言葉が紡ぎ出す音の意味〜【Concert】月に憑かれたピエロ—多彩なる幻想 音楽の宴—
アーノルト・シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』は、世紀転換期の表現主義を代表する作品として知られている。他のシェーンベルク作品に比べれば実演の機会に恵まれているが、個人的には「これぞ」という演奏はそれほど多くないと感じている。その理由のひとつに、シュプレッヒシュティンメ Sprechstimme をどう扱うかという問題がある。「語るように歌う」と説明されることの多いシュプレッヒシュティンメだが、音価とリズムは規定されているものの、楽譜上に記された音程は厳密なものではなく、それよりも高く、または低く歌うことが許されている。シェーンベルク自身は「歌うような語り」になってしまうことを強く戒めているが、具体的にどのような「音響」が求められているのかという点については詳しく説明されていない。そこで解釈は演奏者に任されることになるわけだが、人によってほぼ「語り」の場合もあれば、かなり「歌唱」に近いものが出てくることもある。個人的にはあまりにも「歌唱」に近いものはシェーンベルクの意図したものとは違うのではないかと考えるが、「うた」の按配についてはなかなか「正解」がわからない。
そんな中、今回この作品に取り組んだソプラノの工藤あかねの演奏は、かなり説得力のあるものだった。音価やリズムが正確であることは大前提なのだが、音程の移行が非常にスムーズでとても「聴きやすい」のだ。そもそも、シェーンベルクがシュプレッヒシュティンメを用いたのは、テクストの表現するものをもっともよく描き出すことができる技法だと考えたからに違いないのであり、その意味でテクスト=言葉が明確でない演奏法になっては元も子もない。アルベール・ジローのフランス語の詩集をオットー・エーリッヒ・ハルトレーベンがドイツ語に訳したテクストは、生と死、夢、夜景、罪と罰、愛と欲望など表現主義が好んだシンボリックなモティーフがふんだんに盛り込まれている。当然のことながらそのテクストは、幻想的で終末的な世界を表す「言葉」であると同時に、そうした世界を描き出す「音」でもある。つまり「言葉」の内容が伝わると同時に、「言葉」の持つ「音」がその内容を表現しているはずで、工藤のシュプレッヒシュティンメはその点でほとんど完璧だったのではないか。
また、本来この作品は5人の演奏者による8種類の楽器によって演奏されるのだが、今回は廻由美子がピアノ1台で演奏した。クラシックのみならずジャズや民謡、即興、演劇などのジャンルでも活躍する廻によるアレンジは、原曲の持つスタイルを守りつつ、ピアノの可能性を最大限駆使したもの。もちろん、工藤の歌唱と同様にリズムの的確さは抜群だし、シュプレッヒシュティンメに寄り添う響きのコントロールも見事。正直、ピアノ&ヴォーカル版がこれほどのものとは思っていなかった。なかなか楽器演奏者のアンサンブルが難しいこともこの作品の実演の障害にもなっていると思うので、今後はこのピアノ&ヴォーカル版での演奏も増えたらいいと思う。もちろんそれには、歌い手とピアニストの卓越した能力が必要なのはいうまでもないが。
2022年4月9日、神奈川県立相模湖交流センター ラックスマンホール。
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