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どんな世界でも

うちの近所のコンビニに、やるなぁ、と唸る仕事ぶりの女の子がいる。
推定18歳。
店で最も若いが、原石の輝きは断トツだ。

たとえば、フリーマーケットのサイトに出品する荷物を持って行くと、
私の指定した大きさでなく
「1サイズ下でいけるんじゃないかな?」
と言ってメジャーを持ち出し、シャーッと測って
「やっぱり大丈夫」
と安くなる方法を教えてくれる。

頼んでもいないのに、「じゃないかな?」から「シャーッ」まで、1秒たりとも迷いがない。

彼女がレジに立つと、自動的に安心スイッチが入る。
「袋いりません」と自分で言ったくせに、よく見たらマイバッグがパンパンだったという時も、彼女は慌てる私に淡々と尋ねた。

「ご用意しますか?」 

「レジ打ってから袋って言われるの迷惑なんだよね」的な気配は微塵もなく、「だから最初に聞いたのに」と言いたげな無言の圧もない。
いたって平常心の、平常運転。

たぶん、それが仕事だ、と全部受け入れているのではないだろうか。
面倒も仕事のうち。
そして仕事なら、いい仕事をしようと努めるのがこの人の「普通」なのだ。
推定18歳にして。

数年前に、格安マンツーマンが売りのスポーツジムに通った時を思い出した。
インストラクターは大半が大学生らしきアルバイトで、辞める人も多いのか、行く度に担当者が替わる。

大学では柔道の選手だという女性が担当の日だ。
私がヒーヒー言いながら腹筋運動中、「1、2、3」と数える声が早過ぎて、どんどんずれていった。
演奏と歌が噛み合わないカラオケくらい気持ちが悪い。

意地悪な私は、試しに運動を止めてみる。
するとカウントも止まるので、見てはいるらしい。ただ、上の空で「数える」作業だけを遂行しているのだ。

そうだよね、10回でヒーヒーの人につき合うなんて、スポーツ選手はつまんないよねと卑屈になりかけた時、新人男子が現れた。

期待ゼロで始まると、しかし彼の掛け声は違った。
「いーち、にーい、頑張って、さーん! もう一回、よーん!」
タイミングと呼吸を合わせ、背中を押してくれるようなかけ声のおかげで、この日はなんと25回もできた。

なんだこれは。
数を数える声一つで、こんなに違ってしまうとは。
彼は私の動きを見て、どこに力が入っているか、何をわかっていないのか、まで考え、誘導しながら数えていたのである。

「見る」という意味はこういうことかと知った。
視界に入れるだけじゃない。見えている周辺や後先を考えるまでが、仕事における「見る」の範囲だ。

彼だってほかのインストラクターと同じ、大学生アルバイトだ。
春休みの間だけ。しかも有名ジムでアスリートやモデルの鍛えた体を磨くのでなく、格安ジムで素人・小太りのえっちらおっちらを指導するなど、気分も上がらないであろう。
だが、彼は100%で臨んでくる。

今、目の前にある自分の仕事を見くびらない、ということだ。
コンビニの女の子やジムの新人男子のような人は、きっとこの先、どの世界のどんな職業に就いたとしても、人より抜きん出ていくのだろうなと思う。
(秋田魁新報「遠い風 近い風」2023年3月25日掲載)

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