「生活に帰ろう」と言って小沢健二は去っていった〜【Concert】小沢健二「So kakkoii 宇宙 Shows」
正直にいうと90年代、私は小沢健二の良い聴き手ではなかった。というか、東大出で小澤征爾の甥の王子様がオシャレでカッコよくてスタイリッシュでポップでメロウでアーバンな「渋谷系」たらいう音楽をやってること、それ自体を「ケッ」と思ってた。でもそんな中でラジオから流れてきた「今夜はブギーバック(小沢健二 featuring スチャダラパー)」が気に入って、そのCDシングル(というのがあったんですよ当時)を買って車の中で流していたのは、今になってみれば自分の中に何かが起こったんだなとわかる。その後今の夫と出会い、彼がフリッパーズギター時代からのオザケン好きでアルバムを全部持っていたので借りて聴きまくり、その頃には某国営放送の資料室にあったアルバム未収録のCDシングルを借りてきてダビングするぐらいにはハマっていた。でももう小沢くんは活動休止していたし、もちろん新しい曲もアルバムも出ていなかった。その後リリースされた『Eclectic』の変貌に(いろんな意味で)度肝を抜かれ、『Ecology of Everyday Life 毎日の環境学』に至ってはもうあの「小沢くん」は二度と戻ってこないのだろうと思って、90年代にしっかりと「小沢健二」にヤラレておかなかった自分を悔やんだ。しかし神様オザケン様は私を見捨てていなかった。2019年に19年ぶりシングル「流動体について」がリリースされ、もう一度戻ってきたのだ「小沢くん」が。私(と夫)はCDを買って涙を流した。本当に誇張じゃなく泣いた。私にとって「あったはずの90年代」「あってほしかった90年代」がそこにはあった。
ただ、やはり2019年は1994年じゃない。50歳になった小沢健二の声は、少しだけ、ほんの少しだけ「輝き」が減少していた(ちょうど18金のネックレスが年を経て少しだけ輝きを減じたように)。90年代を知らない若者が「ヘタじゃん」というのを聞いて「いや、元からヘタだから!」と変な擁護をかましながら(余談だが、小沢健二の歌にいわゆる声楽的な「上手さ」がないことは彼の歌をいささかも貶めることにはなっていないと考えている)、そこに確かにあるべき「きらめき」のようなものが弱くなっているなあとは感じていた。仕方ない。歳を取るとはそういうことだ。ただ楽曲は凄かったし、小沢健二は相変わらず「音楽」を諦めていないんだなということが本当に嬉しかったのだ。
そしてついについに、コロナ禍によって2年越しの延期となったツアー「So kakkoii 宇宙 Shows」にやって来た。私にとっては2年越しどころか、30年越しのライブだ。もちろん、私に小沢健二を教えてくれた夫と2人で出かけた。最近のアルバムからの曲と90年代のヒット曲を織り交ぜたセットリストは本当によく考えられていて、30人編成のオーケストラ・アレンジはひどく美しかった。あんまり好きじゃなかった(!)「いちょう並木のセレナーデ」で不思議と涙が出たし、「今夜はブギーバック」(エクレク・バージョンでした)では完全に20代の気分だった。「天使たちのシーン」や「ローラースケート・パーク」が今でも全然古びていないことに感激した。「フクロウの声が聞こえる」の良さを再確認して、「ある光」のロングバージョンのセリフにうっとりした。
何よりも感激したのは、小沢くんの歌が完全に戻っていたこと。テレビで「流動体について」を歌っていた時に感じたあの「弱さ」がなかったのだ。2時間近くのライブの間、彼の声はキラキラして、力強くて、エネルギーを発散していた。そして彼はずっと楽しそうだった。音楽をする喜びが全身からあふれ出ていて、それを客席が共有する。それは、ジャンルを問わず、優れたアーティストのステージに接するときにいつも感じることだ。そして、音楽に人生を捧げた人でなければできないことだ。
アンコールが終わる時、彼は言った、「じゃあ生活に帰るよ」と。そして5からカウントダウンをして、最後に再び「生活に帰ろう」と言ってステージを去っていった。生活。今の私にとって「生活」とは、毎日子どものお弁当を作ったり、洗濯をしたり、掃除をしたり、買い物して料理を作ったりすることだ。何よりも家族と一緒に過ごす時間が「生活」だ。一方でその「生活」を成り立たせるために「音楽」があって、しばしばその「音楽」は「生活」を犠牲にしてしまう。例えば、私がコンサートやオペラに出かける時には、料理も子どもの世話も私はできない。「音楽」のために「生活」を犠牲にしているわけだ。そのことに私はずっと悩んできた。一生の時間を「音楽」だけに捧げるのが正解なのでは?でも、小沢健二は言った。「生活に帰ろう」と。人生を音楽に捧げているようにみえた人はまた、誰よりも生活を大切にする人だったのだ。
小沢健二の音楽が輝いているのは、「あの頃」へタイムスリップさせてくれるから、だけではない。今とあの頃は地続きであるということ。その長い連続線の上で私たちは生きて、生活しているのだということ。そしてそれは、いつかは終わるということ。それを知っているから、それを肯定しているから彼の音楽はかけがえがないのだ。私が愛する他の多くの音楽たちと同じように。私はそんな「音楽」というものに人生を捧げながら、精一杯「生活」を生きようと思う。そう思わせてくれたライブを届けてくれた小沢くん、本当にありがとう。
2022年6月3日、パシフィコ横浜国立大ホール。