グランドオペラ共同制作『カルメン』記者懇談会(前編)
9月27日、都内某所にてグランドオペラ共同制作『カルメン』記者懇談会が行われました。出席者は演出の田尾下哲さん、カルメン役の加藤のぞみさん(メゾソプラノ)、ドン・ホセ役の城宏憲さん(テノール)。
このプロダクションは、神奈川県民ホール・愛知県芸術劇場・札幌文化芸術劇場hitaruが中心となり、東京二期会・神奈川フィルハーモニー管弦楽団・名古屋フィルハーモニー管弦楽団・札幌交響楽団とともに取り組む新制作。神奈川は10月、愛知は11月、そして札幌では来年1月に公演が予定されている。指揮はジョン・レイサム=ケーニック(神奈川・愛知)、エリアス・グランディ(札幌)。装置・衣裳はマドリン・ボイド。照明は喜多村貴。振付はキミホ・ハルバート。
演出:田尾下哲 ©️福里幸夫
今回の演出のコンセプトは「ショービズ・カルメン」、21世紀のアメリカのショー・ビジネス界が舞台となります。演出の田尾下さんのコンセプト説明です。
21世紀に生きる我々は『カルメン』という作品をどのように提示するべきなのか、ということを最初に考えました。『カルメン』を上演する際には、常につきまとう2つの問題があります。ひとつは「ジプシー」の問題。これは、ロマの人たちのことを差別的な意味合いで使う呼称で、本人たちは使っていません。そして「男に奔放で売春婦のような女性」というカルメン像についても、ロマの人たちは非常に憤りを覚えています。実際にロマの人から聞いたことなのですが、ロマの女性は一度結婚したら一生添い遂げるものだ、というのです。こうしたロマの人たちの怒り、憤りを21世紀に生きる私たちは決して無視してはいけないと思うのです。
次に「闘牛士」の問題。動物を殺すショーである闘牛には、動物愛護的な観点から批判が寄せられています。一方で、現在でもスター的な存在の闘牛士という人たちが存在しているのも事実。『カルメン』というオペラは、例えば『椿姫』などとは違って、闘牛を楽しむことを歌い上げている作品ではありません。では「闘牛」をどう表現していくのか。
過去の名作だからといって、こうした差別的だと捉えられる問題について何も考えずにそのまま上演していいのか、という意識が僕にはあります。そこで考えたのが、舞台を21世紀のショー・ビジネス界に移すというアイデアです。カルメンは明日のスターを夢見る少女として登場し、やがて上り詰めて、最後はアカデミー賞のレッドカーペットを歩くようなスター女優になります。
序曲で、まだ何者でもないカルメンがオーディションを受けるシーンが描かれます。ここで参考にしているのは、ミュージカル「コーラスライン」や「フラッシュダンス」といった作品です。第1幕では、オーディションに合格したカルメンがバーレスクのスターになっています。スニガはニューヨーク市の警察官でありながらマフィアとも繋がっていて、裏でショービズ界を牛耳る人物。カルメンはそのスニガに見初められブロードウェイへと進出していきます。バーレスク・クラブを舞台に展開するこの幕は黒を基調としたヴィジュアルで、「シカゴ」や「ナイン」にインスパイアされています。第2幕は、「リリアス・パスティア」という食堂のあるブロードウェイの劇場が舞台。カルメンはブロードウェイのスターになっているのですが、ホセと密会しているところをスニガに目撃され追放されてしまいます。この幕のイメージは、バズ・ラーマン監督の映画「ムーラン・ルージュ」でしょうか。黒や金を基調とした装置・衣裳を考えています。そして、落ちぶれたカルメンは第3幕では場末のみすぼらしいサーカスにいます。イメージは、世界を支配する前のシルク・ド・ソレイユ。ホセもサーカスのメンバーとなって、ピエロの格好をさせられたりしています。そこに、ハリウッド映画界の大物スターであるエスカミーリョがやってきて、カルメンをスカウト。こうしてカルメンはハリウッド・スタートなり、第4幕でついにアカデミー賞の受賞会場にやってくるのです。レッド・カーペットの上をエスカミーリョとカルメンだけでなく、助演女優賞候補のフラスキータとメルセデス、プロデューサーのダンカイロとレメンダードたちが歩いていきます。
こうした「読み替え演出」の場合、問題となるのは、オリジナルの設定との齟齬です。今回ならば、21世紀のショービズ界に置き換えた事で、例えば「盗賊」「闘牛士」「兵士」といった言葉との齟齬をどうするのか、という問題が考えられます。
実は僕は、言葉というのは自由なものだと考えているんです。盗賊団が密輸をするという第3幕では、例えば「盗賊」というのをショービズ界の隠語と考えればどうでしょうか。「関税史に取り入る」というテクストは「お金を握っているプロモーターやプロデューサーに取り入る」と読み替えれば話の筋は通ります。同様に、「兵士」はそういうあだ名の人、という風にすればいい。字幕は変更しませんが、小道具や衣裳なども使って、ここが21世紀のアメリカだということを伝えていければと考えています。
そもそも、「21世紀のショービズ界」というコンセプトを考えついたのは、2幕でエスカミーリョが歌う「闘牛士の歌」についての疑問だった、と田尾下さんは言います。
他の人たちに与えられたアリア、例えばカルメンの「ハバネラ」や「セギディーリャ」は彼女が「歌うわ」といって歌い始める歌ですし、ホセの「花の歌」とミカエラの「何も恐れない」は心情が叙情的に歌として語られるというものですが、「闘牛士の歌」だけは性格が違う。何の予備知識もなく初めてこのオペラを見た人は、絶対にエスカミーリョは歌手だと感じてしまうと思うんです。だったら、歌も歌えば演技もする、プロデューサー的な仕事も兼ね備えた人物として設定してしまえばおかしくない、というところから「ショービズ」というコンセプトを思いつきました。僕の中では、エスカミーリョはヒュー・ジャックマンなんです。ちなみに、なんども出てくる「闘牛士」というのは、エスカミーリョが主演している映画の名前、ということになっています。
もうひとつ、オペラ『カルメン』でとても気になる場面があります。大詰めの第4幕、恋人になったエスカミーリョの晴れの舞台を見にきたカルメンが、闘牛場の外でホセと言い合いになり、「あんたがくれた指輪よ、ほら!」とホセに指輪をぶつけるシーン。女性の感覚からすると、元カレの指輪を身につけて今カレとのデートに来る、というのは結構ありえないことなんですが…。
僕も、色々な女性に聞いてみたんですが、ほとんどの人は「別れたら指輪は捨てる」と(笑)たまに「持っている」という人にも理由を聞いてみると「高価なものだから」という返事だったりするんですね。指輪をホセに投げつける場面は、原作のメリメの小説にもある場面なんですが、ここはやっぱりおかしいんじゃないか、と思っています。今回、ぜひ「指輪の行方」にもご注目いただきたいと思います。
→後編へ続く