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いちごみるく(1)

 今年いったい何度聞いたかわからない、あの曲のフレーズを聞いたとたん、快感がわき起こってきた。プロジェクターに映されたうず巻きは果てしなくらせんをえがき、それを見てたらまばたきするのがめんどくさくなった。目を離さずに体の揺れを再び始め、周りを気にせずいきなりシャウトし、どこからともなく羽交い絞めされ、わけがわからず振り向くと、うしろの友達が笑っている。友達の前歯は一本ない。口角をこれ以上ないほどつり上げて笑う顔は、ジャック・ニコルソンに引けをとらないと思う。

 薄暗い店内で光るブラックライトのせいでよけいに歯が青白く際立ち、抜けた歯の奥はどこまでも闇。飛ばしすぎぃ、じゃじゃ馬をいさめるような声とともに友達は腕をほどいてくれた。自由になった腕を両手とも頭の上に乗せて腰を振る。ベリーダンサーになったつもりで、おへその辺りに力を込めて。あ、この曲スゴイいい感じ、わたしのCDラックのぞいたでしょ?と言いたいくらい今日のDJは好みの曲をかけてくれる。ただ曲を聴いて踊るだけで快感が訪れるわけではない、と最近わかるようになった。耳から入る振動を注意深く拾い、VJの放つ光の束と無意味な映像の連続を音にリンクさせ、DJが編み出すセットの流れを知るとき、恍惚の瞬間が降りてくるんだと思う。その一瞬に感じる極彩色のめまいが忘れられずに、わたしはこの場所にまた舞い戻ってくる。

 今日のパーティは特別だ。クラブ「モモチ」は今夜閉店する。何度ここで素晴らしい音が生まれ、どれほどの人がそれに酔ったことか、新宿のど真ん中で密やかに熱狂し、静かに乱れる時間をくれてありがとう、どんなときも誰とでも、うしろ指さされることなく受け入れてくれた、その優しさを忘れない、ここで得ためくるめく快楽の連続に、思わずのけぞったあの頃、過ぎた日々はもう戻らない、だからこそ貴重だった・・・ぎゃ!猛烈な熱さと痛みを感じて叫び声を上げた。鼻の頭をライターであぶられた。目を見開くと、バットマンに出てくるジョーカーより悪意のある顔をした友達がいた。わたしは壁にもたれて眠りかけていたらしい。

 「なにぶつぶつ言ってんの。居眠りする暇なんてないよ。ホンとに今日はラスト・ダンスなんだから。悔いが残らないほど踊り続けなきゃあ」
友達は元気いっぱいに汗を飛び散らせながら頭を振った。手にはリゲインの空きビン。頭からは蛍光オレンジ色のエクステンションを生やしている。こないだ美容院で四時間かけてつけてもらったんよ、と何度も聞かされたやつだ。じゃあ、レッドアイ飲み終わったら行くから、と言って友達をダンスフロアへ押し返し、バーカウンターへ向かう。フロアの周りにめぐらされた通路にも明かりはなく、何か踏んだと感じても確かめる術はない。倒れて寝ている人を踏むこともよくある。眠気をこらえてふらついて、何度も人にぶつかった。腕がわたしの太腿くらいある人にタックルしてしまったら、体を抱えられテーブルにちょこんと載せられて、ほらシッカリしなさいよ、と英語で言われすぐにテーブルから降ろされて、ついでに脇腹をくすぐられた。内輪ネタで爆笑したあとみたいな疲労感をお腹に感じ、大量に汗をかき、カウンターに着く前に喉の渇きは頂点に達した。注文したレッドアイをほとんど一気に飲み尽くし、二分後に酔いが顔全体を覆った。フロアの歓声がにわかに湧き立って、ブースを見るとDJは交代を告げている。それをきっかけにわたしは踊る輪の中へ入り、友達を探しに行った。目印、蛍光オレンジ頭。

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