【Opera】METライブビューイング『ロメオとジュリエット』
「フランスのロマンティック・オペラ」の代表作のようなグノーの『ロメオとジュリエット』。聴きどころはなんといってもロメオとジュリエット、ふたりが歌う二重唱だ。出会いの場面、有名なバルコニーの場面、婚礼の夜の場面、そして死の場面。物語の要所要所に置かれたこれらの二重唱はすべてが「愛とは」ということをこれでもか、というほど歌い上げるもの。「愛の音楽」、それがこのオペラだ。
出会いから死まで、ロメオとジュリエットの愛のテンションは少しも変わらず、常に120パーセントの濃さ。言ってみれば盛り上がりっぱなし。まあ、それはそうだ、彼らは十代の若者であり、(ロメオにはその前に恋人がいたにはいたが)しかも最初で最後の命をかけた恋愛なのだから。
今回の主役のふたり、ディアナ・ダムラウとヴィットーリオ・グリゴーロは見事にこの濃厚な愛の音楽を歌いきった。多分、こういう歌を歌うには、細かい思索的なものはいらないのかもしれない。それほどこのふたりは、体の中から歌が自然に溢れ出してくるような表現で、ロメオとジュリエットの愛がどれほど激しく、ストレートで、ドラマティックだったのかを感じさせることに成功している。幕間のインタビューで「どうやって息を合わせているのか」と聞かれ「どうって…舞台に立てば自然にそうなるから」という答えがすべてを物語っていた。
もちろん、彼らはただ歌っていただけではない。演出はあのバートレット・シャーである。舞台上で登場人物が生きているように動かすシャーは、歌い手にも細かい演技の指示を与えていたそうだ。それが「演技」だと感じられないくらい、ダムラウとグリゴーロの演技は素晴らしかった。特にダムラウは、舞台上ではしゃぎ、飛び跳ね、駆け回る熱演で、十代の少女にしか見えない凄さ(確かすでに40をだいぶ過ぎていらっしゃるはず…)。男性たちに囲まれながら歌う「私は夢に生きたい」なんて、「アキバでカメコに囲まれる萌え美少女(笑)」みたいだった。
セットと衣裳も特筆すべきセンスの良さ。幕間のインタビューで美術のM.ヤーガン、衣裳のC.ズーバーが語ったところによれば、時代と場所は特定していないとのこと。「ネオクラシカルなヨーロッパの街並み」を表すセットはほぼ墨一色でとても暗く、全幕を通して変わらない(シャーはシェイクスピア劇のようにしたかったから、と理由を語っていた)。そして床のそこかしこにある赤い血の痕のような染みが、この物語が血塗られた悲劇であることを伝えている。一方人々の衣裳は、例えばジュリエットのお父さんはロココ風の赤い服だけどラメが施されていたり、かと思えばロメオは皮コート、と微妙に時代が特定できないように工夫されている。ズーバーは「フェリーニを想定した」と言っていたが、確かに、フェリーニ映画の見世物小屋的なデカダンとグロテスクさを感じさせる。
歌手の中注目したのは、小姓ステファーノを歌ったメゾのヴィルジニー・ヴェレーズ。宝塚ばりの長身の美女で、歌の安定感もある。これからどんどん出てくる人だろう(個人的にはぜひ彼女のオクタヴィアンが観てみたい)。
指揮はジャナンドレア・ノセダ。これが『ロメオとジュリエット』の初指揮だそうだが、「そこで人々が生きているように」というシャーの演出を音楽面で見事にバックアップ。起伏のある流麗なグノーのメロディを、あくまでも品を保ったまま描き出したのは、さすが当代一のオペラ指揮者だ。
2017年2月27日 東劇