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ただそこに居てくれる存在


5月14日は母の日だ。

有り難いことに私の実の母は75歳ながら健在で、
いつも優しくそこにいてくれる。

「いつも」がいつもではなくなる日はいずれくる。
人間だれしもが同じように。


自分の心が傷ついた時、自分の心が弱った時、ただ、そこにいてくれる存在。ただ寄り添ってくれる存在。
こうしたら良かったんじゃないのと過去を責めたりすることもなく、ただ、求めれば近くにいて話を聞いてくれる存在。

人(娘)を信じる力と、思った事を口にしない強さ、
それが母の、人としての大きさなのかも知れない。

質素な暮らしを楽しむ母。
いつも人を尊重する謙虚な母。
欲しいものは何も無いと言う母。
孫の笑顔だけで充分だと言う母。

私の、血の気の多い性格とは真逆のタイプだから憧れでしかない。
そういう、そこに居てくれる存在だと感じる人もわずかだし、
逆に、自分一人の体では、誰かの「そこに居てあげられる存在」に自分を位置させる事も多くの機会は持てない。
友人との間でも稀に、安心させてあげられ自分が安心出来るという関係性を築ける事もあると思う。そうなったら出来るだけ大切にしたい。

最近の私は実は「人の断捨離」を薦められたばかり。

人との関係性に於いて、いろいろな考えを巡らせて、そんな事を思いながら今日は自転車を走らせていた。

母を想うといつも、私が小学生だった頃にいつも言ってくれた「直ちゃん頑張ったね。」「直ちゃんすごいね。」という優しさに満ちた母の声が脳の中でリフレインするのだ。

私は息子にもその愛を繋いでいきたい。




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