【Opera】神奈川県民ホール・オペラ・シリーズ2019 グランドオペラ共同制作『カルメン』
21世紀アメリカのショービズの世界に舞台を移した、田尾下哲演出による新しい『カルメン』。コンセプトを聞いた時には「面白そう!」と興味をそそられたのだが、さて、実際にどんな舞台が出来上がったのだろうか。
私が観たのは、ダブルキャストの2日目、カルメンをアグンダ・クラエワ、ドン・ホセを城宏憲、エスカミーリョを与那城敬、ミカエラを嘉目真木子が演じた回。前奏曲が始まる前に幕が開き、バーレスク・クラブ「ジプシー・ローズ」のオーディションに女性たちが集まってくるところから舞台は始まる。カルメンもそのひとり。前奏曲の間にオーディションが行われ、第1幕になると、オーディションに合格したカルメンは「ジプシー・ローズ」のスターになっている。カルメンという女優を目指す女性のキャリアの始まりだ。警官でありながらショービズ界を裏で牛耳るマフィアのボス、スニガに気に入られたカルメンは、第2幕ではブロードウェイのショーの舞台に立っている。ところが、ドン・ホセとの仲がスニガの逆鱗に触れ、ブロードウェイから追放されてしまった挙句、第3幕は場末のサーカスで歌う境遇に。しかしそこに、ハリウッドのスターであるエスカミーリョがやってきて、カルメンをスカウト。晴れてハリウッド・スターとなったカルメンは、第4幕ではアカデミー賞授賞式のレッドカーペットに姿を現す。
ショービズ界に対するカルメンの情熱は、男によって翻弄されながらも男を利用してでものし上がっていこうとする野心となって表れる。ドン・ホセのように純粋なだけで何の力もない男は、「上」を目指すカルメンにとっては邪魔でしかない。エスカミーリョこそ、カルメンを「上」へ押し上げてくれる実力者。ホセを捨てエスカミーリョに乗り変えるのは、ある意味当然なのだ。こうした「カルメン像」は、ある種の現代女性の写し絵として描かれていると考えられる。「現代においてオペラはどうあるべきか」という問題意識を常に持ち続けている演出家、田尾下ならではの「読み替え」である。
この「読み替え」自体は評価したいと思うのだが、問題は、田尾下の意図がきちんと舞台上で実現できたのかという点だ。バーレスクにせよ、ブロードウェイにせよ、そこで生きている人たちを舞台上に現出させるためには、どうしてもヴィジュアルが重要になってくる。特にこのカルメンには、普段以上のヴィジュアルと演技力が必要だ。残念ながら、アグンダ・クラエワにはその荷は重すぎたと言わざるを得ない。声の安定感や迫力はあるが、いかんせん「21世紀アメリカのショービズ界でのし上がっていこうとする野心と情熱のある女性」という演技ができていない。せいぜいいつもの「男を誘惑する悪女カルメン」にしか見えなかった(この点は、別組の加藤のぞみがどんな演技をしたのか知りたかったところだ)。第1幕で、ビゼーの音楽があまりにも流麗なためにバーレスクのアンダーグランドな世界観との間に齟齬をきたしているように感じられたのだが、この点も、もう少し「演技(歌も含めた)」に力があれば克服できたのではないかと思う。
ショービズ界が舞台というだけあって、ソリストから合唱まで、歌手はかなりたくさんのダンスを踊らされていた(振付はキミホ・ハルバート)が、本場ブロードウェイのレビューやミュージカルを観る機会が多い目の肥えた観客にはどう映っただろうか。中ではフラスキータを演じた青木エマが、恵まれた容姿に加えてバレエの経験者であるという長所が存分に活かされて、とても目を引いた。衣裳(マドリン・ボイド)は確かにセンスが良く、本場のバーレスクやブロードウェイもかくやというデザインではあったが、どうも歌手があまり魅力的に見えない。特にグラマーなアグンダ・クラエワにとっては、第1幕のドレスはスカート丈が半端で脚が太く見えてしまったし、フィナーレの両脇スリットのドレスはあまり美しくない(なぜ片方だけのスリットにしなかったのか)。ヴィジュアルの重要な舞台だと思うからこそ、歌手が美しく見えるような衣裳にしてほしかった。
ラスト、カルメンがホセにピストルで撃ち殺されると、そこにマスコミが殺到してくる。するとエスカミーリョは、アカデミー賞候補は死んだ女ではなくこちらに、とでもいうように、フラスキータをカメラの前に立たせる。男を利用してのし上がったはずのカルメンは、男によって世界から退場させられる。そして、男たちはすぐに別の女を舞台に上げる。この社会はまだまだ男性原理によって動いているのであり、女性はその中で奪われ続ける存在である、ということを痛烈に描くこのラストこそ、おそらく田尾下がこの『カルメン』でもっとも描きたかったことのなのだろう。こうした現代性は大いに共感するところであり、だから私は、今回の上演だけでこのプロダクションの評価を決めつけてしまいたくない。ぜひ課題を克服してブラッシュアップされた「田尾下カルメン」をもう一度観たいと思う。オペラは一度きりではなく、何回も上演することによって磨かれ、洗練され、クオリティが上がっていくものなのだ。
2019年10月20日、神奈川県民ホール。