『ものまね鳥を殺すのは:アラバマ物語』書評
第五回 翻訳者のための書評講座に参加しました。
張り切って書いたのはいいのですが、ある致命的なミスを見逃したまま提出するという大失態を演じてしまいました。トホホ。
講座では講師の豊﨑由美さんはもちろん、受講生の方々からもいろいろな意見をいただきました。その中で、するんと読めるけれど引っかかるものがなかった、というものにドキリとしました。もっと書きたいことがあったのに文字数内にまとめられず、えいやっと削除してしまっていたのです。
そこで、思い切って内容を変えて書き直しました。
今回は、元の書評(あえてミスもそのままにしておきます)と書き直した書評の両方をアップしてみます。
少し長くなりますが、読み比べていただけると嬉しいです。
また、ご意見や感想など、コメントいただけれるとものすごく嬉しいです。
〈元の書評〉
“To Kill a Mockingbird”は一九六〇年に米国で発表されてピューリッツァー賞を受賞し、映画化もされた世界的大ベストセラー小説だ。日本では『アラバマ物語』の名で広く知られるこの小説が、この度新たに翻訳され、題名も原題通りに改められて出版された。それが本書、『ものまね鳥を殺すには』である。
物語は、大人になった主人公スカウトが過去に思いを馳せる場面から始まる。舞台は一九三〇年代、大恐慌時代の米国南部、アラバマ州の架空の町メイコムだ。
六歳のスカウト・フィンチは負けず嫌いの活発な少女で、四才上の兄ジェムと弁護士の父親アティカス、料理人で黒人のカルバーニアと暮らしている。二歳で母親を亡くしたが、寂しく感じたことはない。兄と、毎年夏の間だけメイコムの伯母宅に預けられる少年ディルとの三人で、ツリーハウスで遊んだり冒険物語を再現したりして過ごしている。ちなみにスカウトとジェムには作者ハーパー・リーとその兄、ディルにはトルーマン・カポーティが投影されていると言われている。
さて、三人の子供の好奇心を刺激してやまない家が近所にある。住民同士の繋がりが深い小さな町にあって、門を閉ざして他人を寄せ付けないのだ。その家の住人ブー・ラドリーは家から一歩も外に出ず、狂人と噂されている。子供たちはなんとかしてブーを家から引きずり出そうと画策するが……。本書第一部は、三人とブーとの微妙な関わりを中心に物語が進んでいく。
一方アティカスは、白人女性をレイプした疑いで起訴された黒人、トム・ロビンソンの弁護を引き受ける。するとスカウトとジェムは、事あるごとに「ニガー好き」と揶揄されるようになる。憤るジェムにアティカスは、そうした言葉は言った人がどれほど哀れかを示すだけのものでしかないと諭す。
裁判の日となり、ジェムとスカウトは父親から禁じられたにもかかわらず、ディルと共にこっそり裁判を傍聴する。本書第二部は、この裁判を軸に展開していく。
アティカスは証人の証言から、トムが犯人ではありえず、実際には何があったのかを明らかにしてみせる。だが、陪審員席を埋めるのは白人のみだ。果たして判決はどうなるのか。そして、ある人物の恨みを買うことになったアティカスの一家に何が起きるのか。
本書は公民権運動の高まりの中で出版されたこともあり、白人の黒人に対する差別と偏見を描いた小説と評されることが多い。だが、本書の魅力はそれに留まらない。スカウトの目を通して表現される人々は実に表情豊かで重層的だ。そうした人々と関わる中で、多感な子供たちは人生に必要なさまざまなことを学び、成長していく。また、アティカスが子供らに語る言葉は、普段忘れてしまいがちな真実を今一度思い出させてくれるものだ。ストーリーと共に、そうした言葉もぜひじっくり味わって欲しい。
文字数:1189字/1200字
想定媒体:一般紙書評コーナー
〈書き直し後の書評〉
“To Kill a Mockingbird”は一九六〇年に米国で発表されてピューリッツァー賞を受賞した世界的ベストセラー小説で、同名の映画も大ヒットし、グレゴリー・ペックはアカデミー主演男優賞に輝いた。日本では『アラバマ物語』の名で広く知られるこの小説の新訳版が、題名も原題に沿ったものとなって刊行された。それが、『ものまね鳥を殺すのは:アラバマ物語』だ。
物語は、大人になった主人公スカウトが過去に思いを馳せる場面から始まる。舞台は一九三〇年代の米国南部、アラバマ州の架空の町メイコムだ。
六歳のスカウト・フィンチは負けず嫌いの活発な少女で、四才上の兄ジェムと弁護士の父親アティカス、料理人で黒人のカルバーニアと暮らす。二歳で母親を亡くしたが、寂しく感じたことはない。兄と、毎年夏の間だけメイコムの伯母宅に預けられる少年ディルとの三人で近所を駆け回って過ごしている。ちなみにスカウトとジェムには作者ハーパー・リーとその兄、ディルには作家カポーティが投影されていると言われている。
さて、三人の子供の好奇心を刺激してやまない家がある。小さな田舎町の中で門を閉ざし、他人を寄せ付けないのだ。その家の住人ブー・ラドリーは全く姿を現さず、狂人と噂されている。子供たちはなんとかしてブーを家から引きずり出そうと画策するが……。
一方アティカスは、白人女性を暴行した疑いで起訴された黒人、トム・ロビンソンの弁護を引き受ける。周囲から事あるごとに「ニガー好き」と揶揄されて憤るジェムにアティカスは、そうした言葉は言った人がどれほど哀れかを示すだけのものでしかないと諭す。
本書の背景となった時代のアメリカは大恐慌のさ中にあった。生活に苦しむ白人のうっ憤が黒人に向かい、ビリー・ホリデイの代表曲『奇妙な果実』のような出来事があった時代だ。しかし人種差別が白人対黒人の単純な二極対立ではないことも、本書はきっちりと描き出す。白人も黒人もさまざまなのだ。
やがて裁判の日となり、ジェムとスカウトはディルと共にこっそり裁判を傍聴する。アティカスは証人の証言から、トムが犯人ではないこと、実際に起きたはずのことを明らかにする。だが、陪審員席を埋めるのは白人のみだ。果たして判決はどうなるのか。そして、ある人物の恨みを買ったアティカスの一家に何が起きるのか。
本書は公民権運動が高まる中で刊行され、差別との闘いを描いた作品とされているが、それだけの小説ではない。スカウトの目を通して表現される米国南部の人々は実に表情豊かで重層的だ。そうした周囲の人々と関わりながら、多感な子供たちはさまざまなことを学び、成長していく。また、アティカスが子らに語る言葉の数々には人の心を揺さぶる力がある。その一つ、「多数決に従わないのは、人間の良心だけだ」という一文に、あなたは何を思うだろうか。
文字数:1189字/1200字
想定媒体:一般紙書評コーナー
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