【Opera】日本オペラ協会『夕鶴』
「日本を代表するオペラ」として名高い『夕鶴』は内外を含め再演も多い。原作は木下順二が書いた戯曲であり、それも有名な「つるのおんがえし」の民話を下敷きにしているので、物語自体も誰もが知っている。つまりオペラ『夕鶴』は、確かに「名作」であることに異論を挟む余地はないけれど、逆にいえばこれといって新味のない、今さら上演する意味がどこにあるのだろうと思われがちな作品ともいえる。
しかし、そもそもオペラの歴史というのは200年も300年も前から同じ作品を何百回、何千回と上演してきている訳で、そのように繰り返し上演され続けることこそがオペラの価値を決めている側面もある。そこでクローズアップされるのが演出、ということになるのだが、まさか『夕鶴』を近未来SFに読み替えて、ロケットに乗ってやってきた宇宙鳥の化身だ地球人の男性に恋をして…という現代演出を施すのもちょっと違う(それはそれで観てみたい気もするが)。そういう点でも『夕鶴』は現代において挑戦するのが実は難しいオペラなのではないだろうか。
その挑戦を果敢にやってのけた今回の岩田達宗の演出だが、岩田自身も事前のインタビューで強調し、私自身も上演を観て強く印象に残ったのが、運ずという人物の造型である。『夕鶴』の4人の登場人物は、つうと与ひょうの善人カップルと、惣どと運ずの悪人コンビの2組に分けることができるが、悪人コンビの方は冷酷なワルの親分である惣どに対して間抜けな子分の運ずという、この手の悪役に典型的なキャラクターだ。この「間抜けな子分」運ずは、しかしワルとしては間抜けである分、どこか優しさのようなものを漂わせている。岩田はこの運ずをどう描くかで、この物語の奥行きが変わってくると考えた。
運ずは物語の最後で、つうが鶴になって空を飛んでいく様を見て、「だんだん遠くなっていく」と言う(ちなみにこの時の惣どのセリフは「よたよたと飛んでいく」とあくまでも冷たい)。岩田演出では、この時運ずは与ひょうを抱きしめながら涙を流していた。抱きしめられている与ひょうがあまりのショックにほとんど感情を失っているために、この時の運ずはまるで与ひょうに変わって喪失の悲しみにくれているようにも見えた。初めは金もうけのために与ひょうをそそのかしていた運ずが次第に心を芽生えさせていくこの変化は、『夕鶴』という悲劇の中にある一筋の希望でもある。この日、運ずを演じた清水良一の声がまた、とても柔らかく響くのが岩田の演出意図を見事に表現していたと思う。
もう一点、岩田演出で目を引いたのが、「鶴の千羽織」の扱いだ。鶴の化身であるつうが文字通り身を削ってつくり上げる「鶴の千羽織」は、つうと与ひょうとの間に生まれた子供のメタファーとなっているのだ。「一日と一晩」かかって機織り小屋から出てきた時、つうは布を腕に抱いているのだが、その抱き方が完璧に赤ん坊を抱く格好。そして布を受け取った与ひょうも、まるで赤ん坊を「高い高い」するように布を抱えたり揺らしたりするのである。岩田達宗という人は、以前観た『カルメン』『よさこい節』の時にも感じたのだが、女性に、畏怖のような感情を抱いているのではないだろうか。どこか根本的に「女性には叶わない」という気持ちがあって、それがある時には女性への畏れとなったり、またある時には(女性の方からすると)殊更冷たい表現になったりするような気がする。今回のつうは間違いなく前者で、「自分の羽を抜いて布を織る」=「自分の体から命を生み出す」という連想は、やはり女性への畏怖を生じさせるに充分なのだろう。
この日つうを歌った伊藤晴は、容姿や立ち居振る舞いが可憐で、「畏怖すべき女」には少々物足りなさも感じたが、歌唱は安定感があったし、何より声の透明感は賞賛されていい。「つう」という役は、やはり日本人のソプラノにとっては特別な役だと思うので、できれば今後さらにチャレンジを重ねてものにしていってほしい。
与ひょうは、日本オペラ協会・藤原歌劇団を代表する名テノール、中鉢聡。さすがに表現力はピカイチで、「金に目がくらんだのではない、とにかくつうが愛しくて、つうと一緒に都に行きたい、ただその気持ちだけで動いている」という与ひょうの感情が見事に伝わってきた。このオペラでは児童合唱も重要な役割を担っているが、初めて聴いたこどもの城児童合唱団は、いかにも訓練されたという風情ではない、元気で生き生きとした子供たちだった。園田隆一郎指揮、東京フィルハーモニー交響楽団は手堅いサポート。
最後に一つだけ残念だったこと。新宿文化センター大ホールはあまりにも古すぎる。音響はよくないしホワイエの居心地も今ひとつ。もう少しいいホールで観たかったのが正直な感想だ。
2018年2月18日、新宿文化センター大ホール。
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