弱くても、カッコ悪くても、自分を生ききればいいんだ
こんにちは。
カウンセラーのNAOKO(松宮直子)です。
今日は、ご相談者さんのカードリーディングで引いたカード(草場さんのカードです)の「タイトル」から入ります^^
初めて不動明王さまが出たのですが、カードの説明文を読んでいて、誰しもが陥ることだなぁ・・なんて納得しました。
カードの説明文を載せますね。
【不動明王】
”弱くてもカッコ悪くても、自分を生ききればよい”
わが身を見るものにはほとけの道が開かれる。
大日如来の使者である不動明王の言葉です。
恐ろしいお姿は、外道の道に進もうとするものを内道(真理の教え)に引き戻すためです。
自分がこんな目にあっているのはあいつのせいだ、〇〇のせいだ。
それがほとけの道に反した生き方=外道です。
そこから生まれるのは、ほかならない苦しみです。
どんな障壁がたちふさごうとも、迷い、誤ろうとも、自分の人生をしかと引き受ければ、必ず救いの手が差し伸べられると説かれています。
家庭や学校、会社など社会生活の中で求められた自分像を演じているうちに、
いつのまにか本当の自分を見失ってしまうことがあります。
自分の本音を押し殺して、ひたすらまわりに同調して生きることが習慣づいてしまい、本当の自分を失って、
不都合はみな人のせいにして逃げ込んでしまうのです。
さあ、自分を取り戻しましょう。
弱くても、カッコ悪くても、喜怒哀楽のある生身の自分でよいではないですか。
あなたしかいないのです。あなたの人生を生きるのは。
・・・・(カード説明文終わり)・・・・
誰しもが、酷い目に遭ったら、
「〇〇のせいで、こんなに酷い思いをしている」
と思うはずです。
人間なので、むしろ当たり前ではないでしょうか。
それは、「被害者」である時間も必要だからです。
「〇〇のせいで、私は不幸になってしまった。私はなんて可哀想なの。。
こんな理不尽な目に遭わせるなんて本当に酷いやつだ。」
「そんな酷い目に遭ってしまった自分を慰めてあげよう。周りの人に慰めてもらおう。励ましてもらおう。」
このような期間を経て、少しずつ「被害者である立場」から変化が訪れるのではないかと思っています。
ただ、問題は「相当の年月」が経っても、
「あいつのせいで私の人生は狂ってしまったんだ。あいつのせいで・・」
とずっとこの想いを手放せないとき。
相当の年月が経っても、この想いを抱えてしまうと、自分が苦しくなってしまうだけになります。
だから人は、何らかの「意味づけ」をするのではないでしょうか。
「〇〇という酷い思いをしたけれど、結果として〇〇ということも得られた」
という前向きな意味づけですね。
”起こってしまった事実は変わらない”
けれど、”捉え方”は変わることはできるということなのでしょう。
捉え方が徐々に変わってきたとき・・
”〇〇という存在が自分の人生を狂わせていた”
という関連性がなくなると、
”〇〇という存在は、〇〇をした。
それとは別に今の私の人生は〇〇となった。”
このように、酷いことをした相手と自分の人生との切り離しができるようになってきたということですね。
ここにまで至れるようになると、だいぶラクになれます。
苦しい思いは永遠には続かない
というのは、このような心の変化があるからです。
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