日本人の国土認識
私は地図を見るのが好きである。
よく、「女は地図が読めない」と言われるが、その辺の男より地図が読める自信がある。
はっきり言ってしまうと、地図が読めない人というのは、自分の人生についても何も読めていない確立が高いと思う。つまり、高い視点から全体を見つめるということが苦手なのだろうと思う。
しかし、自分の人生を俯瞰して見つめる必要など、誰しもに必要なことだとも思わない。
必要でないことは、人は能力としてわざわざ持たないので、こうした能力の云々は、多くの人にとってどうでも良いことなのだろうと思う。
事実、地図が読めなくとも、ナビの精度は年々爆上がりなので、便利なものに頼ればそれはそれで良いだろう。
昔の日本人は、自分たちの国の形をどんな形だと考えていたのだろう?
行基図はこの後、様々な地図の大元となって行くのだが、
なんと、日本の国土は龍がぐるりと守っている、という形になっているのだ。つまり、龍の外側は、外国である。
さて、奈良時代から時を経て、
江戸時代…というと、かなり大昔だと感じるだろうか?大昔と言っても、時代で言えば明治の一つ前である。ただ、江戸初期となれば、今よりも400年も昔であるが。
400年程前に作られた地図、生保日本図では、なんと北海道は縦長の楕円形で、真ん中がドーナツの様な穴が空いていた。これは摩周湖と思われる。
しかし、当時はこれが、日本人の北海道に対する認識となっていたであろう。当時はこの地図の様な姿が、北海道のイメージだった。
しかし、ロシアからの防衛が必要になるにつれ、更に精密な地図が必要となった。
そこで登場したのが、伊能忠敬の「日本図 蝦夷地」である。測量の仕方は、なんと足で歩いて測ったのだが、その地図の正確さは、かなり現在の国土認識と殆ど遜色なく、日本地図界の大躍進とも言える伊能図であるが、
この精密な地図を見た江戸幕府は、蝦夷地への認識を変えて行った。
これまでには無い精密さを持った伊能図を見た幕府は、蝦夷地は我が国の領土である、という意識を高めて行ったのだ。
日本の領土であると再確認した幕府は、外国(ロシア)からの防衛という理由を持ちつつ、蝦夷地の支配を正当化する流れをも作って行った。
生保日本図(ドーナツ型)の頃は、蝦夷地は「辺境の地」という扱いであったが、伊能図が出来たことにより、蝦夷地は具体的で重要な地域という認識へと変化したのだ。
思ったよりかなり広く、神秘的な形をした北海道(蝦夷地)を見て、きっと、「こんなに大きな土地が日本にあったのか!!」と、まるで金塊を見つけた様な驚きと、絶対他国に取られてたまるか!という欲望が、具体的な形を地図で見ることで、掻き立てられてしまったに違いない。
この様に地図は、単なる地理情報という役割だけではなく、その精度が進むと、国の領土を意識させる存在になり得、また、国土を確保、支配する意識を強める存在でもある、と言えるであろう。
地図の進化によって、国土意識や支配と言った感覚、行動が生まれる、と言える。
地図が、人の心を動かし、更に政治を動かし、また支配という意味では、先住民であるアイヌの人々の運命まで変えてしまった。
つまり、地図というのは単なる位置を表す記号ではなく、そこに作者の意図を込める事が出来るものである。例えば同じ遠近法を使った場合であっても、その角度により、より支配的な眺望になったり、従属感を出したりと、地図や絵画にプロパガンダを入れ込むことが出来てしまう。
実は地図とは、こうした恣意的なものを入れ込めるツールなのだ。過去には様々な政治利用が地図に起きていた。
ここでわたし的な考察は…
地図が読める能力は便利なのだが、
人生という地図を読む能力が強過ぎる場合…、
人生地図の精度が自ずと高くなってしまう訳で、つまりそれは、見えなかったものが見えてしまう現象を生み出し、
しかしそれは良いことばかりではなく、
江戸幕府の蝦夷地支配の様に、何が何でもこれはここでやり抜こう!などと、エゴを貫く力が強くなり過ぎることもある。それは時に、自分の人生に対して支配的になってしまう時がある。
しかしそれが、幸せなことなのかどうかは分からないな、ということでした。どうにもならないことは、どうにもならない、と放置しておくことは、願望が叶わなくとも、戦争が起きることなく、ある意味平和な時が続く。
人間は他の動物と違い、行動が未来軸である。
未来の平和な時間を求めるからこそ、今戦う生き物である。しかし、更なる幸せを求めるがあまり、今という平和を犠牲にする愚かな生き物とも言える。
地図を精度が上がるのも、また地図が読めすぎる能力も、過ぎたるは…ということなのではないだろうか、と思うのです。
2024.12.6