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【Opera】東京芸術劇場シアターオペラVol.11『トスカ』

 2009年から始まった全国共同制作プロジェクト。2015年には野田秀樹演出の『フィガロの結婚〜庭師は見た!〜』、また今年2月には笈田ヨシ演出による『蝶々夫人』が上演されている。そして今回は、映画監督の河瀨直美が初めてオペラの演出を手がけるということが大きな話題となった。事前の記者会見では、舞台を古代日本を思わせる架空の都市「牢魔」に設定、登場人物もトスカが歌と踊りのうまい村娘「トス香」、カヴァラドッシがシャーマン「カバラ導師・万里生」、スカルピアが「須賀ルピオ」と日本風の名前がつけられることが発表されていた。そのため、「舞台は日本」だという先入観が生まれ、衣裳なども和風になるのではないかと思っていた人が多かったようだ。

 蓋を開けてみると、衣装は、カバラ導師と合唱団がやや古代日本風のものだった以外は、トス香はシンプルなドレス、須賀ルピオと部下たちも軍服風の衣装にブーツで「和」な感じはほとんどない。舞台装置は神社を思わせるものでスクリーンには富士山が投影されたりしたが、全体的に「日本」という要素はそれほど強調されていなかった。私は幸運にも河瀨監督に事前インタビューを行なえたのだが、彼女の意図は「時代と場所を特定しないことで、普遍的な人間の物語を描く」ということだったので、「日本」が前面に出ていないことにはそれほど違和感を感じなかった。ただ、例えば第2幕の燭台など、小道具や細かいディティールがごく当たり前に「洋風」なものだったので、そこが少し惜しい気はした。いっそSF的な、本当に「いつの時代のどこのものか」まったくわからない意匠だったらどうだったろうか。

 今回の河瀨演出でもっとも注目すべきは、スカルピアの描き方である。通常スカルピアは権力欲と性欲にまみれたサディストの「悪」として描かれるが、この日のスカルピアは実に人間的だった。トスカに恋をして、しかし彼女の心が自分にはないことを知っているために苦しんでいる男。トスカに迫る時の彼の目に宿った光の真剣さ。カヴァラドッシを拷問する時の苦悶の表情。「たった一度でいい」という時のせつなさ。どれもこれも今までみたことのないスカルピアであり、思わず感情移入してしまった。第2幕から第3幕への場面転換も凝っていた。第2幕はスカルピアがトスカに刺されて終わるが、コンサートホールなので幕は降りない。こうした劇場では通常舞台を暗転させてスカルピアを退場させるところだが、なんと河瀨はスカルピアの亡骸をそのまま舞台に残した。そして第3幕になり牧童が登場。彼が歌う歌詞はこうだ。

 君に向けて僕はため息を贈る/僕のことなんかどうでもいいんだね/僕は悲嘆にくれる

 歌い終わった牧童はスカルピアの手を取ると一緒に退場。白い衣裳をまとった牧童はまるで天使のようで、そこに「人間スカルピア」の魂が重なり合っていくようにみえる仕掛けである。

 もう一点、河瀨演出の美点をあげるとすると、それは「視覚的な美しさ」だろう。スクリーンに映像が映し出されるのだが、第1幕は自然信仰の場所ということで青い富士山が、第2幕は海の底を思わせる水と泡、そして第3幕は夜明けの太陽が基調になる。さらに映像は、登場人物の心情に応じて様々に切り替わる。例えば第1幕のトスカの「緑の隠れ家に行きましょう」では咲き誇る花が、第2幕スカルピアが死んだ後には何本ものロウソクの炎が、という具合だ(ただその切り替わりがやや唐突な感じも否めなかったが)。真っ白なセットとそれら映像の色彩とのコントラストはたいへん美しい。また、スクリーンは登場人物の出入り口にもなっていて、後ろからスポットが照らしているために、人が出入りするたびに影が映り込む。その影の動きが実に効果的で、こうした仕掛けもさすが映像作家の手になる舞台と思わされた。

 さて、演出面で賛否が分かれるのは第3幕、大詰めのラストだろう。カヴァラドッシが銃殺されてしまったあとで、トスカがサンタンジェロ城から身を投げる、というシーン、河瀨は身を投げたトスカに翼が生えて天へと昇っていく様子をシルエットで映し出した。これも事前に河瀨が語っていた「ひとりの人生としては死は終わりだが、そこから始まる何かがあるという”希望”」を具象化したアイデアだろう。彼女の映画には、様々な「負」の要素を背負いながらそれでも懸命に生きていこうとする人たちが登場するが、絶望的な状況に陥りながらも(時にそれは死という局面を迎えたとしても)、最後には希望の光が残るというものが多い。トスカの最後が飛び降りという「落下」ではなく、昇天を思わせる「上昇」として描かれたのは、人が生きて死んでいくということは決して虚無ではなく、その思いや、あるいは命そのものは次へと繋がり得るものだという河瀨の哲学が反映されている。本来キリスト教では許されない自殺によって人生を閉じたトスカが、最後に「神のみ前で」と叫ぶのは、まさしく「あの世」の存在を信じている彼女の信仰ゆえであるが、ならばそこから一歩進んで、その先へと繋がっていく命のあり方を描いてみせるのは、それほど突飛なことではないのではないか。

 最後に、音楽面についてのべておきたい。主要三役の中では、スカルピアの三戸大久の存在感が圧倒的だった。彼が「人間くさいスカルピア」という難しい課題に果敢に取り組み、それを見事に表現したことに喝采を送りたい。三戸に比べると、トスカとカヴァラドッシの外国人勢は、たしかに声量はあったが、細かい表現力に乏しく全体的に大味だったのが残念。河瀨監督の従来とは異なる人物造型の意図を組んでそれを表現するためには、やはり日本人歌手を起用するべきだったのではないだろうか。近年の日本人歌手の歌唱力と演技力の高さを考慮しても、この2役に敢えて外国人を配したことの意味がよくわからなかった。

 広上淳一の指揮は、東フィルから素晴らしい音響を引き出してはいたが、どうもオケに集中しすぎていたという印象。いうまでもなくオペラというものは、オケ、ソリスト、合唱、個々の表現が最大限発揮されつつ、全体として一つの音楽ドラマにまとまっているべきものだが、舞台の上で起きていることとピット(今回はピットではなかったが)から生まれてくる響きをひとつにまとめ上げる、という点で不満が残った。オケも含め演奏者の能力は高いと思うので、この後回を重ねてまとまりが出てくることに期待したい。

写真:(C)Hikaru.☆

2017年10月28日、東京芸術劇場コンサートホール。


※今後の公演日程は以下の通り。

◆金沢公演
11月8日(水)19:00開演
金沢歌劇座

◆魚津公演
11月12日(日)14:00開演
新川文化ホール

◆沖縄公演
12月7日(木)19:00開演
沖縄コンベンションセンター

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室田尚子
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