【Opera】野平一郎作曲『亡命』
毎夏サントリーホールで開かれる「サマーフェスティバル」。今年の「ザ・プロデューサー・シリーズ」は「野平一郎がひらく」と題し、作曲家・野平一郎によるフランス音楽回顧展のプロジェクトと、自身の新作オペラが披露された。
『亡命(Exile)』は野平多美が原作・台本を手がけ、5人の歌い手と6人の器楽奏者のために書かれた室内オペラである。物語は1956年のハンガリー動乱を背景に、政府に思想や言動を制限された社会の中で生きる2組の作曲家夫妻——ウィーンに亡命したベルケシュ・ベーラとその妻ソーニャ、偶然の事件により亡命できなかったカトナ・ゾルタンとその妻エスターのすがたが描かれる。野平多美がプログラムで述べているように、そのモデルとなっているのは、実際にウィーンで夫人に取材をしたリゲティ(1956年にハンガリーからウィーンに亡命)と、同じくブダペストで取材したクルターク夫妻である。また、作中にはシュトックハウゼンとカーゲルという実在の作曲家も登場し、さながら20世紀後半の西洋音楽史の一断面をドラマ化したような趣もある。とはいえ、ストーリー自体は完全なフィクションで、「芸術家を抑圧する別の事件、別の時代、別の場所でも大いにあり得ること」という視点から、大きくは社会と芸術家との関係性がテーマである。
野平多美の台本は、確かに説明的なテクストが多かったかもしれない。特に後半、ウィーンに亡命した後のベーラがシュトックハウゼンやカーゲルと知り合い、作曲家として成功を収めていく過程は事実の羅列が続き、もう少しベーラその人の心情を描くアリアなどがあれば「ドラマ」としての奥行きが出たのではないか、と思った。これは全体を通していえることで、オペラが「ドラマ」であるという観点からすると、人物の内面的な葛藤、人間同士の共感やすれ違いといったものが希薄だったことは否めない。しかし、そもそも野平一郎が目指していたものは、そうした「ドラマ」としてのオペラというより、「室内楽の世界」「内密で緻密な歌手や奏者間の結びつき」(いずれもプログラムに掲載された野平一郎の言葉)だったのであり、声と楽器が密接に結びつきながら緊密な音響体が生み出されたという点において大成功だったといってよい。そしてその成功は、11人の奏者の並々ならぬ技量があってこそなし得たものであることは強調しておかなければならないだろう。
オペラが、単なる「テクストをもった音楽」ではないことはいうまでもない。では、いったい何がその作品を「オペラ」たらしめているのか。それはやはり音楽のもつドラマトゥルギーだろう。「なんて美しい山々」というテクストが歌われたとき、その音楽が「美しい山々」を描いているのか。「あなたを心の底から愛してる」というテクストが歌われたとき、音楽が「愛」を奏でているのか。オペラを単なるBGM付きの劇と隔てているのは、その点である。ではこの『亡命』はどうだったろうか。そこで私が強く感じたのは、松平敬、幸田浩子、鈴木准、山下浩司、小野美咲、5人の歌い手の「表現力」である。5人にはそれぞれ複数の役が割り当てられ、また途中で語りも担当するのだが、彼らが歌い語るとき、そこには自然に「ドラマ」が生まれてくるのだ。作曲者がそこまで意図していたのかどうかは定かではないが、歌い手の表現力が「歌」というものの潜在的にもつ力を強く感じさせる上演となった。
テクストはロナルド・カヴァイエによって英語に訳されたものが歌われたが、英語詞であることが大きな効果をあげていたことも記しておきたい。英語であることで、この物語が「時と場所を限定しない、世界のどこでも起こり得ること」だという説得力が生まれた(例えばイタリア語やドイツ語であればそこに別の意味が生まれてしまうし、日本人でない登場人物が日本語を歌うのは違和感が拭えない)。歌い手の中では、鈴木准の英語のディクションが群を抜いて素晴らしかった。
今回は演奏会形式がとられたが、2017年と1950年代を行ったり来たりするストーリーを視覚的にもわかりやすくするために、歌う位置に高低差をつけるなどの工夫が凝らされていた。これを舞台で上演するのは様々な困難を伴うだろうが、「オペラ」として作曲された以上、ぜひ舞台上演を観てみたい。その時、この作品がどのような「ドラマ」に生まれ変わるのか、それを楽しみに待ちたいと思う。
2018年8月22日、サントリーホール ブルーローズ。