二つの『蝶々夫人』〜現代におけるポリティカル・コレクトネスとオペラ演出の問題
図らずも1週間に2つの『蝶々夫人』を鑑賞することになった。それもとても対照的な演出だ。ひとつは兵庫県立芸術文化センターでの佐渡裕芸術監督プロデュースオペラで演出は故・栗山昌良。兵庫では2006年、2008年に上演されており、さらにそのほかの舞台でも何度となく上演されてきた、ある意味「定番」のプロダクションである。もうひとつは東京二期会が5年前に初演した宮本亞門演出のプロダクション。こちらは、ゼンパーオーパー・ドレスデン、サンフランシスコ歌劇場を回って再び東京に戻ってきた「最新」の舞台だ。
栗山演出は、障子や畳などの装置、カツラに着物、小道具、そして歌手たちの立ち居振る舞いに至るまで、徹底的に「日本の美」を追求した舞台として知られている。往々にして珍妙な「エキゾティックジャパン」的意匠にまみれがちな従来の西洋人の演出にノーを突きつけるかのように、私たち日本人が見てもまったく「違和感」のない舞台。その「美しさ」そのものは、演出家がすでに亡くなってしまった今回の上演でもいささかの変わりもなかった。だが、それが(悪い意味での)「型の美」のように感じられてしまったのはなぜなのだろう。再演演出であるが故に、細部に至るまで原演出の意図を伝えきれなかったのだろうか。若い歌手陣が多かったために深く掘り下げた表現ができなかったからだろうか(余談だが、蝶々さんを経験の浅い若い歌手に歌わせるのは本当にやめてほしい。特に将来がある人なら尚更)。指揮者のつくり出した音楽が表層的だったからだろうか。
おそらくそれは、21世紀も20年以上経った今、このはっきりと女性差別的な物語をどのように上演するべきなのか、という問題と密接に結びついている。そう、『蝶々夫人』は筋立てだけを見れば、富める強者の西洋人男性が貧しい弱者の東洋人女性を性的・経済的に搾取した挙句に捨て去る、という、現代においては到底容認できないpolitically incorrectな作品だ。世界的なポリティカル・コレクトネスの基準に照らし合わせれば、『蝶々夫人』を上演しない、という選択すらあり得る。そのような時代にあって、徹底的に「日本の美」を追求する『蝶々夫人』にどのような意義を見出せばよいのだろうか。
東京二期会の宮本亞門演出は、まさにこの課題に正面から取り組んだものだ。亞門はこれを「ある若い男女の叶わなかった愛の物語」として描く。そのために考え出された枠組みは、年を経て病によって死の床にあるピンカートンが、成人した息子に本当の母親のことを手紙で打ち明ける、というもの。つまり舞台上で起こることは、すべて息子の脳内で繰り広げられる映像という体だ。 ピンカートンは、蝶々さんとの結婚生活が1ヶ月を経たところで命令で戦争に駆り出され、そこで負傷したために日本に戻ってくることが叶わなかったという設定を挿入(だから第3幕で日本に戻ってきたピンカートンは松葉杖をつき、足を引きずっている)。確かに当初のピンカートンは軽薄な気持ちから女をお金で買ったが、蝶々さんという女性と出会って真剣に恋をし、別れた後もずっと彼女のことを思い続けていたという「読み」を与えた。これは、幕間で挿入される現在=死の床にあるピンカートンと息子との芝居から明確に読み取ることができる。そしてラスト、蝶々さんが自害した後で聞こえてくるピンカートンの「蝶々さん!蝶々さん!」という声は、現在のピンカートンが病床で上げる声となり、その後ピンカートンは絶命。魂となった蝶々さんとピンカートンが手を繋いで天に昇っていくという幕切れをつくりだした。
このラストシーンを「ハッピーエンド」と評している文章をいくつか見たが、それは亞門の「劇作」の読みとしてはいささか浅いと言わざるを得ない。ポイントは息子、ひいては「ピンカートン一家」の描き方にある。冒頭、音楽が始まる前に現在のピンカートン家の様子がセリフのない芝居として演じられるが、そこで息子は頑なに病床の父の元に寄ろうとせず、片隅の椅子で膝を抱えている。何か父に対して複雑な思いを抱いていることを感じさせるのだが、その種明かしは第3幕にあった。ピンカートンがケートと一緒に蝶々さんの家にやってきた時に、一瞬だけ息子(3歳時)が出てきて、ピンカートンたちのやり取りを見る場面があるのだ。おそらくその光景は、彼の記憶の中にずっと留まり続けている。蝶々さんはそれを「目隠し」することで封印するのだけれど、成長の過程でその光景はずっと彼の中にあって、だから冒頭で息子は死の床にあるピンカートンに対して微妙な距離を置いているのだ。ではその後父と蝶々さんとの「愛」を追体験していった息子にとって、ふたりの魂が結ばれるという結末はどのようなものに映ったのだろうか。自分は愛された末に生まれた子どもだったという事実は彼にとって幸せなことだったに違いないが、一方で、愛のない夫婦によって育てられたのだという残酷な現実も突きつけられる。ラストシーンの息子が慟哭の演技をしていたことを思い出したい。
