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"教育"を軸に置いたオランダへの移住ぶっちゃけどう思う?への誠実性を持った情報共有

こんにちは!2025年に入り、学校も始まり、薄暗く霧だらけで太陽を見ない日々に飽き飽きしながら(めちゃくちゃディスる。笑)、何とか毎日を過ごしています。冬場の天候だけを考えたら、オランダは選択肢にはあがらないよな…と実感しています。

先日、同じくヨーロッパ在住の友人と話をしたのですが、
「こっちの冬の天気とか暗さの話を日本にいる人にすると、"は?天気?どういうこと?日常生活の中でそんなに天気が大切に思う人だったんだね〜"とか思われがちだけど、マジでそうことではなないってことがなかなか伝わらないよね」と言っていて、確かに〜と思いました。こちら側の伝え方が悪いとか、相手の理解力が乏しいとかそういうことではなく、こればっかりは「住んでみないとわからない」ってものなのかもしれません。

さて、2025年に入ってからVoiycで有料放送を始めました。オランダの教育や子育てなどに関して突っ込んだ内容で発信をしています。この有料放送を始めた理由は、もう少しオランダの生活や教育についてバランスを取った情報をお届けしたいなという想いからです。もちろん、実際にオランダの暮らしにはキラキラした部分も多いし、それは否定しません。でも、必ずしも「日本よりもいい!」と言えるかというと、「うーん、どうかな?」と思うことも生活の中にはたくさんあります。

また、教育に関しても「子育ての経験」に基づいた情報ってどうしても偏っていると思っていて、冷静に物事を判断するには不十分だと思っています。確かに人の経験は「起きた事象」としては事実だと思うのですが、一般化できるかといえばそうではないし、客観性には欠けます。Voicyではオランダの教育システムが日本よりも評価できるものであるとするならその理由はどこにあるのか?劣るとしたらそれは何故なのか?制度と現場での経験をもとにしてお話しています。


住み始めて数年は「ハネムーン状態」

私もかつてはそうであったように、全く異国に住み始めると「違い」に目がいきがちです。
「日本とはここが違う!」と認識するその違いを「日本よりも良い」に転換して理解しようとするのは、ある意味「今ここにいる自分」を肯定したい気持ちが大きいからかもしれません。

「日本を出るという大きな決断をした私(たち)!」
「窮屈な日本を出ることができた私(たち)!」

というように、自分たちの決断を肯定するのは人間だから仕方ないのかもしれません。ただ、5年住んで気づいたのは、最初の数年は(個人的に思うのは3年目くらいまで…いや、5年くらい経っても?)ハネムーン状態だということです。

あれも違う、これも違う、こんな発見があった、こんなところが面白い…そういうことばかりが波のように押し寄せてくる毎日はエキサイティングで、発見の連続。特に、自分の意思で(大きな決断として)移住を選んだ人たちにとっては「新しい何かを見つけよう!」という意識が強くなるので、ハネムーン状態を強化することになるのでしょう。

これは別に悪いことではありません。でも、そういった段階で人の人生に突っ込んで「移住っていいですよ!」とオススメするのはちょっと時期尚早かな、とも思います。一言で言うと「人に何かを提案するほどバランスが取れた情報を持っていない」ということかもしれません。

私も移住当初はそういった動きをしていた頃があったのですが、早々にやめました。
「これから(自分がそうしたように)決断をしようとしている人を応援したい」なんていう風に思いながら、
「同時にそういったものが自分のビジネス(収入)につながると良いかも」
と思っていた節もありました。

人を応援すること自体は悪いことではありません。でも、自分の立場や経験を客観視せず「自分がそうしたいから」で人を応援することに「無責任さ」も伴うのではないか?そんなことを考え出したのがきっかけでした。とりわけ、自分が専門とする教育に関して発信するのであれば、注意が必要だと思いました。教育の外にいながら「オランダの教育って〜」と語るのはちょっと薄っぺらいなと思ったのです。その後、何十校も学校視察をして、校長や教師たちと話をして解像度が上がってきた時、私は「学校の中に入る」という決断をしました。その頃から見え始めた景色は「子育て」の視野では見えないものばかりに変わっていったように思います。

話を戻すと、「じゃあ、何年経てば移住経験で人を応援できるようになるのか?」という明確な年数はありません。でも、誰かを応援するなら、ましてやその対価をいただくのであれば、可能な限り冷静な情報を集めることもその責任を果たすために必要なことだと思います。その情報の根拠はどこにあるのか?情報を集める側も、批判的思考を持つことが必要になってきます。

移住3年目くらいまでにキラキラした情報が集中?

