悔しさと切なさと、ささいな幸せ
アメイジンググレイスの曲が枕元で流れる。浅い眠りだったのだろう、夢を鮮明に覚えていた。シャワーを浴びているけれど排水溝がない。水は流れず溜まっていく。あぁどうしよう!レギュラーかというほどよく見る夢。夢占いではストレスが溜まっているらしい。
5月からお笑い芸人さんのYouTubeに夢中だ。その中のひとつにニューヨークさんのチャンネルがある。今日は兄弟漫才のミキさんと対談している動画を見た。小さな室内、透明なアクリル板越しに熱量の高い話をしていた。
テレビに出るよりも漫才の仕事の方が好きなミキさんらしいエピソード。
兄の亜生さんがコロナで3週間休んだ後のこと。復帰して3日目に10ステージ寄席の出番があり(ニューヨークさんもびっくりしてた)前日までは調子悪くて「マジかよ!」って思ってたけど、仕事をやり終えた後はめっちゃ元気になったって言うんだ。荒療法だって嬉しそうに笑ってた。
一方、弟の昴生さんはM-1でのエピソードを悔しそうに語っていた。
『寄席でドッカーンドッカーンウケていたネタを持っていったら、全然ウケへんかったんよ。(YouTubeでそれが上げられていたみたいで)物凄い数のバッドがついておるんよ。俺悔しゅうなって同じくらいのバッドついてる動画探したんよ。そしたら30代ニートでオカンにビール買うてこい!って怒鳴ってる動画があったん。何でそんなんと同じくらいのバッドもらわなあかん?!人を笑わかせたろうと思って一生懸命頑張ってきてるのに何でそんなバッドもらわなあかん?!』
・・・切ないわ。お母さんの手伝いをしようと思ってキッチンに近づくと「邪魔だから退きなさい!!」と言われるくらい切ない。パートナーが作ったご飯に「まずい!」としか感想言われないくらい悲しい。最近批判的な言葉ばかり言う人多くないですか?
そんな心折れる事があっても芸人続けられるって、眩しいな。その後同じネタを寄席でやり、もう一度ドッカーンドッカーン笑いを取った後、実はM-1では全然だったと話をしてネタを封印したんだって。次のM-1は寄席用とは違うタイプのネタを作ってまた挑戦するって。本当に笑いが好きなんだね。
私は仕事はそんな好きじゃない(キッパリ)。先日の夜勤、男性患者さんに突然キレられた。薬を飲ませている時、その患者さんの飲み込みが悪くむせたのがきっかけだと思う。「おまえ〜!バカにしとるのか!!」えっ?という顔で見たのもいけなかったのだろう。閉めたドアをバンバン叩き怒り声を叫び続けていた。
今日は別の男性患者さんが、女性スタッフに大声で怒鳴り散らしていた。男性スタッフが止めに入りドクターも出てきて宥めるが怒りが収まらない。些細な事、言い方が気に入らなかった、そんな感じでスイッチが入るんだ。何でそんなキレられなきゃあかん?!
理不尽さに挫けそうになる。良かれと思ってしていることがうまく通じない世界。それでも仕事が好きなら工夫して頑張るのだろうか。今の仕事は生きる為、生活する為。後付けで言うなら、入院されている患者さんに心地よい生活を送って欲しいから。それは本心だけど、相手に伝わらないのが悔しいんだ。
でももしかして、排水溝がないシャワーの夢、退院出来ない入院患者さんと同じかもしれないね。気持ちを抑えるだけ抑えて行き場が無くて感情が爆発している。外に出れない、家族とも会えないストレスは想像以上に患者さんを蝕んでるの。じゃあ、自由に外に出れる私はとっても幸せなんだ。
日の入りが遅くなってきたのが嬉しい。明るい帰り道に気の合う同僚と愚痴を言ったり晩御飯の話をしたりの何気ない会話が楽しい。歩きながら道路脇に視線を向けると矢車草やバジルの花、パンジーに紫陽花の緑。まるで小さなイングリッシュガーデンみたいだ。瑞々しく咲く花々が可愛く揺れる。
そんな些細な時間の積み重ねが心の安定を積み上げていくのだ、きっと。視線の向きを変えるだけで目に映る世界が変わるのかもしれない。身に起こる何かを考えるよりも、そこで何を見るか見つけるかなんだろうね。
明日も太陽が昇る頃、アメイジンググレイス《大いなる(素晴らしき)神の恵み》の曲が私を起こしてくれる。軽くコーヒーを飲みバナナトーストを食べよう。家を出る前にベランダの鉢植えに水をかけながら声をかけるんだ。「おはよう。大好きだよ」。太陽の恵みを一身に受け凛と咲く花のように、ピンと背筋を伸ばして歩いていこう。