【Opera】藤原歌劇団『ドン・ジョヴァンニ』
『ドン・ジョヴァンニ』というオペラの中でもっとも特徴的なアイテムといえば、やはりカタログだろう。ドン・ジョヴァンニがこれまでモノにした女たちの名前が書かれたカタログ。従者レポレッロが歌う「カタログの歌」は、「ご主人様はしょうがない男」という諦めをのぞかせながらも基本的には明るく陽気だ。2065人という人数があまりにも人間離れしているので、個別の女との物語はどこかにすっ飛んでしまい、それはひたすら「モテる男」を描き出すツールと化している。そこに改めて意味を見出したのが、演出家の岩田達宗だ。
岩田は、女たちだけではなく、彼女らを取り巻く「何倍という傷つけられた人たち」がカタログの背後にはいるのだと指摘し、つまりこのカタログはそんな人々の「数え切れないほどの多数の怒りや憎しみ、そして呪いすら背負っている」とみる。ドン・ジョヴァンニだけに焦点を当てている限り見逃してしまいがちな視点であるが、カタログに載った女たちは恋人ではなくあくまでも彼のセックスの対象でしかなかったことを思えば、カタログを犠牲者の記録とみるのは至極当然のことだ。
その視点を、岩田は舞台上で視覚化させた。舞台は大きな壁のような装置に囲まれ、床には十字架を模した段がつけられている。壁にある窓の桟も十字に白く浮かび上がるので、この物語が十字架、すなわち宿命や宿業といったものであることを意識させる。問題のカタログは、中間幕となって舞台に降りてくる仕掛け。その幕が波打ったり、半分たくし上げられたりすることでシーンの動きを巧みに表現していく(なお、「カルメン」「ヴィオレッタ」「エレクトラ」「マルチェリーナ」といった名前が読み取れたことから、もしかするとカタログの幕にはオペラの登場人物の女性の名前が連ねられていたのかもしれない。美術は増田寿子)。
幕となったカタログの動きがとても美しいことが、また目を引く。それはやはり、カタログが「犠牲者の怨念の記録」であると同時に、ドン・ジョヴァンニというとてつもなく「美しい男」の「生の記録」であることを表しているのだろう。なぜならこの物語に登場する女たちは皆、騙されても犯されそうになっても捨てられても、ドン・ジョヴァンニに思いを残しているのであり、それほどドン・ジョヴァンニの魅力は絶対的なのだ。第1幕の冒頭で一般には強姦(未遂)されたと解釈されるドンナ・アンナが、ドン・ジョヴァンニに口づけされると自ら腕を回して抱きついくという描写は見事にそれを物語っていた。この上なく魅力的な美しい男にとって愛とは性であり、つまり生きることなのだという点もまた、岩田達宗は否定しないのである。男たちの傲慢な愛も、その愛に傷つけられる女たちの悲しみも、どちらにも加担せずにそのありようを描き出す。岩田の見事な手腕である。
さて、音楽についてだが、テノールとして一世を風靡したジュゼッペ・サッバティーニが指揮者として登場。歌い手らしく歌手のアリアや二重唱では思い入れたっぷりに振っていたが、全体的に芯、というか音楽の核が弱いという印象を受けた。東京シティ・フィルもそれほど鳴るわけではなく、モーツァルトのふくよかさな響きには物足りなかったのが残念。
歌手陣では、レポレッロの押川浩士が出色の出来映え。声の響きの良さ、多彩な音色、そして見事な演技力の持ち主で、これからどんどん大きな役を歌ってもらいたいと思う。タイトルロールのニコラ・ウルヴィエーリは、「美しく悪い男」にピッタリの容姿と声の持ち主で、演出の意図に沿ったパフォーマンスを披露した。他に、これが藤原歌劇団デビューとなるマゼットの宮本史利の美声が心に残った。
2018年7月7日、よこすか芸術劇場。