SNS界隈を徘徊していると、オランダへの移住やその素晴らしさを発信している人たちは移住して3年目くらいまでの人たちが多いことに気が付きます。「私は5年目を過ぎたのさ!」とマウントを取りたい訳ではありません(笑)、ただ在歴が長くなると、そういった投稿を遠い目で見ることもあるかもしれません。

「そうそう、そういうことに感動していたな〜」とか、
「うんうん、そこ驚くよね〜」という風にアルバムをめくる感じです。

もちろん「期間」が全てだとは思いません。でも、ヨーロッパの中世にあった「ギルド」の階級制度のように、ある一定期間「何かに従事した」という時間が、その経験、情報の価値を示す指標になることはあると思います。私も未だにオランダに長く住まわれた方からのお話しの中で新しい発見がありますが、同時に「その制度はもうなくなったんですよ」なんてこともあります。それでも、長く住まれた方からの情報は「何故、今の教育がこのようになっているのか」を考えるヒントになることはとても多いように思います。

話を戻すと、移住当時のことを自分自身が振り返ると、「キラキラ」が押し寄せることで光の裏側にある影の部分へ意識が到達していなかったな〜と思ったりします。私たち家族は子どもの教育のためにオランダへ移住した訳ではなく、私たちの教育者としてのキャリアを別のかたちで形成するためにオランダを選んだのですが、子どもが現地小学校に通い始めて6年目。オランダの学校教育に対してネガティブに思うことも増えてきました。これは、移住して3年目までには気がつかないことでした(もちろんそれは仕方のないことです)。

特にお子さんが小さくてオランダの学校に通い出すと、この「色々」がほとんど見えません。そりゃそうで、小学校とはいえ幼稚園児の年齢なので、そりゃ自由です。笑 これは仕方ないのですが、小学校1〜2年目(幼稚園年中〜年長)で「オランダの教育素晴らしい!」が「移住の客引き」になるのもおかしな話だな〜、と思っています。

その情報はどこから?二次情報の利用

SNS上で時々オランダの教育に関する情報を目にすると「???」と思うものをよく目にします。例えば、

「オランダの学校では教育の自由が憲法で認められていて、学校独自の特色を出せるんです!」
「オランダの小学校は水曜日はパパの日と呼ばれ、学校はお昼までです!」
「オランダの小学校では10時ころにスナックタイムと呼ばれる時間があり、学校でフルーツを配ってくれます」
「オランダの小学校では水泳の授業に保護者が引率します」

基本的に嘘はないと思います。恐らく書き方の問題だとは思うのですが、この文章を読んだ人が「オランダの学校は」という主語から「オランダの全ての学校は」と勘違いすることも往々にしてにあるのではないかと推察します。そして「オランダすごい!」とキラキラした情報がさらにキラキラしたものになる…これは恐らく「子育てを通した視点」からの発信であり、「自分の子どもがこうだから、他の学校もこうだろう」という感覚で発信されていることなのかもしれません。

例えば、

「オランダの学校では教育の自由が憲法で認められていて、学校独自の特色を出せるんです!」
→憲法何条のことを指し、そこにどのような自由が認められているか、またそれぞれの「自由」が具体的に学校教育活動の「何」を指しているのか。

「オランダの小学校は水曜日は学校はお昼までです!」
→ お昼までではない学校もたくさんあります。日本でいうところの標準授業時数に基づいて学校独自の授業時間数を設定しています。その設定方法とは?

「オランダの小学校では10時ころにスナックタイムと呼ばれる時間があり、学校でフルーツを配ってくれます」
→ フルーツの配布は、ある特定の取り組みとして登録している小学校に限られているもの。その背景には社会課題、教育課題があります。

「オランダの小学校では水泳の授業に保護者が引率します」
→ これはかなり限られた数の小学校に見られるもので、水泳の授業がある小学校はどのような理由があって水泳の授業を学校主体で行なっているんでしょうか?

