【Concert】ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団 歌劇『イオランタ』(演奏会形式)
本公演は、2018日本におけるロシア年&ロシア文化フェスティバルオープニングとして行われたもの。プレトニョフ率いるロシア・ナショナル管弦楽団と、日露の歌手陣がチャイコフスキーのあまり上演機会の多くない1幕もののオペラ『イオランタ』を上演した。
『イオランタ』は、デンマークの作家H.ヘルツが中世の伝説をもとに書いた戯曲「ルネ王の娘」のロシア語訳を読んだチャイコフスキーがオペラ化を望み、1892年にペテルブルクのマリインスキー劇場で初演された。チャイコフスキーにとっては生涯最後に完成したオペラとなる。15世紀プロヴァンスのルネ王は、生まれつき盲目の娘イオランタを深い山の中の城で育ててきた。今や美しく成長したイオランタだが、王は許嫁であるブルゴーニュ公爵ロベルトとの結婚前に娘の目を治したいと、ムーア人の名医エブン=ハキアを城に招く。エブン=ハキアは、「姫が心から目を治したいと思わない限り治療はできない」と告げる。そこに、ロベルトとその友人である伯爵ヴォテモンが道に迷ってやってくる。イオランタの姿を目にしたヴォテモンは一目で恋に落ちてしまう。一方、自分が盲目であることを知らないイオランタは、ヴォテモンから「見える」ということを教わり、光への憧れを抱く。ルネ王は、イオランタの目が治らなければ、城に侵入した罪でヴォテモンを処刑すると言うので、イオランタは治療を受ける決心をする。名医の治療を受け視力を得たイオランタはヴォテモンと愛を誓い合い、人々は喜びながら光の世界を創った神を讃えて幕となる。
この作品のテーマはいうまでもなく「愛」、そして「生きる喜び」「光=命を与えたもうた創造主の賛美」ということになるだろう。登場人物は皆善人で、最後にはすべての人が幸せになる物語。深い人間的葛藤や感情のぶつかり合いなどはあまりないが、とにかくチャイコフスキーらしい美しい旋律がふんだんに盛り込まれていて飽きさせない。それだけに、歌唱力が大きくものをいうことになる。特に演奏会形式だと聴き手にとって歌の比重は通常の舞台上演よりも大きくなる。その点本公演は、日露から実力のあるキャストが揃った質の高いものだった。誰よりも素晴らしかったのは、題名役のアナスタシア・モスクヴィナ。2016年のロシア・ナショナル・フェスティバルでこの役を歌っているが、イオランタの「醜いものを(文字通り)何も見せられずに育った純粋さ」と、「年頃になって何か自分は人と違うのではないかという不安を抱いている」という心情を実にうまく表現していた。「可憐」という表現がぴったりの美声でありながら、ホール全体を揺らすほどの声量はさすがロシア系。ワーグナー歌手とはまた違ったタイプの圧倒的な歌のヴォリュームに何度もうならされた。
日本人勢では、乳母役の山下牧子が出色の出来映え。ロシア語歌唱はとても難しいと思うが、ロシア人かと思うほど自然な発声が際立っていた。私は密かに彼女を「終身名誉スズキ」と呼んでいるのだが、ヒロインを助け支える役を歌わせると右に出るものはいないと思っている。今回も深みと柔らかさのある歌声が全体のクオリティに大きく貢献していたと思う。ロベルト公爵役の大西宇宙は、シカゴ・リリック・オペラで活躍しているバリトン。ロベルト公爵にはマチルダという恋人を思って歌う情熱的なアリアが与えられているが、大西の伸びやかな歌声は実にロマンティックで、「覇気と稚気を持った若い騎士」というキャラクターにピッタリだった。今後がとても楽しみな人だ。
プレトニョフはきめ細かく、整然とした音楽をオケから引き出していた。悠々とした広がり、繊細な美、起伏のあるロマンティシズム、神を讃える崇高さ。この作品に表れているそうした様々な要素を絶妙なバランスでコントロールし、ひとつの音楽へとまとめ上げるさまは、さすが巨匠の手腕である。衝撃や激情はもたらさないが、しかし、西洋芸術音楽が到達したもっとも良質な地点というものを実感させる演奏会だった。
2018年6月12日、サントリーホール。
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