52間の縁側
2022年の冬至前。
千葉県八千代市にある『52間(けん)の縁側』という宅老所(デイサービス)へと視察にお伺いしました。
すばらしい場所。ちょっと長くなってしまったのですが、心に響いたことなど、自分なりのメモとして記しておきます。
1 『その人らしく生きる』
52間の縁側の、真ん中におかれていると感じたものだ。
この秋に生まれた新しいプレイス。『いしいさん家』という宅老所を3つ運営する石井英寿さんがつくられた場所。
ありのまま、その人らしく。
みんなの家、普通の家。・・・
彼の言葉が、そのまま体現されていると感じる。
福祉の世界に少し関わるまで、私は不勉強にして知らなかったのだけれど。日本の福祉の世界では「その人らしく」というごく当たり前のように思えることが日常ではないのだそうだ。
起床から寝る時間。ごはんを食べる時間。お風呂の時間・・・すべては施設のルールで決められた通り。あるいは、デイサービスの方がやってくるタイミング、ポイント制等に縛られた行動でできている。
そこに人本来の自由はない。
『ブロイラーですよね。まるで』と言った方がいる。
今日朝ごはんはいらないなあ。。。その代わり、もう少し寝ていたい。
天気が良いから、お日様にあたりたい。
夜、お風呂に入ってから、寝たい。
いつものスーパーではなくて、5分先のスーパーにたまには行ってみたい…等々
そんな普通の、ごく当たり前の人としての気持ちが、叶わない福祉の普通。
52間にくると、人本来の在り方が、普通。
「こんなところで私も働いてみたい。」
「誰もが、こんなところで最後まで生きられたら、理想ですよね。」
別の介護施設で働いている友人が口々に言った。
よくわかるなあ・・・。
一生、人がよく生きる。
その人本来のありよう。人がありたい自由。
ほんの小さな日常であっても。なにより大切な暮らしだからこそ。
そのお手伝いがしたいなと、改めて、感じた。
2 『いろんな人に居場所がある』
ふつうの社会だと時に居場所のない人たちが、52間の縁側にはふつうにいた。
すっごいいいなあと、しみじみ思った。
+たとえば、万引きして在宅起訴になっているYさん。
+小学校6年生の、お面をかぶっている少年。(たぶん引きこもりか不登校?)
+建物に物理的に入れなくて、いつも外を走り回っている元精神科医さん。
+デイサービスに来ているお年寄りのかた…など
私がいつも散歩する川沿いの道には、いつも昼間から氷結ロング缶を飲んでいる50代半ばぐらいのおじさんがいる。「ああ〜・・・きっと居場所がないんだな。」といつも思う。きっと本当はそうありたいわけじゃないのだけれど。色々な事情や環境下で、社会に居場所がなく、何者でもない人々がいる。
でもね。52間の縁側には、居場所がある。
Yさんもつい何かがあって万引きとかになってしまったんだろうけれども。とてもいい人で、いい動きで、たくさん働きをしてくれている。日本社会の中で時に居場所がなくなる厳しさをよくみるが、ここにはふつうに居場所がある。
お面の少年は、「大好きなおじいちゃんと一緒にいたい」という。ここにくると「ありがとう」って言ってもらえるんだという。
医師の友人や介護をしている友人から、「老老介護ですよ」といつも聞く。
日本の人口ピラミッドを思えば老老介護は仕方ないでしょう。と個人的には思う。圧倒的に若い子の数は少なく。未来のある若い子に、社会問題だから老人のお世話をみんなもっとしなさいと言うのも酷な話だ。若い頃、人は自分の道を自分で選び未来をつくってきたのだから。
ああ、でもこの。
こんな風に、ふつうの社会に居場所がなかったり、居心地が悪い人たちのふつうの居場所をつくることができるのであれば。凸デコと凹ボコがピタッとはまるように。人と人は互いの役に立ちながら、互いにともにいられる場所になれるのだろうなと思うのだ。
3 『生まれるから死ぬまで』
52間の縁側には、隣に古民家がある。ここを今後、看取りの場所にするという。
「助産の場にするのもいいね!」
「産前体操からはじまって、生まれた後の赤ちゃんの色々とか、助産を軸に流れが組み立てられるね。」
「2Fは子供たちの隠れ家にいいね。大きな梁や日本の伝統を感じられる場に整えて」
助産から看取りまで。
老人とママと子供たちと赤ちゃん。
ここは、「生から死まで、すべてがある場所」になるといいんだなと思った。
「みんなの開かれた実家」
福祉の世界における、生から死までの、すべてがある場所。
ちょっと困ったときに「ちょっと預かっといて〜」と言える場所。
個人的な妄想だけれども。
将来的に福祉のインターンを学べる場所となるのが良いと思った。本格的研修の受け入れ場所。生から死までのすべて。
人の生きる学びの総合プレイス。ここに来ることで、色々な福祉に接することができる。赤ちゃんから看取りまで、人と命のありようの本来の姿。誰かがいてくれることで互いに楽になる世界。親の介護がきっかけできたけれど、隣の障害者福祉が気になって、ちょっとやってみて、、、新たな接点や世界が開ける人もいる。周辺エリアの空き地を宿泊施設とし、地域との関係性の中で組み上げていく。
人の学び直しの場。一定期間しっかり学びたい人もあれば、自分の家族のケアのためのコツを学ぶためのワークショップなど、ライトな学びまで。
継続的・安定的な学びの受け入れの流れができていくと、場所のマネタイズにおける一つの基盤的流れもまた、生まれてくるように思うのだ。
そして石井さん自身が、福祉の総合コンサルティングとして、その役割を拡張していくことができる。それもまたマネタイズの安定性へとつながる。
以上、ひとつの妄想ですが。
この場所が巡ること。巡り続けること。
すなわちマネタイズが唯一の根幹課題であるこの場所にとって。この場所の未来への、自分なりのアイデアイメージであります。
よき場所を、
よき訪問をありがとうございました。
ロックな事業所さんとのコラボ、ワクワク心から楽しみにしています。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
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