日本の学校教育でも同じことが言えるように、「うちの学校がこう」だということが、離れた同じ市の学校で同じではないということはよくあります。話を大きくして言えば「日本の小学校はこう」と言って、オランダの小学校と比較していることも「いやいや、日本も必ずしもそうではないよ」ということもあったりします。こういった投稿を見ると、「思い込み」や「決めつけ」、そして経験則に沿った教育に関する発言は、不用意にオランダの教育を美化したり、日本の教育を悲観的に見たりするきっかけにもなり得るなぁ、と自戒も込めて思い直しています。

一見、日本とは違って特徴的に見えるオランダの教育制度や教育活動の中には、その背景には理由があることが多いです。私ももちろん完璧ではありませんが、その裏側にある社会的背景まで意識を向けなければ、小手先の情報共有になってしまう上、根拠のない情報を拡散してしまうことがあるかもしれないなぁ、と思うのです。もちろん「そんな奥深く知りたくないよ!」という人もいらっしゃるかもしれませんが、これこそまさに「ファクトチェック」が疎かになる時代の問題であり、誰でも発信できる時代だからこそ、「情報を発信する」ということの重みを捉え直す必要があるのではないかと思ったりします(自分の感情とか、感想みたいなものは別に自由に発信すれば良いと思うんですけどね)。

私の場合、制度に関して発信する際は必ず政府のページで確認します。自分の子どもの学校にあるものが「オランダ全部の学校」の話になってしまわないように気をつけています。「オランダの教育はこうです」なんてファクトチェックを怠って発信をしたり、「オランダの保護者ってこうです」というような決めつけをしないように心がけることが、SNSを利用する時の作法かな、とも思うのです。

現場に入って、日本と比較すると見えてくるもの

私は今、オランダの公立小学校の英語の授業を担当していますが、学校現場に入れば(もちろんその学校からの視点ですが)、ポジティブなこともネガティブなことも色々見えてきます。そして、これまで50校くらいは学校を訪れて、校長先生や教師たちと話をしてきたことと、目の前で起きている現場の実情がつながっていく…という感じです。

私には小学校の教員経験はありませんが、日本の「学校」という場所特有の問題の中には共通している部分も多く、それをオランダの学校に当てはめていくと、逆に日本の教育の良さも見えるくらいにはなってきました。むしろ最近は、同僚たちが日本の教育の魅力に対して日々の教育活動のあり方の質問をしてくれることもありますし、場合によっては「隣の芝生が青いのはどこも同じだな」と思います。

正直、教育の内部に関して言えば、「子育て経験」だけでは見えない景色が多く、その裏側にはオランダの経済や住宅市場、教員養成の課題も隠れています。そうやってみると、やっぱり学校って特殊な場所だな〜と思います。それぞれの家庭が経験している「子育てを通じて経験する学校教育」にはある一定の事実があるとは思いますが、経験則だけで語られるほど教育は表面的なものではなく、逆に経験則にだけ沿って教育を語ってしまうのは、「学校教育」とはそれくらい深みのないものだと判断しているからなんだろうとも思ったりします。

これからオランダへ子どもを連れて移住を検討されている方へ

…ということで、
「海外移住したいな〜」とぼんやり思ってらっしゃる方や、
「海外移住するって決めているんだ!」という方、
「オランダに子連れで移住したら教育ってどうなるのかな?」とか、
「オランダの教育にある問題や教育の周囲にある課題ってどんなもの?」というような疑問にお答えできるような内容でVoicyではお話しをしています。

移住云々だけでなく、他国の教育制度やそこにある問題など、教育と社会情勢の関わりなんかについても深掘ってみたい方にも聞いていただけると良いかもしれません。

移住のような「今の世界から別の世界へ行くこと」はいつも人をワクワクさせます。そんな大きな決断をしようとする自分を全力で肯定したくなります。でも、それが独身ではなく家族のこととなれば、そしてとりわけ子どもを帯同するかたちのものであれば、少し話は違ってきます。子どもが保護者から離れて過ごす学校生活の責任を、残念ながら保護者はとれないことがあるのです。

冷静な判断をするために、できるだけ「冷静な判断をしている人」から話を聞くのもおすすめです。ハネムーン気分で「オランダって最高ですよ!」と話す人は同時に「自分の選択は間違っていなかった」という思考を強化中かもしれません。良い話ばかりする人には注意が必要だし、特に学校教育に関する情報を与えてくれる人には「その情報源はどこですか?」と聞くのも良いと思います。ひょっとしたら、誰かの情報を二次情報として流用しているだけで、本人には根拠がない場合もあるからです。できるだけ一次情報にリーチできる方から話を聞くことをおすすめします。また、時に厳しい批判的な意見を受け入れる必要があることを念頭に置いておくと良いかもしれません。


ご家族の選択が納得いくものになるよう、私の発信がその一助になれば嬉しいです。


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🇳🇱三島菜央<現地小学校TA/ET|元高等学校教諭>
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