
『三文オペラ』上演の難しさ?〜【Opera』びわ湖ホール オペラへの招待『三文オペラ』
2012年にびわ湖ホールで初演、翌13年には新国立劇場地域招聘オペラ公演で上演された栗山昌良演出の『三文オペラ』が、10年以上の時を経て初演地のびわ湖ホールで上演された。私は13年の新国立劇場公演を観ているが、その時感じた「不満」は、残念ながら再演でも解消されることはなかった(再演演出は多くの栗山作品で助手を務めた奥野浩子)。
いちばんの問題は、「歌手の演技」だ。もちろんオペラ歌手は「芝居のプロ」ではないので、ストレートプレイの俳優のような演技力を求めるのは難しいことは承知している。それにしても、だ。本公演は歌唱・台詞ともに日本語による上演だが、日本語歌唱では功を奏していた「わかりやすい発声」が、芝居になった途端にあまりにも不自然なセリフ回しとなり、日本語の自然なイントネーションが失われているために演技自体が稚拙に感じられてしまうのだ。また、登場人物が多くの場合正面を向いてセリフを喋るのはどういう意図なのだろうか。血の通った人間同士が会話をしているはずなのに、それぞれが正面を向いて棒立ちになって喋るので、まるで操り人形か何かのように見える箇所があった。日本のオペラ界でも現代演出が当たり前に行われるようになり、またオペラ以外のジャンルで活躍する演出家が演出を手がける舞台も多く、俳優顔負けの演技や身体表現をかなり高いレベルでこなす歌手がどんどん出てきている時代だ。いずれも若いびわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーがキャスティングされていたのだから、もっとリアルでビビッドな演技ができたのではないだろうか。
つまりこれは歌手の問題ではなく、演出家の、演出の問題だろう。そもそも『三文オペラ』という作品は、18世紀イギリスの『乞食オペラ』からストーリーと登場人物を借りながら、1920年代のベルリンの社会や時代をアクチュアルに映し出すものだ。登場人物はいずれも社会の最下層を生きる人たちで、最下層であるがゆえに性や金や愛や力へのあからさまな欲望が躊躇なく披露されていくのだが、そこには人間の持つ根源的なエネルギーが横溢している。この作品が1920年代=ワイマール共和国時代のベルリンを象徴するといわれるまでにヒットした原因は、まさにそこにある。その時、そこに生きる人たちのエネルギー。『三文オペラ』という作品の魅力の源。これまでに『三文オペラ』は様々なジャンル、様々なスタイルで翻案されてきたが、時代や場所を変えようとも、筋立てさえ変えようともこの「人間のエネルギー」さえ感じられればそれは『三文オペラ』なのだ、ということができる(たとえば戦後日本のスラム街に生きる人たちを描いた開高健の小説『日本三文オペラ』などは、元の作品とはまったく違うストーリーでありながら、なんともいえない人を食った猥雑さとそこから溢れ出てくる人間のエネルギーが確かに『三文オペラ』だと思わせる傑作である)。 たいへん残念ながら、今回の公演にそのエネルギーがあったのかと問われれば疑問符をつけざるを得ない。
こうした演出上の問題点とは対照的に、音楽のクオリティは極めて高かった。オリジナルの編成を忠実に再現したザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の演奏は、カバレット・シャンソンやジャズやブルースやタンゴの要素を縦横無尽に用いたヴァイルのソングの魅力を見事に伝えてくれた。ピアノに寺嶋陸也を迎えたことも成功の大きな要因だったと思う。ご存知のように寺嶋は長年オペラシアターこんにゃく座で新しい音楽劇やソングの創造に携わってきた。その経験と、作曲家としてのヴァイルへの深い理解が演奏全体のレベルを底上げしていたと推察する。演技面では色々述べたが、キャスト陣の日本語歌唱のレベルは総じて高く、演奏の満足度は十分に高かったことは記しておきたい。メッキース役の福西仁は、先月神戸市文化ホール『ファルスタッフ』でパルドルフォを演じたテノール。ピュアな美声でメッキースの色男としてのキャラを際立たせていた。誰よりもブレヒト/ヴァイルの特徴をつかみ、聴かせてくれたのはピーチャム夫人役の森季子。森は演技力も素晴らしく、「セックスのとりこのバラード」など、見事に『三文オペラ』の世界の住人となっていた。そして、こうした音楽上のパフォーマンスを引き出し得たのは、指揮の園田隆一郎あってこそだったことも忘れてはならないだろう。
これまで様々なジャンルの様々なプロダクションで『三文オペラ』を観てきたが、特に日本のオペラに限っていえばなかなか「これぞ」という上演にお目にかかれない。『三文オペラ』をオペラ歌手が演じるのか、俳優が演じるべきなのか、ということは繰り返し問われているが、問題なのはジャンルではない。どのように翻案してくれても構わない、今、ここで生きる人たちのエネルギーに浸らせてくれる『三文オペラ』をみせて、聴かせてくれないだろうか。オペラ歌手の歌唱・演技のレベルが一昔前とは比べ物にならないほど上がっているのだ。それは決して夢物語ではないと私は思う。
2025年1月27日、びわ湖ホール中ホール。
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