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日本は何処へ〜恐縮の文化〜体と空間

某チェーン店の洋服屋で探しものをしていた時のこと。私『あのー。。。を探してるんですけど、ありますか?』(どうやらないらしい)店員『あー。申し訳ありませーん。それはこの階段で下まで降りていただかなければいけないんですけど。』とたんに店員さんの体が縮んで、小さくなった。私が探しているものが下の階にあり、「階段で下まで降りて」いかなければならないことをとても申し訳ないと思っているのか、声も小さくなり、「ごめんなさい」感が体全体から醸し出されている。でもなぜ?下の階にあるのだったら、私が降りていくことは当たり前で、確かにその階段は螺旋状で長めだったが、特に足が使えないわけでもないし、全く問題ない。店員さんの恐縮感を肌で感じて、こちらも縮んでしまいそうだ。これが「恐縮」というものか。

「恐縮」とは恐れて縮むと書くが、ジャパンフォーブスによると、恐縮は、

「相手に対して恐れ多く、身が縮むほど恐縮している」という意味が込められており、相手に敬意を示しながら自分をへりくだることを表します。(以下太字はサイトから引用)

とある。ふむふむなるほど。相手を上げて、自分が下がるのだな。さらに、恐縮とは、「恐れ」と「縮む」の二つの漢字が組み合わさり、心が縮むように恐縮しているというニュアンスを伝え、使い方としては、

1. 相手からの厚意や助けに対して感謝を表すとき
2. 相手に対して何かをお願いするときや手間をかけるとき
3. 褒められた際に謙遜して応じるとき

とあり、

この「相手に対する敬意を示しつつ、控えめな姿勢を示す際に使う便利な表現」である「恐縮」の同義語は、「恐れ入ります」「痛み入ります」。

どうやら「恐縮」は、日本で人間関係を円滑に進めるのに、不可欠で、大変便利な言葉らしい。それにしても、恐れを抱いたり、痛みを抱いたりするのは、なんとも。「恐縮です」と言うと、自分は「恐れて縮んでるよー」ということで、言葉だけではなく、体までが縮んでしまうのは苦しい。なぜこんなに「相手を上げて、自分を下げ」ないといけないのか?この表現はビジネスや仕事などで使われることが多いというが、「恐縮」を使うことによって、相手に、「この人は自分の気持ちや手間を慮ってくれている、自分のニーズを認めてくれている」と思わせるためなのか。うーむ。

ここでちょっと比べてみたい。西欧で、上のような3つのシチュエーションに遭遇する時、どんな反応をするのか?

1. 相手からの厚意や助けに対して感謝を表すとき → 「恐縮」よりも、「ありがとうございます!」
2. 相手に対して何かをお願いするときや手間をかけるとき
「恐縮」よりも、「お手間おかけしますが、よろしくお願いいたします。」
3. 褒められた際に謙遜して応じるとき
「ありがとうございます。感謝します。」

となるのではないか?

どうもこの違いは、空間と心身の関係にあるような気がしてならない。日本は島国で、都会では使える空間が限られている。田舎では空間は広くても、「ムラ」という意識が強く、心理空間が限られている。空間が限られている中で表現していこうと思ったら、伸ばしたり縮んだり、引っ張ったり切ったり、上げたり下げたりすることが必要となってくる。心から滲み出てくるものを表現するのに、空間に適応しながら、言葉や体の知性が相まって「恐縮」のような表現が出てきたのかもしれない。

「恐縮」の同義語は、「恐れ入ります(恐れが入ります)」「痛み入ります(痛みが入ります)」。「恐縮」は自分が相手の恐れや痛みを受けて小さくなり、相手に大きく自由に動いてもらうように、空間を開けることなのかもしれない。でも私は、お店て店員さんの「恐縮」する苦しそうな表情や縮んだ体を感じて、申し訳ないと思ってしまった。店員さんが「恐縮」を繰り返すと、常に縮む心身になるか、またはそれに対する反発力が働いて、爆発してしまうのか。しばらく西欧表現に慣れてしまっていた私にとって、「恐縮」はそこまでのインパクトがあった。


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