ぎゅっとなる、胸が。
人ごみにまぎれて大きなため息をついて、私はビルの入り口にもたれて休んでいる。陽の沈む方向に、サンゴピンクとうすいオレンジが混じりあった色の雲が、うろこ状になって広がっているのを見た。もう夏も終わりなんだな、秋になったらキャミワンピは着れないんだ、とぼんやりと海外に住む友人からもらった手紙を読み終えての感想のように思っていると、メール着信音が鳴った。夏でも「ジングル・ベル」の着信音なのを友達に馬鹿にされるけど真夏のクリスマスだってあるんだぞ、この地球上には、といつも同じ反論をすることにしている。そう、この地球上には、何があったって不思議じゃない。
ジングル・ベルが私をしびれさせる。受信ボックスは常に新しい刺激に満ちているからだ。早速チェック。
今度マタ遊ンデネ、Tからのメッセージ。おとといだったかな渋谷で声かけられて、代官山ボエムで食べて飲んで、朝まで一緒でタクシーで送ってもらった。イツガヒマナノ?ワタシハイツデモヘイキダカラ、ジャニーズ系イケメンへの返信の下書きを保存しておく。明日にでも送信してやろう。
昨日車デ通ッタラ表参道ニtheoryノ店ミツケタカラ、ツレテッテヤルヨ。アキモノノ服ホシガッテタダロ?Mからのメッセージが入ってた。元会社の同僚で、私が会社を辞めるときにお別れ会にと食事にさそわれた。お別れ会にはMしか来ていなかった。はめられたと思っても白身魚のコルドンブルーソース・アーティチョーク添えのプレートとピンドンがおいしくて席を立つことができなかった。ソウソウ、カーキ色ノトレンチコート探シテタノ、チョウドヨカッタ、即座に返信。私はいまだ席を立てずにいる。
来週カラ公開ノアノ映画、土曜ニヴァージンシネマズ六ヒルデ舞台挨拶アルラシイカライカナイ?チケット押サエタカラサ、Oさんから再三のメールがあったことを思い出した。今の会社の上司で頭髪は薄く、体毛は濃い。背中にまで毛がある人に私は初めて会った。ホントニ、スゴイデスネレアチケットゲットデキルナンテ、アアデモソノ日、ヨガ教室ノレッスンガアルンデ、イケソウモアリマセン残念デス、いい加減返信しておかないと、また会社で遠くからじっと見つめられたりしたらたまんない。
私は間口の狭くて縦にほそ長い雑居ビルの一階などによくあるファーストフード風カフェに入り、カフェオレとブルーベリースコーンを頼んだ。ショッピングしてて歩き疲れたときに休むのにちょうどいい店。
スカルプチャネイルがくい込まないよう気をつけながら、指の腹でスコーンをちぎって食べる。シビラのかわいいカップに入ったカフェオレが濃厚な味でおいしい。甘ったるいにおいを鼻腔いっぱいに吸い込みながら、送信済みボックスを確認してみる。十日前に送ったメール「最近ゆっくり会えないね。仕事忙しいんだね。仕事が一段落したらまたお台場までドライブ行こうよ。楽しみにしてるから」、一週間前に送ったメール「こっちは元気。会えないのがさみしいけど。昨日髪切ったんだ。早く見せたいなあ」、おととい送ったメール「大丈夫?仕事、忙しいみたいだけど、暇になったら連絡して」。これも、地球上にあっていいことなのかな。
ついでに未送信の下書きメッセージをまた確認する。さっきも何度も読み返した。「仕事っていつまで忙しいの?私と会う気あるの?もう会いたくって死にそうだよ、あのとき言ってたことうそだったんだ?好きだよ・キレイだね・カワイイね・もう離れないね・ずっと付き合ってよ・結婚してよ・大好きだよ・……ばっかじゃないの。ばか・あほ・バカヤローほんとにムカツク、おまえなんか仕事ごとポシャっちまえ」
いつかこのメールを送ってやる、そのときを楽しみに待ちわびる。そして呪詛の言葉はほかにないかと考える。スコーンを食べ終えて携帯を閉じ、ふたたび通りへ出た。彼と初めて待ち合わせた場所に向かい、用もないのに立ち止まる。夕焼けはもうすぐクライマックスを迎え、暗い光が狭い空にかすかに残るのみとなった。夜が満ちてくる感じがこれ以上ないほど私を一人にさせて、それからまるごとつつみこんだ。
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