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≪景色≫は波に揺られて姿をあらわす

 久しぶりに海へ行きたくなった。高校生の頃、海岸で初めてシーグラスを見つけた。「うわぁきれい!!これって何だろう?!」と驚く私にむかって「あぁ、ガラスの破片だよ。海によくあるんだ」と友達は事も無げに言ったんだ。彼女は海の側に住んでいたから、そんなこと常識だったのね。



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 テレビを見ていたら金継ぎされた陶器やカップの映像が流れていた。

 割れたり欠けたりした器を漆で接着し、継いだ部分を金で装飾しながら修復する事を金継ぎ(きんつぎ)という。そうして出来た模様を《景色》というそうだ。思い出のある器に手を加えて蘇らせる、いいな、そういうの。

 気になってネットで調べてみたら、静かなブームなのかな?お手軽キットが売っていたり、ワークショップも開催されているんだ。



 驚いたのは、シー陶器とシーグラスを継ないでイヤリングにした作品などもあるってこと。シー陶器とは、陶器の破片が海の中で波に揺られて削られて浜辺に打ち上げられたもの。誰も傷つけない角の取れた柔らかな破片は、海からの贈り物だね。シーグラスはそれのガラス版。

 海流にのって砂浜に打ち上げられた陶器やガラスはどこを旅して来たのだろう?遥か平安時代のものかもしれないし、遠い異国からたどり着いたのかもしれない。器からアクセサリーへ変貌を遂げるなんて、彼らは夢にも思わなかっただろうね。




 人の人生も色々で、無傷のまま今に繋がることは無いのだろう。器は割れて当たり前。人生もつまずいて転ぶなんて当たり前なんだ。それならば継なげばいい。そこに≪景色≫が見えるから。

 もし、元に戻らなくても、新たに輝く場所があるんじゃないか。器からアクセサリーになれたように、割れたからこそ表現できる静かで美しいもの。


 だから波に揺られて変わっていく自分や、どんな海岸にたどり着くのかわからない、そんな不安を恐れずにいたいんだ。流れに沿って次の場所へ、新しい景色を求めて。

 そう感じた秋分の日の空は、澄んだ海のような色だった。





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