうまく付き合っています。つまり何が言いたいかというと、抗って仕方のないもの(地理的な問題、日照時間)には逆らわず、自分たちの頭を柔軟にして変えられないものと付き合う選択をするのです。

同じように、フィンランドは幸福度が高い国として知られていますが、冬のフィンランドの気候は強烈だろうと、ここに住んでいると安易に予想できます。冬になると朝は真っ暗、夜も真っ暗、雪は降るし、気温は氷点下…それでも人々は「自分たちの力で幸せになる能力」を強く信じることで制度を変え「自分たちにとって行きやすい国」を作ってきたのだと推察できます。

世界のどこをとっても、それぞれの国は「特殊」です。そういった意味で、各国が抱える歴史、ストーリーはそれぞれが唯一無二と言えると思います。"EU"とひとまとめにされがちなヨーロッパ諸国の一部でさえ、文化は大きく異なります。

言い訳に使われる「日本文化」

以前、オランダへの学校視察の中でピースフルスクール(PSP)というオランダの15%の学校が採用している市民教育プログラムの授業を視察した時のことでした。

市民教育という「民主主義は練習できる」という大きなテーマで子どもたちが学ぶ時、子どもたちが自分の感情と向き合い、価値観の異なる人々と生きていくことが必要になります。自分の考えや意見を恐れずに言えること、そして自分にそれが認められるということは、他者にも同様に考えや意見があるということを認めることでもある…ことを理解しなければいけません。そういった内容でPSPの担当者が話をした時、参加者の1人が、

「日本では学校教育の中で、そのようなかたちで子どもたちが自分の意見をまっすぐに伝えるという経験が少ないと思います。だから自分の意見や感情を真っ直ぐ伝えることができないんです」

と言いました。担当者は「そうなんですね」と話を聞いてくれていました。

そして、その担当者が「実際にPSPのアクティビティをこの中でやってみましょう」と言い、参加者それぞれが自分の感情を表現したり、自分の意見を伝えるというような活動をしたのでした。

「日本の学校教育の中では自分の意見や感情を伝えるという経験が少ないと聞きましたが、実際、今やってみてどうでしたか?参加者の全員が自分を表現できていたのではないでしょうか?」

これは、彼女からの示唆でした。
「やってきていないから出来ない」「私たちにはそういった経験がないからできない」そう"決めつけている"のはあなたたち自身なのではないですか?という彼女からの問いです。

変わりたいのか?変わりたくないのか?どっちなんだい?!

振り返れば私もかつてはそういう考え方で日本の課題にアプローチしていたように思います。オランダの先生たちと対話した時、彼らが提案してくれたことに対して、

「でも、日本の教育の中ではそれは法律が…むにゃむにゃ」
「もちろんそれができれば最高だけど、実際の現場では…ぼそぼそ」

それを自分自身が繰り返しているうちに気がついたことがあります。

「変わりたいんか、変わりたくないんか。変えたいんか、本当は変えたくないんか、どっちなんだい」

ごにょごにょ言っていると、(忍耐力のない(笑))オランダの人たちはこう言います。

「うん、じゃあもう"仕方ない"で片付けたら?笑」

そう言われると急に、「いや、そうしたくないんだ!」と火がつく。
すると彼らは完全に「🤷‍♀️(お手上げ)」←こんな感じです。

彼らの内心は「あーだこーだ言ってないで始めたら?」…それに尽きます。
そして、そのメンタリティが国を支えているのでしょう。とにかく取っ掛かりが早く、失敗を失敗と定義しない猛進的な突破力(と、雑さ)で突き進んでいくのです。

「何故、スモールステップでも始めようとしないんですか?」

ある校長先生は視察の人たちの言い訳にこう言いました。

「何も最初から大きな成果をあげる必要はないと思いますよ。むしろ小さく始めてみないと続かないこともたくさんある。何故、スモールステップで始めようとしないんですか?ビッグステップじゃなくて、スモールステップで良いのに?」

「そのスモールステップが難しいんです」

「じゃぁ、スモールスモールステップにしたら?笑」

さすがに、この時は私も笑いました。何個「スモール」を使っても同じです。笑 彼が言いたいのはそういうことではないと気がつけるかどうか。

ミリスモールでも、ミクロスモールでも(笑)、言い訳をして「日本の場合は…」と言う人たちは「やる気がありません」と言った方が潔いし、彼らからすると的確な表現かもしれません。笑

「菜央、日本がオランダと違うのはわかるよ。そこまで"ちがう"と言うのなら"違い"がわかっているんだろう?"違い"は言い訳ではなく、"チャンス"だと捉え直さないといけないんじゃないかな〜」

そんなことを後で教えてくれました。

「ま、やらないならそれはそれで。誰かがやってくれると思ってずっと待っていたら、もう墓場が目の前になっちゃったりして。笑 その時にやっと気づいたってもう遅いんだから…っていうことがわかっているから、ひょっとしたら僕たちは先に取り掛かっちゃうのかもね、我慢できなくて。笑」

そんな言葉をシレっと言ってしまう言葉から「どうせ人間なんてどこの国に生きていようが結局みんな同じなんだから、あとはやるかやらないかだよ」というメッセージを受け取ったのは私だけかもしれません。

そこにあるものは変わらない。
で、あなたは変わりたいの?変わりたくないの?

「変わりたくない」と言ったところで「おっけー!」くらいしか言ってこない彼らの本心は、

「あなた自身が変わりたくないのに、誰もあなたを変えられないよ」なのかもしれません。


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三島菜央<🇳🇱オランダ在住/元高等学校教諭>
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