【Concert】藤木大地 カウンターテナー リサイタル
この4月にウィーン国立歌劇場にライマン『メデア』でデビューした藤木大地は、まさに「新しい世代」を代表する歌手だと思う。カウンターテナーという「特殊」な声を操る藤木は、自分のことを「特殊」だとも「特別」だとも思っていないようだ。彼にインタビューする機会があったのだが、「自分の楽器でできることをやるだけ」という言葉が印象に残っている。彼にとってその声は「自分の楽器」であり、授けられた楽器によるいちばん良い表現を追求するという点では他の楽器と何ら変わらない、だから特別視しないでくれよ、と言いたげでもあった。
その楽器で奏でられたドイツリートの、なんとみずみずしく、たおやかだったことか。1曲めのシューベルト「アヴェ・マリア」の出だしの、天上的な清らかさから、この声のとりこにならずにはいられない。プログラムの中心となるシューマンの「詩人の恋」は、藤木自身が「世界一甘くて、世界一せつない恋の歌」と語る通り、一作のオペラをみたようなドラマティックな世界を紡ぎ出す。そして、およそカウンターテナーが歌うことなど誰も考えつかないような「魔王」を含む、シューベルトのリート。その声は、優しい聖母に、恋に悩む若者に、老獪な悪魔に、と、刻々とすがたを変えていくのだった。
藤木大地のもっとも特筆すべき美点は、そのピッチの確かさにある。ファルセット特有の音程の細かいゆらぎが、ほとんどみられないのだ。というか、彼の声はファルセットではなく頭声にしか聞こえない。一体どうやって声を出しているんだろう…と思ってしまうほどのナチュラルな発声。なるほど、これが「自分の楽器を使っているだけ」ということか。安定したピッチと輝かしい艶のある音色。伝説のカストラート、ファリネッリは、もしかしたらこんな声をしていたのかもしれない。そんな妄想さえ膨らむ。
この日のリサイタルでもう一点、忘れてはならないのは、松本和将のピアノの素晴らしさである。ドイツリートにおけるピアノの重要性は改めていうまでもないが、饒舌に過ぎず、かといってただの伴奏にならない演奏はなかなか稀だ。松本が「自分の楽器」であるピアノを使って表現した音の世界が、藤木の描き出したドラマの世界とぴったりと一致していたことも、本当に賞賛されるべきだと思う。
アンコールは、シューマンの歌曲集「ミルテの花」から「はすの花」と「献呈」。「献呈」の最後の出てくる「君は僕の天使」が、最初の「アヴェ・マリア」と繋がってひとつの円環をかたちづくっていたのも、もちろん藤木大地のアイデア。「自分の楽器」ができる最上のパフォーマンスを、クールに考える知性も「新しい世代」の歌手の特徴ではないだろうか。おそらくこれから、彼はもっともっと世界中に出ていくだろう。日本が誇るカウンターテナーとして、いや、日本が誇る「演奏家」として藤木大地の名前が世界中のクラシック・ファンの心に刻まれる日がくるのが楽しみだ。
2017年5月19日、Hakuju Hall