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【Concert】演劇的組歌曲「悲歌集」

 林望の作詩、野平一郎の作曲による演劇的組歌曲「悲歌集」は、今はなき津田ホールの第一回企画委嘱作品として2006年に初演、その後日本各地で4回の再演を重ねてきた作品である。今回、小金井・宮地楽器ホールの開館5周年記念公演として行われた演奏会は6回目の再演ということになる。元々は、ギターの福田進一が津田ホールに「ギター伴奏による日本語の歌曲を作れないか」と提案したそうで、当時の津田ホールのプロデューサーである楠瀬寿賀子が企画。歌い手にはメゾソプラノの林美智子とテノールの望月哲也が選ばれた。さらに林の詩に野平が曲をつけていく過程で「ギター1本では音楽的に表現しきれない」ということから、佐久間由美子のフルートが加わることになった。初演メンバーは、野平いわく「作曲家としては他に考えられないほどのメンバー」。今回、宮地楽器ホールにはこの初演メンバーが集結した。

 全7曲に器楽だけの間奏曲を含む、全体で50分近くになるこの連作歌曲集は、男女の「失われた恋」の物語である。第1曲、男がいきなり「悲しいぞ」と歌い出し、この恋はすでに終わっていることが示唆される。「きのうもきょうも悲しいぞ」「逢いたいよ なあ お前に」と歌う男は、未だ癒えぬ恋の傷に苦しめられている。女が歌う第2曲「得失」で、この恋は「禁じられた恋」だったことがわかる。「あなたを失っても なにも得るものがありません」という女もまた、苦しい恋の余韻を噛み締めている。第3曲「豪雨と雷鳴」は、ふたりが別れた時の情景描写。雨の中、男は車で女を家まで送り届ける。車を降りた女は、男の車が見えなくなるまでじっと立っている。男は車を走らせるが、後ろ髪を引かれるように女の家の前に戻ってきてしまう。だが、そこにはもう女はいない。まるでドラマのようなシーンで、音楽的にも全曲の核となる曲。それから、男が生々しい恋の官能を思い起こす第4曲「八年の痛み」、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」をモティーフに現実と非現実のはざまをさ迷うかのようなふたりの心が描かれる第5曲「海風」、昭和歌謡風のメロディに乗せて女が思いを吐露する第6曲「想うことはいつも」と続く。そして最後に、ふたりが「もう…いいことにしましょう」と言いあう第7曲「永劫の…」で終わるのだが、最後の言葉はこうだ。「それは… 永劫の 嘘」。「真実の恋」であるならば、そうやすやすとは忘れられるはずもない。それでも、二度と戻らない恋だとわかっているから「なかったことにする」。大人の恋の真実はそういう「嘘」の中にある。

 林望が描こうとしたのは、「『いま』という時代を反映した、生々しい恋の歌」である。つまりそれは、物語やオペラなどの虚構(と敢えていう)の世界で繰り広げられる「恋愛」ではなく、今、生きている私たちが経験する/したリアルな恋のすがたである。だから林は「切れば血の出るような恋」といい、「他人事としてではなくお聴きいただければ」と語る。こうした「リアルな恋愛ごと」は、ともすれば俗っぽくなる危険をはらんでいるが、それを救っているのが野平一郎の精緻を凝らした音楽である。野平自身、「詩が求めている音楽的構造から少し外して、別の構造を見た」と語っているように、その音楽はどこまでも硬質な、透徹した空気を帯びていて、およそ「恋の俗っぽさと」は無縁なものだ。だがそうした音楽が逆に、林が描いた「恋のリアルさ」を際立たせ、詩と音楽とは見事に「歌曲」という構築物へと昇華されている。単に詩と音楽が合わされば「歌曲」になるのではない。古今、「歌曲」(芸術歌曲、といってもいい)とよばれる作品は、リートであれなんであれ、そのようにふたつの形式が別の次元へと昇華するような結びつきを経て生み出されているのであり、この「悲歌集」はまさにそうした「歌曲」の命脈に連なる作品である。

 無論、聴き手がそのように受け止めるためには、この4人の演奏家が必要だったことはいうまでもない。望月哲也のリリックかつ抑制された声がなければ、第1曲「悲しいぞ」はただの「男の未練」になってしまっただろうし、林美智子のギリギリで俗に落ちない絶妙な表現力がなければ、第6曲「想うことはいつも」は出来の悪い歌謡曲に聴こえたかもしれない。全曲を通して野平の音楽的構造を細部にわたって支えた福田進一のギター、そして感情の起伏を捉えつつ音的には常に一定のテンションを保ち続ける佐久間由美子のフルート(彼女が手にするとまるで楽器から自動的に音が生まれてくるようだ!)も、余人をもって代えがたいレベルである。

 それでも、と意地の悪い聴き手は少しだけ思う。この4人ではない人が演奏したら、この作品はどのように聴こえてくるのだろうか、と。ある歌が後世まで受け継がれていくためには、やはりそれが多くの人によって歌い続けられていくことが必要だろう。まったく異なった才能によってこの「悲歌集」がまた別の顔をみせる時がくるとしたら、ぜひそれを体験してみたい。

2018年3月31日、小金井 宮地楽器ホール。

 

 

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室田尚子
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