息子よりも酷い目にあったのはいうまでもなく正妻であるところのケートだ。夫と別の女性との間に生まれた子どもを引き取り、育てさせられた挙句、最後まで夫の愛は自分にはなかったという事実は、どう贔屓目に見ても不幸以外の言葉がない。第3幕のケートは、通常やけに物分かりの良い女性として描かれるが、今回の演出では自ら蝶々さんの前に進み出て優雅なお辞儀をしてみせる。その挑戦的な態度は、彼女の傷ついた心の裏返しと映った。このようにして引き取った息子とピンカートンとの生活が、平穏な幸せとは程遠いものだったろうことは容易に想像がつく。そうしたピンカートン家の暗い数十年の後に訪れた、「死によって蝶々さんとピンカートンが結ばれる」というラストは、だからとてもハッピーエンドには見えない。
もちろん、蝶々さんとピンカートンのふたりは(死後にせよ)結ばれたのだからハッピーエンドだ、という意見はあり得る。しかし、現実に蝶々さんはピンカートンに裏切られた挙句、子どもまで取られて死んでいったのだし、ピンカートンは(おそらく)初めて愛した人と結ばれずにその後の人生を送った。スズキはどうやら息子と一緒に海を渡ったようだが、時代背景を考えれば日本人としての異国での生活が困難なものだったことは想像ができる(彼女はずっと日本髪着物姿である)。いったい『蝶々夫人』の物語の中で傷を負わなかった人はいるのだろうか。今回の演出は、一見ラストがハッピーエンドに見える分、登場人物たちの人生につけられた傷が際立つ。むしろ残酷な仕掛けではないか。
現代におけるポリティカル・コレクトネスの点で、もっとも大きな意味を与えられていたのはシャープレスだ。第1幕でシャープレスは再三ピンカートンに忠告を与えるが、亞門演出ではかなり意図的に強い制止の動作をする。丘を登ってやってきた蝶々さんの姿を見て駆け寄ろうとするピンカートンを押し留めたり、抱き合おうとする二人の間に割って入ったり。そして第3幕でピンカートンに「私は忠告しただろう」と言う時には、松葉杖を払いのけてピンカートンを押し倒しさえするのだ。その激しさは強く心に残る。もちろん、シャープレスとて完全に女性の側に立っているわけではないが、それでも物語の中でピンカートン=男性の浅はかさ、非道さ、そのために起こる蝶々さん=女性の悲劇への怒りをはっきりと表すことで、この物語が単なる「可哀想な女性の悲劇」に堕することを防ぐ役割を担っている。今井俊輔はこうしたシャープレス像をきちんと把握し、歌唱と演技の両面において見事に表現していた。実は今回、主役ふたりの歌唱が本調子ではなかったように思えたのだが、シャープレスの今井ともうひとり、スズキの花房英里子が若いながらに安定した表現で舞台を引き締めていたことを書き添えておきたい。
音楽面ではダン・エッティンガーの指揮の素晴らしさに感銘を受けた。上述したような宮本亞門の演出意図を汲み取り、それを「劇」へと具現化する音楽。基本的には速めのテンポ設定で音楽をドライブさせながら、第1幕の愛の二重唱など聴かせどころでは思い切ってテンポを落とすことを厭わないエッティンガーの指揮が、劇の完成度に大きく貢献していたことは論を待たない。また、東京フィルハーモニー交響楽団が指揮によく応えて非常に解像度の高い音楽を生み出していたことも声を大にしていっておきたい。
オペラをどのように上演するのかについて、もちろん正解はない。何百年経っても色褪せない美、というものもオペラの本質のひとつではあるだろう。しかし、多層的な読みを許すという点において、オペラという芸術が社会と無関係に存在し得ないこともまた確かだ。多様な価値観、混沌としていく規範など、恐ろしいスピードで様々な変貌を続ける現代社会にあって、オペラはどのように存在できるのか。その問いなくしては、ただの「博物館に飾られた骨董品」以上の価値は持ち得ないだろう(「博物館に飾られた骨董品」に価値がない、といっているわけではない。念の為)。二つの『蝶々夫人』を観て私が強く感じたのは、今、ここで生きている私たちにとって、オペラは何を伝えてくれるのか、ということであり、またそれこそが現代においてオペラを観る大きな意味だということだ。
2024年7月15日、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール。
2024年7月18日、東京文化会館大ホール。