空からの手紙 (2)
「 今年の役員大変よね。まあ、リモートで会議できるから学校行かなくて良いのは有難いけどさ 」
「 うん、でも運動会も無いし文化祭もないし。役員になっても何すればいいかわかんないのが困るよね 」
「 とりあえずマスクを新一年生に配る分作れたのが良かったわ。でも、協力してくれる人とそうでない人の温度差激しくない? 」
「 … 人それぞれだからさ、仕事が忙しくって余裕無い人もいるでしょう 」
「 渚さんは優しいからそんな事言うけど、役員内では色々あるのよ。まあ、出来ない人の分作ってくれた貴女がそう言うならそういう事にしましょう。マスクありがとね!また来月はリモートで、よろしく 」
久しぶりに学校に行き役員の一人と話をした。執行部として2年目、去年と同じように終わるはずだった流れが一変した。
子ども達の為にがコンセプトの育友会だから文化祭でバザーをしたり、運動会で親子競技を組み入れてもらったりそんなこんなが無くなったのだ。
楽になって良かったという声もわりと多い。確かに楽ではあるけれど、それで良いのかちょっと違和感。
白黒はっきりしないと気が済まない方ですか?アンケートでイエスと答えた人は50%にも及ぶそうだ。クイズ番組の解答だから、どこまで精密かは分からない。だけど、昔に比べて多くなっている気がする。
学校の役員になるのは時間の損だからしない。仕事で地味な仕事は人にさせて、やりがいのある、ある意味目立つ仕事のみ頑張る。損得、白黒ハッキリしている、そういう人が増えているみたいだ。
学校の役員の集まり( 今年は集まれないが )は確かに無駄が多い。時間がたっぷりある人と有給使ってきてる人は効率化を求める意識が違うんだ。
私はお互いの共通点を探っていって融和して、作業をやりやすく、雰囲気良くしていきたい。人のできない事を指摘して敵対し合う関係性にはしたく無いんだ。
職場でもそう。若い子は何をするにもスピードが早くて、パソコンも息をする様にできる。年配者は細かくて丁寧で、パソコンは苦手で、スピードだけで雑になりがちな若い子の小さいミスをこれぞとばかりにあげつらう。
お互い出来ないことを助けあえばいいのに。スピードで取りこぼしたミスをフォローして、苦手なパソコンは協力してもらってって、甘い考えなのかな?
今夜の夕食の唐揚げを作り、明日のお弁当の仕込みをしながらそんな事を考えた。いつものありふれた毎日だ。
後片付けが終わり、子どもも主人も就寝した今が素の自分に戻れる時間だ。母親でも奥さんでも無い自由な存在。
iPadを開けfacebookを開く。懐かしいアイコン、日に焼けた瀬川君のページに飛ぶ。
今は学校作りもひと段落して、東南アジアの小さい国で日本語を教えているらしい。時折更新される季節の便りは、異国と瀬川くんを知る小さな楽しみになっている。
数ヶ月ぶりの投稿は、彼のいる国の窮状を訴える投稿だった。マスクやアルコール、石鹸がたりない。もしコロナが流行ったら手遅れになると、彼のチームがクラウドファンディングを募ってた。
連絡を取るのは控えていたんだ。遠い人、もう覚えてもいないでしょう。昔サークルで一緒だった、それだけの関係だから。
それでも、あの国の子ども達の無邪気な笑顔の写真や、学校作りに頑張っていた瀬川くん達の姿を追っているうちに、他人事では無いって思えてきたんだ。
わずかばかり金額を寄付し、初めてコメントをする。
「 学生時代、同じサークルにいた渚です。旧姓、関 渚。 覚えていますか? 」
彼のページに広がる朝焼けの空。
ベランダから見上げる星空はあの空に繋がっているのかな。