新宿L/R ~フェイクの中で(1)
畜生。何だってまたこんなときに。しのぶはトイレでパンツを下ろすと、尿意も忘れて立ちつくした。パンツの中央、生地が二重になった性器にあたる部分に、茶色い水彩絵の具をはけでかすめたような模様がにじんでいる。シングルロールのトイレットペーパーを多めに引き出し、手早くまとめて股間をまさぐると、赤黒い絵の具のかたまりみたいなものが出てきた。水で薄める前の、どろっとした絵の具の原液みたいな。あーあ、やっちゃったよ。しのぶはポシェットのティッシュケースからコンドームのパッケージにくるまれた細長い棒を取り出し、セロファンをむいた。発育不良のおちんちんのような細く白い棒が出てきて、なめらかな曲線を描いている先端のアプリケーターをかちん、とセットした。
しのぶは中腰になり、タンポンを入れてみた。酒を飲んでるせいで手が繊細な動きをしてくれない。一度失敗し、深呼吸して肩の力を抜き、天井を見ながら再びトライ。膣の入り口の近くを少し刺激して、いやらしいことを考えればうまくいくだろう。今一番しのぶの性感を刺激するのは、3時間くらい前にクラブに来る前に書店で立ち読みした記事だ。何の変哲もない、旅行雑誌。初夏のデートをする、眉毛が八の字に下がった情けない顔の若いカップル。このこたちどんな風にセックス始めるんだろ、お互いの肩を寄せ合って、人気のない山道の脇に車とめて車内で、そんなことを想像するうち、指先がぬるぬるしてきた。そおっと中指でタンポンを押し込んでみると、入った。やった。すっきりした。
個室を出て鏡に顔を映してみる。やわらかい白熱球の光にぼおっと顔の輪郭が浮き上がり、細かなしわがたちまち消えて、誰でもそこそこ美人に見える。まつげにたっぷりまぶしたマスカラが汗でにじんで、まるで歌舞伎の隈取りだ。肩を出したキャミソールのストラップを下ろしてみる。丸出しになった肩を自分で抱き、あごを思い切り上げて目線は自分を見下ろす格好。なかなかいいじゃん。セルフ・ポートレイトでよく使うこのポーズはしのぶのお気に入りだった。この格好の写真が何枚もある。隆文に見せたことはない。
隆文に会ったのは自宅の最寄の駅の改札だった。中学校の同窓会、そんなおぞましいものに出かけたのはどういう気分だったのか、思い出せない。きっと何かいい想い出をちょうどよく思い出し、底抜けにやさしい気持ちになったんだろう。帰りの電車を降りて改札を出たところで、初めて隆文に出会った。落としましたよ、声に振り向くと本当にパスケースを落としていて、拾おうと手を伸ばしたが同窓会で泥酔したせいでふらついて、隆文のほうが先にパスケースを拾った。
「すいません」
顔もろくに見ないまま茶色と白のハラコの縞模様のパスケースを受け取ってしのぶは歩く方向を変えるとその勢いで足がからまり、アスファルトの地面に左ひざを強く打ちつけ、これじゃ千鳥足の酔っ払いそのもの、マンガみたいなこけ方にしのぶがうずくまって耐えていると、隆文が大丈夫ですかと手を差しのべてきた。春ももう終わりかけるころなのにこげ茶色のニット手袋をはめた手をしのぶは思わず握り返し、体重をかけて立ち上がろうとした。だが隆文は、これからうさぎとびを始めるようなしゃがんだ格好で、背中をしのぶに向けてきた。おぶってもらうという選択肢はこの上なく魅力的だったし、相手は自分と同じかそれより若そうだ。学生だろう、このままどこかに連れ去られて輪姦されてコンクリートで固められてしまうんだろうか、そんなことを考えるより、ただひたすら眠たかった。しのぶは隆文の背中におぶわれて、すやすやと寝入っていった。あのときのサマーセーターのコットンの匂い、背中の広さ、骨のごつごつした固さ。それがまだしのぶの体に記憶として残っている。