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「僕とロボコ」と「ラヂオの時間」で考える「イライラさせない笑い」の時代。その②

この「ラヂオの時間」の最近のレビューのなかに、「イライラした」というものが結構あって、正直おどろきました。どうやら登場人物がみんなワガママでイライラする、笑えない、ということらしいです。

コメディとうたっているからには、日頃の鬱憤を晴らしてくれる痛快な作品を期待したのかも知れませんが、私はやはり、時代を感じました。

この作品を含む三谷作品のパターンのひとつとして、「ワガママな人」「面倒な人」「しょーもない人」たちが、見栄を張ったり保身に走ったり、意味不明なところにこだわったりしてドタバタするというくだりがあります。もうね、どいつもこいつもしょーもないんですよ(笑)。

そういうヤツらがラストに向けて少しずつ変化していく。それぞれの隠された熱い思いが化学変化を起こし、協力と力技でなんだかんだ困難を乗り越えてしまう…という展開の面白さ。気がついたらあんなにしょーもないと思っていたヤツらが「まぁ、根は悪いやつじゃないんだよね。」と思えて来る不思議。人間万歳!世知辛い世の中上等!・・・それが三谷作品の一つのパターンであり、醍醐味であり、魅力なんですが・・・。

うーん…イライラしちゃいましたか。
これも時代なんだろうなあ…と思ったわけです。

ワガママな登場人物を笑えないって、つまり作品を客観視できていないということでもあると思うのです。私が子供の頃、のび太のしょーもなさににイライラしてしまったみたいに。

「うちの上司に良く似ていて嫌だ」
「こんな人が実際にいたら許せない」
「自分のことを言われているようで腹が立つ」

そうやって自分ごととして感情移入して見てしまってはね、そりゃ笑えないですよ。
私は、人を傷つけない笑いが最近の主流になりつつある理由のひとつに、作品を受け取る側の力の問題と「私の不快は正義」問題があると思います。また、そういう一部の人の声がネット上の目立つところに残るようになったこともあるでしょう。

例えば・・・ワガママな専業主婦が主人公の作品を、専業主婦が読んだとして、、、
「こんな専業主婦はいない」
「私はこんなじゃない」
「これが専業主婦の実態だと思われたら困る」
とクチコミする人が一定数現れてしまう時代なのです。

主人公がワガママな専業主婦だから話が展開するし面白いのだとしても、ラストに彼女が成長した姿を見せたとしても、出だしでイライラするともう後はなにも目に入らない。自分を不快にさせた相手にひとこと言ってやらねば気が済まない。

そして、そんな「イライラしている自分」を客観視できないまま批判レビューを感情的に書いちゃたりするんです。
あれ?これを読んでイライラしてる方いませんか?大丈夫ですよね(笑)

もちろんね、琴線に触れちゃうってことはありますよ。
「今はその話題笑えないの。自己都合で」ってことは私もあります。
そういうときは冷静に作品を評価できないから私は黙ってます。
よもやネット上に書き込んだりなんてしないです。

まあとにかく・・・こんな時代に、創る方はそりゃあ大変です。
明らかな差別や誹謗中傷は論外ですが、誰かを傷つけない、不快にさせないラインはどこか、常に最大限の注意を払わねばなりません。全方位的に気を配り、個人の都合で勝手に不快になった人にまで謝らなけばいけない時代・・・。

それでもまだ発信するのか、と、自問自答しちゃいますね(笑)

結論。
こんな大変な時代に、たくさんのトラップをすり抜けるがごとくギリギリのラインで楽しませてくれる「僕とロボコ」。めちゃくちゃ応援してます。もちろん、三谷幸喜作品も!

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