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#10 退院
もし、私の話が誰かの記憶のどこかに少しでも残ったなら、私もいつかどこかで誰かの力になれるかも知れない、という思いで、病気のこと、回復の過程のこと、あの頃思ったことなど、少しずつ書くことにしました。もしご興味があればのぞいてみて下さい。そして私が今振り返って笑っちゃうことを、一緒に笑って頂けたら嬉しいです。
リハビリも最終段階に入り、作業療法士のトムに連れられ、何度が外出してバスに乗る練習をした。
だいぶ歩けるようにはなっていたが、長距離はまだ無理だし、体力はあっても頭がすぐに疲れる。
手すりにつかまりながら乗り降りするのは特に問題はなかったが、バランスが悪いので吊革につかまっても車内で立っていられない。
トムと一緒にいる時は、彼が運転手さんに、私が席に着くまで発車しないよう声をかけてくれるし、そんな風にモタモタしている私が優先席に座っても、誰にも何も言われなかったが、退院して一人でバスに乗るようになると、自分で運転手さんに着席するまで発車しないようお願いするか、急いで近くの席に座らなければ転んでしまう。
時折優先席しか空いてない時には、誰からもなにも言われはしなかったが、外から見たらまったく健康なので、なぜ優先席に座っているのかと乗客から白い目で見られているような気がして、いつも小さくなって座っていた。
オットは、使わなくても杖を持っていれば少しはいいんじゃないかと言ったが、私はそれなら一日も早くバランス感覚を取り戻せばいいと頑なに反発した。
バランスが少し悪いぐらいで、特別扱いしてもらわなくても結構、他にもっと必要な人が座るべきだと言い張って、優先席はできる限り避けた。
転びそうになって怖い思いも何度もしたので、今となっては言うことを聞いていればよかったのかも知れないと思うし、日本で最近見かける妊婦さんやケガをしている人のためのステッカーみたいなものがあればよかったなと思う。
車の運転は、妹と張り合ったおかげで、無事訓練もテストもパスし、退院までには医師から許可が下りた。
ソーシャルワーカーが、障害者用の車両ステッカーを申請してくれた。それを車内に置いておけば、建物の出入り口に近い優先スポットに駐車できる。
だけど、一年間の有効期限内に私がそれを使ったのは、ほんの1,2回だけだった。私よりもっと必要な人がそのスペースを使うべきだと思っていたからだ。
今まで誰からも、健康なくせに色々と制度を利用しやがって、と責められたことは一度もない。それなのに、いつまでたっても取り除けなかったこの謎の「私は結構ですので」という感覚が、いったいどこから来たのか、いまだに分からないでいる。
私は自分がとてつもなく幸運だったと思っている。脳卒中は間違いなく軽症だったし、周りの人たちにたくさん支えられて、回復もとても早かった。その幸運を、ちょっとでも当たり前に思ったり調子に乗ったりしたら、まるで魔法が解けて、不幸のどん底に突き落とされるかのような、脅迫感にも似た気持ちがずっとある。
その気持ちは私を謙虚でいさせてくれたし、一日も早く回復しようというモチベーションにもなった。だけど、あまりにそっち側に偏って、助けてと言えないことも多々あった。
どうもちょうどいい塩梅というのができないのだ。
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いよいよ退院の日が近づいてきた。
もう一人で歩けるようにはなっていたが、まだまだバランスも悪く、動きもスムーズではないので、理学療法(PT)は退院後も外来で受けることになった。
ソーシャルワーカーからは、私のように運動能力に多少の障害があってもできるヨガやカヤックのクラスなど、私の興味のあるアクティビティを紹介してもらった。
車椅子は卒業したので、仕事場や自宅を車椅子のアクセスができるよう改良する必要はなかったが、必要ならそういった手続きもソーシャルワーカーが手伝ってくれる。
トイレやお風呂に取り付ける手すりや椅子は、赤十字が貸し出してくれるというので、退院前に早速借りて、取り付けておいた。
鬼軍曹の理学療法士ショーンとトムにもお別れする時がきた。よくやった、これからも頑張れと励まされ、何だか卒業式みたいな気分だった。
カフェテリアの仲間たちやゲイカップルにも挨拶をする。まだ退院できない人たちへの配慮もあるから、元気でねとさらっと。
入院して間もなくセシが持ってきてくれた、赤い花に顔がついたぬいぐるみは、茎の部分に針金が入っていて、私のベッドの手すりにずっと取り付けてあった。
セシが快く同意してくれたので、私はそれを外してシェリルばあちゃんのベッドの足元につけて、色々お世話になりましたと挨拶した。
ばあちゃんはすっかりその花が気に入って、嬉しそうに眺めていた。私の後にはどんな人が入ってくるのだろう。
明るく優しい看護師さんたちも、口々にお祝いしてくれた。
病院を出た後、私は振り返って一礼した。本当にお世話になりました。
こうして約5週間のリハビリ病院生活、ICUから数えると、7週間ほどの入院生活を終え、私は自宅に戻った。
(#11へ続く)