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ぼくたちは「呼吸」で人生を変える力を持っている―児玉俊彦(Toshi)さん【前編】

淡路島でヨガスタジオ「Union Yoga japan」を主宰する、児玉俊彦(Toshi)さん。少年のような軽やかさとソフトな物腰で、年齢・性別問わず愛される親しみやすさを持ちながらも、ヨーガの道を真摯に探求する求道者だ。筆者の呼吸法の先生でもあるToshiさんに話をうかがった。

人生の大きな価値となる「呼吸法」

――Toshiさんは、ヨガティーチャーというより、今は「呼吸法の先生」といった印象が強いですね。最近も大きな動きがあったとか。

Toshi 今年(2022年)、マインドフルネスの先生や循環器のお医者さんなど、各方面の専門家たちと「いい呼吸ラボ」というのを立ち上げ、11月には、兵庫県伊丹市の小学校と岐阜大学で講演を行う機会に恵まれました。ともに去年から話は来ていたのですが、たまたま続けての実現となり、まさに運命に背中を押されるような出来事になりましたね。

「いい呼吸法ラボ」のメンバーと。左から、山村典子さん(デザイナー・ヨガインストラクター)、杉原達矢さん(循環器医師)、Toshiさん、依田真由美さん(京都マインドフルネスセンター理事)

――小学生に呼吸法、というのがあまり想像できませんが、実際、講義をしてみてどうでしたか?

Toshi みんなノリノリでしたよ。4年生でしたが、クイズや質問をするとワーッと手を挙げて、積極的でしたね。「鼻で呼吸するとイライラがなくなるよ」「よく眠れるようになるよ」と伝えながら、呼吸法には「にこにこ呼吸」などと名前をつけて、親しみやすいようにしました。素直に一生懸命取り組んでくれ、嬉しかったです。最初はザワザワしていた空気もだんだん落ち着いていき、終わったあとには「気持ちよかった!」と言ってくれました。

大学は、何と体育科の教育学部だったんです。つまり、先生になろうとしている人たちですよね。これはもう、運命でしかないと感じました。彼らも呼吸法の大切さを感じてくれて「小学生のときに学んでいたら生活やスポーツの結果が変わっていたかも」「自分も不安や緊張などを感じることがあるけれど、呼吸法があれば乗り越えられそう。教育者としても子どもたちに伝えていきたい」そんなふうに話してくれました。

――Toshiさんはよく「子どもたちにこそ、呼吸法を伝えたい!」と話していましたものね。

Toshi 呼吸ひとつで自律神経が整い、気持ちが落ち着いたり、明るくなったり、健康にもなれる……子どものころから呼吸法を学ぶことは、人生で大きな価値になると思うんです。仮に小学生から、朝の会で3分間呼吸をするとして、それを6年間、9年間続けたら、みんな立派な呼吸法のマスターになれますよ。だからもし、教職課程に呼吸法が組み込まれ、先生が子どもたちに伝えてくれたら、本当、日本全体が変わると思います。

やんちゃな高校生から神秘の探求者へ

――ところで、Toshiさん自身は、どんな子どもだったのですか。

Toshi 普通ですよ。十代のころは、やんちゃなこともしたし。

――えっ、暴走族とか?

Toshi 暴走族ではないけど、高校のとき、それこそ盗んだバイクで走ったり、バイトの先輩たちと飲み歩いたりしてましたね(笑)。学校もあまりマジメに行ってなかったんです。高3で進路を決めるときも、本当はワーキングホリデーでカナダに行って、スノーボードをしたかったんですが、先生に止められて。でも進学は頭になくて、だからといって適当にサラリーマンをやっても意味がないと思い、大阪にある料理の専門学校に行きました。美味しいものが食べられるかな、という単純な理由ですけどね(笑)。

兵庫県伊丹市の自宅から1年通い、調理師免許を取得して、いよいよカナダに行こうと思ったら、倍率が高くて抽選にはずれちゃって。それで、とりあえずオーストラリアに行き、東南アジアを回って帰ってきました。カナダに行けたのは、その翌年、2000年の21歳の時です。そこである「神秘体験」をしたのが、この道に入るきっかけになりました。

――興味深いですね。どんな体験だったんですか。

Toshi このことについては、人にはあまり話してないんですね。中途半端に話してもどうかな、と思うし。ただ、意識がどんどん深く自分のなかに入ってきて、今まで知らなかった目に見えない世界を“体感として知覚”したという感じでしょうか。自動書記で、宇宙の成り立ちや呼吸についても深く知ることになりましたね。

