どこで買うか、誰から買うか
時々ふらっと行く小さな酒場が、レコードプレーヤーを買った。
アナログな音は深い。人間の目に映る月をデジタルカメラが写せないように、レコードは、数字が取りこぼしてしまうあわいの音を拾うのだろうか?
真相はわからないが、その店に通う常連たちは以前よりしみじみと音を味わい、心なしかお酒もおいしくなったような気がする、なんて言っている。
彼らのために、店主はせっせとレコードを集めている。どんどん増えるので、インターネットで買い漁っているのかと想像していたら、否。ここと決めた、気に入りのレコード店に足を運んで探しているのだそうだ。
店主は言う。
「どこの店で買うかによって、なんだか、音が違うんですよ」
大量生産のレコードで、そんなことがあるのだろうか?
一瞬訝ったが、ちょっと待てよ。私はこれまで取材で、何人ものソムリエからこんな言葉を聞いたことがある。
「ワインは、どこで飲むか、誰に注がれるかで確実においしさが変わります」
もちろん、仕入れルートやお店のワインセラー、保管状態、ソムリエの技術力なども大いに影響するだろう。レコードだって仕入れと保管は大事だ。
また別の世界から言えば、「気」の流れの良し悪しも、ひょっとしたらあるかもしれない。
けれどそれ以上に、「顔を見る」ということがもたらす力が、あるような気がしてしかたない。
その人の顔を見て買う、飲む、食べる。だからおいしい。
私の知人に、やはり飲食店の取材をしている同業者がいる。もちろんミシュランの星付きレストランも知っているし、ワインもエキスパートだ。
最高級の食事ならさんざん食べ尽くしている彼女がよく、一日の最後、行きつけのワインバーでフリット(揚げ物)を食べ、おまかせのワインを飲んでいた。
その時の名台詞を思い出す。
「私は、フリットが食べたくて来ているんじゃない。(店主の)あの顔を見ながら食べるフリットが、食べたいんです」
顔を見て、言葉を交わし、関わり合う中にしか生まれない何か。それはもしかしたら、「安心」という感覚だろうか。
これもあるサービスマンの持論だが、アスリートがリラックス時に力を発揮するように、飲食も、緊張していない方が「おいしい」の感度が高くなる。
だからできるだけ緊張や不安を感じさせないよう、万全の準備を匂わせず、あえて抜くところは抜くという。
気を遣ったり構えたりといった余計なスイッチをオフにした人々は、心のまま、楽しむことだけに没頭できるというわけだ。
安心できる人や場所を得るのは、案外難しい。
「この人なら間違いがない」と思える信頼、「この場所なら自分の好みも、存在も受け入れてもらえる」と自身を委ねられる確信。
それは噂や情報で測れるものでなく、自分が感じるものだから。
そしてそういう場所を、私たちは無意識のうちに求めている。
レコードも、ワインも、フリットも、同じなようで同じじゃない。信じられる顔を見て買うものは、きっと科学的にも非科学的にも、幸福の質が違うのだ。
2019.10.26
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