梅香(メイシャン)/神楽坂
2008年12月、姉妹で営む可憐な名前の中国四川料理店「梅香」が誕生しました。
当時、女性料理人の独立は圧倒的に少なく、中国料理となればさらに希少。編集者と私はすぐ食べに行き、その場で取材をお願いして、翌年4月発売号の『料理通信』新米オーナーズストーリーに掲載させてもらいました。
今でもはっきりと憶えています。開店直後のまだ無名の店にもかかわらず満席、そこにいる全員がいい顔をしていたこと。
よい香り、よい音、よい「気」のようなもの。この気持ちよさはなんだろう?と考えていたら、隣のテーブルの人のささやきが聞こえてきて、答えがわかりました(そして文末にそのまま書いています)。
シェフの伊藤(文中では旧姓・山村)光恵さんは短大時代、「おいしい料理と会話で、人は幸せな気持ちになれる」というシンプルな動機で、OL志望から料理人へと舵を切った人。コロナ禍を経験した今、私達の胸にはその言葉がいっそう強く響きますよね。
2008.12.18 OPEN
心も、体も、元気になってもらいたい。
四川料理店「梅香」オーナーシェフ、山村※1光恵さんの話を聞きながら、差し出されたものを理屈抜きに感じられる素直さとは、なんて強い力だろうと思った。
12年前の山村さんは、OLになるつもりだった。
料理をするより、食べること飲むことが好きな短大生。いつの間にか近所に行きつけの店ができた。
「将来のことで悩んでも、その店へ行くと前向きになれる。ああ、おいしい料理と会話で、人は幸せな気持ちになれるんだなぁと。そんな時本屋で、熊谷喜八さんの本に『食を通してロマンを売る』という言葉を見つけて、これだ! と」
だから「キハチ」に入社。
料理人志望でも最低1年はサービスに就くと言われたが、じゃあ1年で厨房に入れるかというと、保証はない。
だが、たまたま「キハチ チャイナ」の新規開店が決まった。
フレンチは人気だから中華の方が厨房に入れる確率は高いかも、行く?と訊かれ、行きます、と手を挙げた。
「それだけの動機ですが、やってみたら面白くて。中華は(厨房で)立つ位置が変わらないうえ、鍋も一つで、茹でる、蒸す、炒める、揚げる、焼く、といろんなことができる。効率的なところが好きになりました」
中国料理店を食べ歩くうち、当時新橋にあった「趙楊(ちょうよう)」で「水煮牛肉」(シュイズーニュウロウ。牛肉煮込み山椒オイル掛け)に出合う。
「惚れちゃった。衝撃でした。趙楊さんの水煮牛肉は、皿が運ばれると“香りの道”が何秒か残ったままなんです。どうしても四川料理を学びたくなりました」
「趙楊」の門を叩いた。
師匠から「香りや食材の生かし方、バランス」を叩き込まれ、料理が面白くなっていく。
石の上にきちんと3年。違うこともしてみよう、とワインバー「カノン」へ移る。ベースは中華でも当然ワインに添う料理が求められ、深夜だから、お客が食べたいと言えばカルボナーラも作った。
「お客さんの前に顔を出すようになって初めて、お客さんっていいものだな、と思いました。
それまでは怖い存在だと思っていたから。でも“楽しかった”と言ってもらえると、“こちらこそ”と言いたい気持ちになる。頑張ろうと思えました」
独立に向けて、仕上げは再び「趙楊」へ。
32歳で「今かな」と思った時、やりたいことは12年前の出発点と少しもブレていなかった。
心も、体も、元気になってもらえるような店を作るのだ。
「生命力のある四川料理を。生命力とは、その時季に勢いのある素材、香り、つや、火の通し方や味のバランスも含めたトータルから生まれるものだと思います」
彼女が料理を作り、妹の昌代さんがサービスをする。2人なら18席程度、とすれば広さは15坪前後。油を使うから厨房はクローズドでも仕方ない、でも客さんの顔が見える配置がいい。
それらを満たす物件を、
「元気になれるようなお店が求められるのは、仕事でストレスを抱える人かな」
と、オフィス街の新宿近辺で探したところがいかにも彼女らしい。
飲食店可の物件は少なく、油がネックなのか中華OKはさらにない。
しかし山村さんは3ヶ月で、中国料理店の居抜き物件を見つけている。
曰く「ピンと来た」。
造作譲渡金420万円には悩んだものの、神楽坂で3駅利用、駅近という地の利はありがたい。厨房設備や、排水・電気・換気工事の費用もかからない。
妹とピカピカに磨き上げた店には、絵も飾りもない。
簡素だが、それがかえって日常使いを物語る。中国料理と身構えず「ごはん食べに行く?」の感覚で、2人でもいいし、ワインもあるし、単品で好きに頼めるのも嬉しい。
だがコースを見れば、中国料理好きなら身を乗り出さずにいられない構成、という甘い罠。
「趙楊さんに教わったのは、“一つひとつの料理がおいしいのは当たり前で、流れを考えるのがプロの仕事”ということ。コースの流れに私の個性があります」
午後7時。
奥に細長い客席は、いつの間にかアジアの食堂のような匂いとざわめきに満ちていた。四川独特の辛味は爽やかで、「なんかほっとするね」という言葉が隣のテーブルから聞こえてくる。
※1 旧姓。現在は伊藤さんです。
梅香(メイシャン)
東京都新宿区横寺町37-39 中島第一ビル 1階
☎03-3260-2658
「梅香」の10年後は、『dancyu』2019年2月号の連載「東京で十年。」で書いています。
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