でも、すべて具体的に教えてもらえるわけじゃないんです。「聖なる呼吸を学びなさい」とひとこと言われるだけの時もあるし。そんなことが1年か1年半、帰国してからも続き、そのなかで変容と理解を交互に繰り返していく感じでした。

――カナダでスノボをしていたところに、いきなりそんなことが起こったら、動揺したりその現象を無視したりするのではないかと思うのですが。

Toshi 「なぜぼくに?」という疑問はあったけど、体験のインパクトがでかすぎて、ないがしろにできなかったんです。ぼくのハートや魂は、もうその世界の探求にしか興味を持てなくなってしまい、ライフワークとして、人生をかけて追求していこうと自然に思うようになっていました。

ぼくはその大いなる存在のようなものを「お上(かみ)」と呼んでいますが、お上は「タイミングでしかない」って言うんです。みんなに起こることが、たまたま今、お前に起こっただけで、お前がすごいということではない、と(笑)。だから、誰も手の届かない崇高な存在になるのではなく「みんなと同じ」というスタンスでいることが大切なんでしょうね。

「答えはすべてここにあった!」

――ヨーガに出会ったきっかけは何だったのですか。

Toshi 25歳のとき、東京で写真家の助手をしていたのですが、それとは別のアルバイト先の同僚から「ヨーガはいいよ」って話を聞いたんです。ある日、西荻窪にカレーを食べに行ったら、たまたまそのビルの2階がヨガスタジオだったので、ちょっと話を聞き、後日体験に行きました。やってみて「これだ!」とすぐにわかりましたね。陰と陽の調和とかエネルギーの流し方とか……今までひとりで泥臭く探求してきたものの答えが、全部ここにあるじゃん! しかも洗練された形で、と衝撃的でした。

それからすぐ、普段ではありえないことが起きて、写真家の助手をクビになりました。22歳から、自分の感じている世界を「写真」を通して探求していましたが、結局ストレートな探求を避けてたんですよね。これをきっかけに、いよいよ本格的な探求のフェーズに入ることになりました。

――そのスタジオでは、どんなヨーガをしていたのですか。

Toshi アシュタンガヨガという、カラダを激しく動かすスタイルのヨーガです。でも、別のヨーガも体験したくなり、1ヶ月で別のスタジオに移ったんです。いい感じで続けていたところ、長野にある穂高養生園に、インドからスワミ・チェータン先生が来るということを知り、それならと、住み込みのボランテイアスタッフとして参加することにしました。入会金も数ヶ月分の月謝も払ったばかりだったんですが(笑)。

――やはり、本場・インドの先生のヨーガは違いましたか。

Toshi 意外かもしれませんが、インドのスワミジ(先生)は、日本で一般的に知られているようなハタヨーガは基本的に学ばないんです。チェータン先生も、アシュラムではヴェーダンダ(経典)的な生き方を実践していて、主に自分を目覚めさせるためのエゴの取り除き方や、奉仕の活動などを行っている方だったので、ハタヨーガよりもそちらの話を興味深く聞きました。師でありながら友達のように接してくれて、交流は今も続いています。

スワミ・チェータン師と(2012年9月)

――それから養生園でヨーガを教え始めますね。

Toshi スワミジがインドに帰ったあと、ヨーガを教える人がいなくなったから「じゃあトシよろしくな」みたいな感じで(笑)。ヨーガはほぼ毎日やっていたし、養生園で行うのはセラピー的なやさしいヨーガだったので、特に抵抗はありませんでした。

途中、一度荷物を整理しに東京に帰ったんですが、たまたま昔のバイト仲間にばったり会って、住むところがないというので、うちに間借りさせたんです。結局、彼はそのままそこに住むことになり、ぼくは養生園に戻りました。そもそも、もう東京には戻らないだろう、とは思っていたんですけどね。

「明日結婚します」!

