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ビジネススクールに行ったこと

私は3年前からビジネススクールに行って、昨年の春に卒業したのだが、当初思った以上に良い経験だった。今日はそのことについて書いてみようと思う。

ビジネススクールに入ったきっかけ

7年前に勤務していた病院を退職した時、これからどうしようかあまり当てがなかった。私は元々開業して地域医療をしたいと言う気持ちはあまりなく、それよりも自分の専門知識を深めてそれを生かした仕事がしたいと思っていたし、実際自分にはそちらの方が向いていると思った。幸い、退職したとほぼ同時に何人かの友人や知り合いが「辞めたんならうちに来て」と言ってくれたので、週1回から月1回程度の頻度で複数の病院やクリニックで自分の専門の仕事だけでやっていく、という形で仕事ができることになった。しかし、そのやり方ではいったい何年仕事が続けられるのか、一抹の不安はあった。当時は、気心の知れた友人が誘ってくれていたが、いずれ彼ら自身が転職したり、または病院自体の方針が変わったりすると、私の働く場所がなくなる可能性は十分考えられた。

また、それと同時に、私は女性医師のために何かしたい、女性医師の地位を上げるようなことをしたい、とも思っていた。思っていたのは良いが、これまで医学の勉強しかしてこなかったので、何をして良いのか全くわからず完全にフリーズしていた。そんな時に仲の良い友人から強くビジネススクールに行くことを勧められた。

その友人は、自分自身もビジネススクールに通った経験があったのだが、毎日のように私に「MBAを取ったら?」と勧めてきた。だが、私は「いや、私、もうとっくの昔からPhD持ってるし、別に今さら追加の学位なんていらないし」と最初は断っていた。ビジネススクールなんて行ったら2年以上かかるし、ちょっと調べてみたら学費も高い。なぜそこまでして違うことを習いに行く必要があるんだろうか?

試しに、他のビジネススクールに行っていた別の友人に聞いてみた。

「ビジネススクールに行って何が良かった?」
「そうだね、何よりも良い友達がたくさん出来たことかな。」

と、友達? 今さら高い学費を払って友達を作りに大学院に行く必要なんてあるんだろうか?


当初は若いノリについていけなかったが

だけど、友人のあまりのしつこさにとうとう根負けして、1年後、私はオンラインで学べる大学院の単科というのを始めてみた。正式に入学する前に、数科目だけつまみ食いできるシステムだ。当然授業料も1科目ずつ払うので、本科に入学するよりはかなり安いし、嫌なら1教科だけで辞めることもできる。またもし後で本科に入学したら、単科で取得した単位はそのまま利用できるし、授業料もその分は差し引いてもらえる。

受講を始めてみたところ、確かに面白いし有益な内容だとは思ったが、周りの人たちは主に30〜40代で、みんなあだ名で呼び合ったり授業の後に懇親会に行ったりしていた。だけど、私はその若いノリに若干ついていけなかった。それに、医療者である私は、コロナウイルス感染症が2類だった当時、飲み会に行って感染するわけには絶対に行かなかった。

興味のある科目だけいくつか受けて、それでおしまいにしようと思っていた私に、友人はまたしつこく本科入学を勧めてきた。あまりのしつこさと、単科で学んだことが有意義に思えてきたこともあり、本科に入学することにした。しかし、それでもなお私は自分よりだいぶん若い同級生たちのノリについていけず、オンラインで授業を受け、淡々と勉強だけしていようと思っていた。

翌年、大学院は2年目に入り、その頃になると流石に顔見知りも増えてきた。同じ年の5月からコロナウイルス感染症は5類になり、またウイルスも弱くなって致死性の感染症という感じではなくなってきた。その頃から、私も時々はリアルでイベントなどに出席する機会も増え、徐々に大学院生活の幅が広がってきた。そうなってくると、職業の垣根を超えて、それぞれの課題に対して積極的に何か取り組もうとする人たちの集団は楽しく、いつしか私も周りの人たちに心を開いて年齢はあまり気にせず交流するようになった。また、ビジネススクールの中での50歳以上のグループや医療者の集まりもあり、そこでは専門や職種を超えた人間関係が生まれるようになった。

結局、必要な単位を揃えることができ、2024年の春には経営学修士(MBA)の学位を得て、無事大学院を卒業することができた。そして、ビジネススクールの2年間を振り返って「何が良かった?」と聞かれたら、私はこう答える。

いろんな分野に友達ができて、自分の世界が格段に広がったこと。


どのように自分の世界が広がったのか?


