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新宿L/R ~和雪の場合(6)

 和雪は一緒に住んでいながら彼女も同じように感じていたのかと思うと、そのうら寒さに愕然としてしまったので、すぐにそのうら寒さを打ち消した。まだ彼女はそうは思っていないんだと断定することでとりあえず精神のバランスを保とうと和雪は決意した。あとの問題は現状を実際の精神状態に近づけることだ。つまり同棲を解消し、お互いに別の相手を見つけることである。同棲を解消すると家賃負担が増えることになる。それは痛いというのが和雪が最初に思ったことだった。預金残高が増えるのを見るとアドレナリンがどばどばと放出される和雪にはそれはボディブローのようにじわじわと効いてくる疼痛に似た出費だ。今より狭い部屋に引っ越すのも選択肢だが、今の部屋は通勤の便が良いこともあって気に入っている。早いところ次の彼女を見つけて一緒に住んでしまうことまで考えたが、現在の彼女のことが何も片付いていないのにそこまで考えるのはあまりにも人でなしのように思えたので、まずは打つべき第一手は何かを和雪は考え始めた。手切れ金のたぐいは絶対に避けなければならない。お互い好きで付き合ったのになぜ別れるときに金を渡さないといけないんだ?和雪にはまったく理解ができないものだ。それらしきことをもし彼女が言い始めたら、できるだけ静かに、そして強く抗議の意を表すことにしよう。それには断固たる意志と隙のない論理が必要になることだろう。

 それにしても、と和雪は思った。客の注文を受けてサーバーからビールを紙コップへ注ぎながら、それにしても、と和雪は急に感慨深くなってしまった。数ヶ月前、いや数週間前までは、いとしい、という気持ちが少しでもあったのに、今のこのまっしぐら感は何なのだろうか。気持ちがひとつに固まって迷いがなくなることの爽快感、次の生活への期待感などがきらきら光って目の前の鼻先ににぷらーんとぶら下がっている感じだった。その一方では、ここまで自分の気持ちに整理がついてしまうと、それをどう相手に伝えるがが最重要課題となってくるのだ。さて、第一手は。それがどこにあるか、考えようとしても、和雪はなかなか集中できなかった。しのぶが話しかけてくるからだ。目の前の真珠は和雪にしきりに話しかけてくる。ウタイのどのアルバムがいいだとか、ウタイが最近使用しているアーティスト写真がかっこいいだとか、カメラをやる人っぽく、被写体として面白いだとか何とか、少しも沈黙が訪れない。

 携帯を見ると、彼女から返信があった。誘ってくれてありがとう、始発に乗って、4時半ごろにはそちらに着く、と書いてあった。和雪はしのぶを適当にうっちゃり、ふうんとため息に似たあいづちを吐きながら、彼女の返信を読んだ。さて、と和雪は自分に向かって気持ちを切り替えるように言い聞かせた。彼女の顔を見たときどんな気持ちになるか、そのときになってみないとわからない。今になって、彼女への懐かしさがこみ上げてくる。とりあえず今は、しのぶの相手をして過ごそう。しのぶとおしゃべりしていれば、孤独なバーテンダー業務をいくらかましな時間としてこなせるのである。

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