――そして、いよいよインドに行くわけですね。

Toshi 養生園は冬季に4ヶ月くらい休みがあるので、そのタイミングに行きました。26歳だったと思います。ダラムサラでダライラマの15日間の法話に参加したり、ヴィパッサナー瞑想をしたりして、ヨーガの学校として有名なカイバリヤダーマに行きました。その時は10日くらい滞在しただけで、ティーチャートレーニングを受けたのは翌年です。

2010年 インドで

――1度目のインドから帰国したタイミングに結婚されてますね。

Toshi 彼女は養生園の仲間で、1度目のインドで合流したんです。一緒に旅するなかで、お互いそういう気持ちにはなっていて、結婚するなら、ぼくの誕生日の1月11日がいいよね、なんて話はしていたんだけど、なかなか踏ん切りがつかなかったんです。

帰国して、またインドに行くつもりが、車で事故ってお金がなくなっちゃって。それで年末年始は実家で過ごして、誕生日前に東京に帰ってくる途中、友達が、数秘術とオーラソーマ(※)のセッションを受けたんです。せっかくだからと、ぼくも受けてみたら、出てくるボトルや数が「結婚するなら今しかない!」ってものばかりで。じゃあちょうど明日誕生日だし、結婚するかと(笑)。彼女のご両親にも、明日結婚しますって電話して(笑)。

※オーラソーマ…1983年、イギリスのヴィッキー・ウォールが生み出した、上下2層の色彩に分かれた100本以上のボトルを用いたカラーシステム。潜在意識のリーディングやヒーリングなどを行うことができる。

――それはびっくりでしょうね。おめでたい話だし、断る理由はないでしょうが……

Toshi いや、いっぱいあったと思いますよ。無職だし、そのときは彼女の家に居候してたし、しかもヨーガなんてやってるし(笑)……親としては不安になるでしょうね。まあ、今では3人の子どもに恵まれて、みんな元気に育ってるし、結果的に「よし」としちゃおう、って感じです(笑)。

ぼくたちは「パートタイムヨギー」

――ところで、結婚もそうですが、Toshiさんは「禁欲」や「戒律」についてどうお考えですか。

Toshi 養生園では食事や異性関係について禁欲的な生活をしていて、スワミジが帰ったあとも、それをずっと継続していました。でも、彼女と初めてデートをしたときに「この人の子どもを育てるんだ」という強い感覚が起こって。だから、彼女と結婚するんだったらその戒は破ってもいいかなと思いました。逆に破るなら結婚しないと、その戒をさらに破ることになる。それはしたくなかったんですね。

戒律は、完全に「悟り」を目標とした人が、修行だけの生活の中で守っていくもので、在家で完全に実行するのは難しいんです。例えば、アヒムサー(非暴力)っていう戒律があるけれど、野菜を食べている時点でたくさん昆虫を殺していることになる。戒律はヨーガの道を歩む原動力にもなるし、守るべきものではあるけれど、とらわれすぎては足かせになるので、うまい付き合い方が必要ですよね。今はみんな「パートタイムヨギー」だから。ぼくも含めてね。

――うまい言い方ですよね。Toshiさん、同じパートタイマーなら、どうか「店長」として私たちを導いてください!(笑)

(後編に続く)

※本文中「Yoga」のカナ表記は、単独使用および「ハタヨーガ」について「ヨーガ」、それ以外を「ヨガ」としました。


児玉俊彦(Toshi)さん プロフィール

2000年独学で呼吸法、瞑想を始める
2005年インドの僧よりシバナンダスタイルのヨーガを学びヨガ指導を始める
2009年 インドにあるYogaSchool(Kaivalyadhama)にて 上級ヨーガ教師育成課修了
2013年 UnionYoga japanを立ち上げ活動を始める
2016年 Tri Yoga Basic 公認ティーチャー認定
2019年 淡路サンアシュラム 淡路島にOpen
2022年 いい呼吸ラボでの活動開始

現在の活動
・淡路サンアシュラム代表
・TriYoga Seeds共同代表
・ヨーガクラスの主催・指導
・哲学講座の講師
・呼吸法講座の講師
・ワークショップの開催
・ワークショップや養成講座の通訳

淡路島での自然の中の暮らしと、ヨガ的な生き方を求め淡路サンアシュラムを立ち上げ。自身のヨガ的生き方の追求とそこに集う人達への 健康面と精神的な成長のサポート。特に近年はTriYogaの素晴らしさと呼吸法の大切さを伝えることを二本の柱として活動を進めている。


「いい呼吸法 無料オンラインクラス」
毎週火曜、朝6時から、ZOOMまたはYouTubeライブで呼吸法レッスンを無料で受けられます(要Facebookグループ登録)。

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◆2023年3月から、TriYoga Teacher養成講座がスタートします。


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