では、どのように世界が広がったのだろうか。

それまでの私は、医療界という狭い世界の中でもさらに狭い「眼科医」の世界で生きてきた。自分では狭い世界にいるという自覚はなかったのだが、一旦外に出てみるとよくわかる。面白いと思ったのは、医師の世界ではNGとされていることが、一歩外に出てくると逆に評価されることさえあることだった。

例えば、私は転職回数がとても多い。私の立場から言えば、都会で自分や家族の生活と健康を守り、自分のやりたい仕事をするために、転職はやむを得ないことだったのだが、どうも我々の世界では転職回数が多いのはあまり良い評価にはならない。むしろ「何か性格に欠陥があるのでは?」と言われてしまうことさえあった。なので、私は転職回数が多いことを、密かに自分で卑下していたように思う。

ところが、ビジネススクールに行って驚いたのは、毎期、各クラスの冒頭に講師の先生が自己紹介をしてくれることが多いのだが、中には10回以上転職している人もいて、それをみんなが堂々と話していることだった。ところ変われば常識も変わるものだ。

もしあのまま病院勤務を続けていたとしても、定年になれば辞めなくてはならない。その点、今のように複数の場所で働いていれば、少なくとも定年の年齢になって全ての仕事を一気に失うことはない。意外に、他からは否定されることもある自分の働き方も、悪くないのかもしれないと思えるようになった。しかも、この変化の早い世の中でまだ20〜30年は働きたいが、考え方ももっとアップデートしていかないといけないと思うようになった。

人材マネジメントで誰を採用するかというケースを学んだ時には、小さな子供のいる女性の候補者への評価がとても高かったことに私は驚いた。そのケースに登場する女性は、架空の人物だと思うが、子育てをしていて十分に働けないことがマイナスポイントにはなっておらず、逆に「子供がいてもこれだけの実績が出せるなら、子供がいることの負荷を減らしてあげれば、もっと実績を出すんじゃないか」と評価されていることに驚愕した。これは、私が長く暮らしていた医師の世界では聞いたこともない発想だった。

また、自分のこれまで歩いてきたキャリアを思い返して、ただ流れに押し流されるように巻き込まれた出来事がなぜ起きたのか、よく理解できた場面もあった。ずっと以前に、勤めていた医療機関が経営的に厳しくなった時期があったのだが、あれは自分たちに落ち度があったというよりは社会や経済など外部環境の変化に大きく影響されていたのだ、ということがわかった。当時は自分たちがもっと努力する、自分たちがもっと我慢する、という打ち手しか考えられなかった。しかし、外部環境の変化を見ながら、自分たちの強み、弱み、業界の特徴や競合の状態まで分析して俯瞰して考えるという知恵がついた。もし次に何か起きた時には、もっと冷静に複数の対策を立てられるだろう、と思うようになった。

あとは、行動を起こして、周りの人がそれにすぐ賛同してくれなくても気にならなくなった。私は女性医師のためのオンラインの勉強会をすることがあるが、みんな参加を表明してくれても、実際に当日になるとほんの数名しか集まってくれない、ということもざらにある。以前はそれを気にしていたが、ビジネススクールの仲間に「たくさん集めることよりも継続することに価値がある」と言われて考え方を変えることができた。

そして、これらの思いや体験を話すと、それに共感したりポジティブなコメントをくれる仲間の存在はとても大きかった。

違うところに行ってみることに価値がある

以上のような変化を感じることができて、結果としてビジネススクールでは単に”知識がついた”というだけでなく、それ以上の大きなものを得られたと思っている。しつこく勧めてくれた友人にはどんなに感謝しても足りないぐらいだ。

結局、環境を変えるのは一番良い方法なのかもしれない。もし今の自分のキャリアに行き詰まり感を感じている場合には、思い切って違うことを学んでみるのも良いのではないかと私は思う。別に、ビジネススクールに限る必要はなく、何か今までと少し違うところに行って、新しいことにチャレンジしてみるのはとても良いと思う。今、迷っている人がいたら、少しでもこの投稿がお役に立てば嬉しい。


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