見出し画像

もう(ほぼ)コロナ前の社会になりました

こんにちは!オランダは3月24日からかなり大幅な緩和規制となり、もう日常生活に関してはコロナ前の社会に(ほぼ)戻った雰囲気を感じつつあります。

最後まで残っていた公共交通機関でのマスク着用(違反の場合は約€100の罰金)も撤廃され、スーパーやその他の店舗に入るのもマスクは不要。
美術館やレストランへ入る時に必要だったコロナパスの提示(ワクチン接種済みor未接種の場合の陰性結果orコロナからの回復証明)もなくなり、社会から「コロナに関する制約」がなくなりつつあります。

3月16日の段階で、1750万人の人口のうち42万9千人の陽性者がいたにも関わらず、入院患者数とICUの入院者数が増加していないため、緩和OKとなったオランダ。「もうこんな状況になってきたので、あとは各自でよろしく」という言葉が社会をあらわしているように思います。

「命の線引き」があった(と感じる人もいる)オランダのコロナ

私はワクチンや感染症の専門家でもなく、このコロナウイルスに関して何か知識を持っている訳ではありませんが、日本から移住してコロナ関してこの国の政策や流れに驚いたことと言えば、

・かなりの極限状態に陥らなければ小学校を閉鎖しない
・時に冷酷ともとれる線引きをするところ

でした。

ある人の記事にはオランダのコロナ政策には「命の線引きがあった」と書かれています。

これはつまりどういうことかと言うと、ある一定の年齢(いわゆる高齢者)の人がコロナ感染した場合に、ICUに入るか、それとも施設や自宅で過ごすか。という選択を迫られていた。ということでした。

数限りあるICUの病床に誰を入れる価値があるか…という年齢や持病などのコンディションによる命の線引きがあったということなのかもしれません。

小学校を開け続けよ、経済を止めるな…

私が記憶している限り、オランダの小学校はコロナが始まってから数回の休校を経験しただけで、ずっと開校し続けてきました。この国で小学校が開くということは、ルールがありながらも保護者の送迎が発生することを指します、それは同時に「人の移動」が起こるということであり、子どもが学校に行っている間「保護者が働ける」ということでもあります。

さらに、保護者が働くということは時に「親の手を借りなければならない」ということが起こり得ます。つまり、孫にとってのおじいちゃんおばあちゃんの手を借りなければいけなことにもなります。

とどのつまり、小学校を開け続けるということはある意味、老人たちをリスクに晒すことでもありますが、同時に経済的な意味合いとしてwork from homeができる人たちが(一定の)経済を回し続けることができるということでもあったように思うのです。

小学生の人体実験?

また、当時は小学生への感染率が低いということがまだ明らかになっていなかったため、小学校を開け続けるという政府の選択が「小学生の人体実験」だと言われることもありました。

その後、最近になって小学生への感染が爆発的に増えた(今も陽性者数が多い小学校は多い)わけですが、まだ未知の段階でも小学校をなかなか閉めなかったというのは、それなりに政府の(経済的な視点を含んだ)目論みがあったのではないかと個人的には感じています。

一方で、家族に喘息持ちの人がいたり、いわゆる感染に対して"ハイリスク"だと判断される人がいる場合は、通学する子どもが感染源にならないよう「学校に行かない」という選択肢も残されていました。家庭の状況や判断に応じて学校は対応していたということになります。

全体で感染しながら集団免疫を獲得する

決して「完璧」を目指さないこの国の政策は、時に「弱い人々を見捨てる」という選択も入るのだ。ということを思い知らされた訳ですが、これに関してはいくら超現実的な国であっても議論は起こってきました。

オランダは当初、国のコロナ政策を"intelligence lockdown"と呼び、「一人ひとりの"頭で考えることができる大人の行動"を期待する」というような表現を使いました(私の解釈が間違っていたら訂正してください)。一方で、本当にこの国の人々に"考える力"があったかどうかは未だにわかりません。その判断力の有無を結論として導き出せる日が本当にくるのかどうかもわかりません。

しかし同時に、集団免疫の獲得にはかなり近づきつつあると思います。個人的に周囲の人たちを見ていても「コロナ感染した」というのは別に驚くべきものではないくらい頻繁に耳にするもので、むしろインフルエンザに似た感覚でコロナ感染を捉えている人たちも少なくないのではないでしょうか。

ようやくそのようなフェーズに突入したことで、世間一般的な人々が「コロナは身近なものだ」と認識できるようになった感じがします。

ワクチンを打つも打たないも個人の問題

オランダもオランダなりにコロナを乗り越えてきた訳ですが、ワクチン接種に関しては比較的「個人の判断」が強かった印象です。もちろんこのパンデミック期間中、日本での生活をしていない私にとって、日本における「ワクチン接種」が世間においてどれくらいセンシティブな話題(だった)かが手に取るようにわかる訳ではありません。

しかし、日本の家族や友人の話を聞いていると、ワクチンを打つか打たないかで家族が分断したり、友人関係が破綻したり…感染することで村八分にあったり、芸能人が謝罪会見をしたり…もちろんワクチン接種に関する話題によって人々が仲違いしてしまうようなことがこの国にもある…という話はオランダに住む友人たちから耳にしました。

でも、究極は「個人の判断の問題」であり、例を挙げて言えば、「簡易テスト(陰性証明)」を用意することで、最後まで「打たない人の権利」が残されてきました。レストランや美術館などへの入場にコロナパスのチェックが厳しく導入されていた期間も、そこで働く従業員に対してワクチン接種を強要することなどもありませんでした。

それを「矛盾」と捉えるのか、「個人の権利の尊重」と捉えるのか、そこに明確なこたえは最後までありませんでした。最後の最後まで「自分で判断する」ということの余地が残されていた社会のあり方は、何とも言えない「何か」を考えさせます。

そしてこの国はグラデーションで日常へ戻っていく

ここ数週間のオランダは「今、規制ってどうなってるんだったっけ?」という雰囲気にあったように思います。まだ屋内でのマスク着用が掲げられているにも関わらず、3/24を待たずにマスクのない状態でスーパーの買い物をしている人、電車やバスでマスクを着けず、大幅な規制緩和の先取りをしている人。笑

この状況を見て「ルールを守らない人」と揶揄する人たちもいるでしょう。一方で「自己責任だと思って行動しているから良いんじゃない?」と見る人もいるかもしれません。いずれにせよ、ルールが万能ではないことを勝手に良いように解釈している人たちがいることも事実であり、「あと数日で大幅な規制緩和が確定しているのに、今守らなくて何か問題ある?」というような考えを持っている人たちも一定数いる感覚です。

こうやって、人々は自分の行動を時に身勝手に肯定し、そういった行動をする人たちを警察官のような立場で取り締まる雰囲気もほとんどないまま、ルールがどんどん曖昧になっていく。グラデーションを経て日常に戻っていくのだと社会を見て思っています。

それが良いと言う人もいれば、曖昧過ぎて気持ち悪いと感じる人もいるでしょう。ただ、「4回目のブースターは…」という話題もほとんどのぼらないこの国は、こうやって前のめりに日常を取り戻していくのだと勝手に感じています。

私たちの活動内容に賛同いただける方々からのサポートをお待ちしています。ご協力いただいたサポートは、インタビューさせていただいた方々へのお礼や、交通費等として使わせていただきます。よろしくお願いいたします!